伊角の碁
伊角慎一郎という人3
「なんか、伊角さんの肩って、すげーなだらか」
笑いながら、ヒカルは座っている伊角の肩を撫でる。
「そうなんだよ。撫肩だから、よくカバンのヒモとか落ちて大変なんだぞ?」
まるで兄弟のようなふたりの、ごく微笑ましい光景。
「でも、撫肩の人って肩こりしにくいっていうじゃん?」
碁盤を前に座っていた伊角の肩を、ヒカルが力いっぱいに揉み始める。
「わっ……進藤、痛いって」
正座を崩し、今にも立ち上がらんばかりに逃げる伊角。もちろんヒカルが逃がすはずもない。
「揉んであげるってっ」
「いいからっ」
ギャアギャア騒ぐ二人を、周りの棋士たちは微笑ましく見守っている。
そう、たった一人、碁盤の向こうに座っている和谷を除いて。
「って、オレっとホント、心狭いよなぁ」
ため息が零れる。
些細なことだ。ただ、仲のいい友人同士がふざけあっていただけなのに。
「ん、何が?」
台所でコーヒーを入れていた伊角が、カップを手に戻ってくる。
「なんでもないっ」
隣に腰掛けてくる伊角に背を向け、和谷はぶっきらぼうに言い放つ。
その視界の角に、白いシャツが映る。
鼻腔を擽る、甘いコーヒーの匂い。
「……なんでもねー」
もう一度、繰り返す。
背中に触れてくるもうひとつの体温。それは、自分しか知らないもの。撫肩という彼の白い肩だって、間近で見て触れることができるのは、俺ひとりだから。
「そっか」
伊角は笑う。
これがいつもの、日常生活。