敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目
ディンギー
「あんまり無茶な訓練はやめてほしいもんだよな」古代は言った。「ムチウチなんかで済めばまだしも、死んだらどうしてくれるんだ」
「なんじゃこのくらい。若いもんがだらしない」佐渡先生が機器に表される診断結果を見ながら言う。「この戦争で医者をやっとりゃあわかるわ。お前さんは脚がちぎれても這って戦う男じゃよ。眼に闘志が漲(みなぎ)っておるわ」
「はあ」と言った。「おれが?」
「人に言われんか?」
「全然」
「そうか? わしゃあ酔うとっても眼に狂いはないつもりじゃがな」
どうせ誰にでも同じことを言ってるんだろうと思った。佐渡は酒瓶を取り出して言った。
「どうじゃ、一杯やってかんか」
「お言葉に甘えます」
コップを渡され、酒が注(つ)がれようとしたときだった。上から黒い手が伸びてきて、一升瓶の口を押さえた。佐渡の手から取り上げる。
山本だった。佐渡に言う。
「隊長にいま酒を飲ませるのはやめてください」
「なんじゃなんじゃ。たまに女が出てきたと思ったら、酌するどころかわしから酒を取り上げるのか」
手を伸ばしたが山本が高く上げたので届かない。それでも椅子から背を伸ばして、
「ええか! 酔っ払ってもやれるもんはやれるし、酔っとらんでもやれんもんはやれん。これが男の真実じゃ、わかるか!」
「わかりません、女ですから」山本は言った。「先生にはわたしが酌して差し上げます」
古代の手からコップを取り上げ佐渡に渡した。トクトクと注(そそ)ぐ。
体にピッタリした服を着たスタイル抜群の女が酌する図だったが、古代の見るところ色気などはカケラもなかった。まさしく、ただ機械的に、ホラ飲めよとばかりに注(つ)いだだけなのだ。瓶を掴んだ手は手袋を嵌めたまま。まっすぐ立って相手を上から見下ろしたまま。
佐渡先生はかなり複雑な表情で手にしたコップを眺めやり、しょうがなさそうに口に運んだ。
「おいしいですか?」
「どうかな」
「隊長ですが、すぐ訓練に戻れますか?」
「まあな。問題ないじゃろう」
山本は古代を見た。今の古代は検査用の寝巻きみたいな格好だ。それでベッドに腰掛けてる。山本は黒地に赤のパイロットスーツで見下ろしてくる。
古代は言った。「ちょっとくらい休ませてくれ」
「いいでしょう。五分です。その後シャワーを浴びてまた服を着てください」
「ううう」
「ま、頑張りな」と言って佐渡医師は出て行った。
「おれさ、ここでひと眠りしていけるかと思ったんだけど」
山本は応えない。古代がベッドに寝転がっても、直立不動の姿勢でいる。
がんもどきになる前には、おれもこんなふうだったのかなと、古代はかつての候補生時代を思い出して考えた。訓練で鍛えに鍛えられ、心の芯までヤキを入れられる。お前達は地球人類を護るための剣であり盾だ。そう体に叩き込まれた。ミサイルを抱いて敵に突っ込み、体当たりをしても倒せ。敵が母艦を襲ってきたら、身を挺してそれを止めろ。それがこの戦争で、戦闘機に乗る者の務めだ――おれ達は、そう言われるたびハイと叫んだ。みんな目つきをギラギラさせてた。
佐渡先生か。あの医者は今、おれの眼には闘志が漲ってると言った。まさかな、と思う。それはあの頃、死んでいった仲間達にふさわしい言葉だ。今そこでおれを見ている山本のような者にふさわしい言葉だ。おれみたいながんもどきに闘志なんかあるわけがない。
山本を見る。もう自分の命など捨てたという眼をしている。女であることも捨てたのだろう。顔に化粧っけなどはなく、髪に櫛も入れていない。それどころか、邪魔になるところだけいいかげんに自分でハサミで切っただけなんじゃないかという髪だ。男だったらヒゲモジャのタワシ星人になってしまうかもしれないところ、女であるから救われてる感じ。
その前髪に半ば隠れた眼でもって、さっき酒瓶を取り上げたときおれを冷ややかに睨みつけた。むろん、ちょっとでも酒が入った状態であんな訓練をまたやったなら、それこそ脳の血管が弾けてあの世行きになるかもしれない。それを知ってて飲もうとするおれも確かにおれなんだろう。しかしだ、こんなの、酒でも飲まずにやってられるかという気分にならないか。この女は違うのか。
違うんだろうな、と思った。おれなんかとはまるっきり、鍛え方が違うんだろう。やっぱりおれを、その眼でどう見てるんだろうか。こんな男が隊長で自分がその僚機だなんてあってたまるかと思ってやしないのか。
「なあ」と言った。「君もちょっとは休んだらどうなの」
それから今の自分のセリフが、妙な意味に取られかねないことに気づいてハッとした。
「いや、その、おれはこっちに寄れと言ったわけじゃなくて、その……」
「わかっています。お気遣いなく」
「そんなところにそうしてられるとこっちの気が休まらないんだよ」
「すみません」
「だったら……」
と言った。しかし先が続かなかった。言えば言うほど、自分がダメになってく気がする。
山本が言った。「太陽系を出たならば、休めるかもしれません。そうしたら、酒も飲めるかも」
「ふうん」と言った。「赤道か」
島を始めとする航海部員が、太陽系を出ることを〈南に向かう〉とか〈赤道を越える〉とか言っているのは古代も耳に聞いていた。古代にしても宇宙輸送機をずっと飛ばしていた人間だ。隠語の意味はすぐにわかった。
〈天の赤道〉。目には見えぬが、天体図上の境界としてそれは確かに存在する。人間が宇宙という山へ登る稜線とも呼べるものだ。特に静止衛星などは地球の〈天の赤道上〉に置かねば用を為さなかったし、ガミラスの侵略前に地球と宇宙を行き来していたスペースエレベーターの軌道ステーションもGEO(ジオ)――赤道上の静止衛星軌道にあって、地球の自転に合わせて宙を巡っていた。
宇宙船のパイロットがもし赤道も知らなかったら燃料切らして永遠に宇宙をさ迷うことになる。星は眼で見えるからまっすぐ目指して飛べば着くというものではないのだ。軽トラ運ちゃんパイロットでもパイロットはパイロットだから、古代は島達航海要員が使う隠語の理屈がわかった。
マゼランは〈天の南極〉にあるために、地球の北半球を出た船がそこに向かうならその旅立ちはまさに〈赤道を越える〉こと。太陽系を出ることは、正しくは〈黄道を越える〉と呼ぶべきなのだろうが、しかし――と思う。子供の頃に兄と見た三浦の海を想い浮かべた。〈ディンギー〉という小舟に帆を張っただけの小さなヨットを借りて共に乗り、沖へ帆走した日のことを。あの日、古代は手に持たせてもらったロープに強い空気の力を感じた。風をはらんで帆は膨らみ、舟を大きく傾かせ、波がうねる水の上を滑るように進ませ始めた。あのとき、潮風を身に受けて、古代は空を飛んでいるかのように感じた。
相模湾を南に向かう。海は光り輝いていた。水平線に囲まれて、地球が丸いことを知った。マストの先に太陽を見上げる。兄はその方向へ小舟を走らせていった。
作品名:敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目 作家名:島田信之