敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目
拳銃
「わちっ!」
真田はコーヒーをこぼして叫んだ。同時にカップを握り潰す――マグネシウム材の保温カップだが、真田の〈手〉には紙コップと同じだった。飛び散ったコーヒーが手にかかって湯気を立てるが、熱さを感じることはない。床に落ちた液体と潰してしまったカップを情けない顔で見るばかりだ。
「またやっちまった……感覚がないとこれだから困る」
「どうしたんです?」と斎藤が言う。
「冷たいもんだと思って飲んだら熱かったんだよ。おれの手は温度を感じないからな」
アナライザーがやって来て言った。「大丈夫デスカ」
「まあな」
「ワタシガ掃除シマス。副長ハオ仕事ヲ続ケテクダサイ」
「ああ、すまん」
言って真田は自分の手を見た。なんともなく指は動く。しかし何も感じはしない。
サイボーグの義手なのだ。片手一本の話ではない。子供の頃に事故で失い、真田は両手両足が四本とも機械だった。生活に大きな支障はないが、両肘と両膝から先はまったく感覚がない。目をつぶると自分が一匹のイモ虫として宙に浮かんでるような気がする。
そしてまた、妙にしびれるような痒いような錯覚を常に覚えていて、気づくと手を掻いていたり、何か近くにあるものをガンガン蹴りつけていたりする。何も感じないがゆえに自覚するのが難しく、どうかすると今のマグ・マグカップのように何かをひねり潰したり、踏み壊していたりするのだ。そんなとき、自分でない別の何かが体の中に棲んでいて、手足を操っているように感じて、言いようのない気味の悪さをおぼえるのだった。
斎藤が言った。「技師長と腕相撲はできませんね」
「君に言われてもな」
と返した。斎藤ならば手を機械になどしなくても、その太い指で大抵のものは握り潰すだろう。真田は自分の部下である筋肉モリモリの男を見た。
斎藤始。この男は学者で技師には違いないが、〈宇宙冒険家〉とでも呼ぶのが本当はふさわしい人間だ。火星の火山をよじ登り、エウロパの氷の下の海に潜る。ガミラスとの戦争前から十数年、学術調査目的でそんな仕事を重ねてきた男なのだ。
が、斎藤に限らない。このラボでいま白衣を着込み、試験管を振ってる者らは、みな地球で〈ノアの方舟〉に保護するために象や熊やライオンや、サメだろうと大蛇だろうと捕まえていたような連中ばかりだ。この〈ヤマト〉は外宇宙探険船でもあるために、科学部員として乗り組む者は屈強な猛者(もさ)であることが求められた。船外服を着て並べば、誰もが空間騎兵隊か何かと間違うだろう。
〈ノアの方舟〉の動物達を地上に還し、種子バンクの植物もまた地上に芽吹かせる。〈ヤマト〉に乗る科学者はそれを第一の目的として、各機関から派遣されているのだった。ゆえに全員、命知らずの冒険野郎。〈ヤマト〉の〈調査・分析班〉に腕の細い女などはひとりもいない。
「で、これですが――」
と斎藤が言った。彼が取り上げて見せたのは、タイタンで古代進が持ち帰ったガミラス兵の拳銃だった。
「まずはひと通りの分析が出来ました」
「何かわかったのか」
「これ自体からは特に何も。地球のものと比べても別に進んではいませんね。威力に発射可能回数、命中精度に耐久性能、安全性など検分はさせたんですが」
「ふむ。〈安全性〉というのはつまり、暴発の防止機構が充分かといったことだな」
「そうです。この銃はあらゆる点で、〈粗悪〉と呼ぶしかないでしょう。地球の軍の基準にはまったく届きませんね」
「それは――」
と言った。粗悪? 安全性も低い? それを危険と隣り合わせの宇宙で兵に持たせる? まさか。地球人の常識では考えがたい話だった。機械の腕を組みながら、真田はいま自分が潰したマグカップに眼をやった。姉の顔が記憶の中から浮かび上がり、自分を見つめてくるのを覚え、急いで想いを振り払う。暴発のおそれがわずかでもある銃など、自分は決して持ってはいけない人間とよく知っているだけに、斎藤の分析結果は意外だった。
武器は危険なものである。ゆえに安全でなければならない――変なことを言ってるようだがしかし本当の話である。たとえば、昔ながらのC4プラスチック爆薬。そのままでは粘土のような固まりで、薪と一緒に火にくべても薪のように燃えるだけ。電気雷管を挿し込んで適切な電流を通したときに初めてドカンと爆発する――必要なとき必要なだけの威力を発揮するけれど、そうでないときはサヤに納めたナイフのように安全に保管し持ち運べるということが、武器には常に求められるものなのだ。
〈波動砲〉を始めとする〈ヤマト〉のすべての武器も然(しか)り。今、〈ヤマト〉には何十基もの核ミサイルが冥王星を叩くべく〈ゼロ〉と〈タイガー〉戦闘機に懸架されるのを待っているが、それらがミスや誤作動で勝手にピカッといくなどという事態はまず有り得ない。核物質に自然に〈火〉が点く確率は、猿にワープロを打たせたときにシェイクスピアが書き上がる確率ほどに低いのだ。
あるいは、《起こり得ることは起こり得る》という文を書き出す率と――確かにそれには違いないが、現実にはまず考えられない。タイタンで〈ゆきかぜ〉から発射され〈ヤマト〉を狙ったものもそうであったのだが、地球の核ミサイルはすべて何重もの安全装置で厳重に暴発が防がれている。〈ゼロ〉や〈タイガー〉と共に飛び発ち、共に撃墜されたとしても、決して核は起爆しない。機体から発射され、目標に当たったときだけ原子の力を解放する――その途中で敵に墜とされたとしてもやはりピカリとはいかないのだ。
核に限らず、〈ヤマト〉に積まれるあらゆる爆薬、燃料ともに、容易く火が点き誘爆を起こすようなものはない。すべて安全・信頼性を充分に考慮した上で選ばれている。むろん、拳銃に至るまでだ。
それに対して、ガミラスの拳銃――真田はまとめあげられた報告書に眼を通してみた。分析結果は、すべての部品が材質も悪く精度も低く、ただ量産性ばかり優先した造りであるのが窺えると推論がされている。地球の軍ならこんなものは採用しない――。
「ふうん。どういうことだ?」真田は言った。「敵を見くびるものではないぞ。こっちの方が上だと思いたいだけで相手に低い点を付けるようでは困るのだが……」
「それでもこの銃を見る限り、質は低いと思いますね。下級兵士に持たせるのは安物なのか、こんなものしか造れないのか、それはわかりませんが……」
「ふうむ」
と言った。一兵士が持つ拳銃は、敵の国力や用兵思想を推し量るひとつのものさしになるのは間違いない。ガミラスの科学は船の動力に波動エンジンを使える以外、多くの点で地球に劣るのではないか、とずっと言われてきた。それにはそう思いたい地球人が多くいて、敵を過小評価しようとしてきた実態もやはりあるのだが――。
かつて日本がサムライの時代に、欧米人を〈蛮人〉などと呼んでいたのと同じだ。鉄砲や時計を見ても鼻で笑い、『なんだこんなもの、我が国の職人ならばたちまちもっといいものを作ってみせるに違いないわ』と言って侮(あなど)ることをやめない。ちょっと科学が進んでいたって野蛮人は野蛮人だ。だからこっちが波動エンジンさえ造れれば――。
作品名:敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目 作家名:島田信之