雲の旗手 清明の空高く
「・・・・・今夜は、そんなこと、言わないから・・・・」
広い胸に顔を埋めながら消え入りそうな声でぽそりと言うと、
「・・・・本当に？」
すんなりとした腕に、力の限りに抱き締められた。
「だから、本当だって・・・・」
苦しくて、思わず顔を上げると。
「・・・ん・・・」
湿った唇が、すかさずあたしを捉えて離さない。
何度も角度を変えて、あたしの奥深くまで降りて来ようとするかのような口付けに、徐々に足下から力が抜けてしまって、そのまま、力強い腕に抱き留められた。
「ちょ、ちょっと・・・・」
高彬は、何も言わずに、優しくその場にあたしを組み敷いた。
まさか、まさか、今ここで！！？？
そんなの、こんなところでそんなことするなんて、そんなのイケナイに決まってるじゃないーーーーーっ！！
「たっ、高彬、オチ、落ち着いてっ！こんなところで、そんなこと・・・・」
そういう自分の方がよっぽど我を失いながら、あたしを閉じ込めるかのように顔の両脇に着いた長い腕の下でくるりと方向転換をすると、小動物のように高彬の下から逃げ出した。
抜け出た袿の裾を、ハシっと掴まれる。
高彬は、それ以上あたしが遠ざかることを許さずに、髪の先を手繰り寄せながら悠々とあたしに近付いてくる。
「この状況で、お預けなの？」
言いながら、すらりとした上背を屈めて、心持ち上目遣いであたしの顔をじっと覗き込んできた。
ちょっと！！やめてよ、そんな犬みたいな言い方！
あたしはあんたの飼い主じゃないんだから！
「あ、当たり前でしょ。何考えてんのよ、ここをどこだと・・・」
「釣り殿」
それが何か、と言わんばかりの冷静な口調で切り返されて、あたしはますます、かああっと頭に血が上った。
「分かってるんじゃない！ダメに決まってるでしょ！」
言いながら、内心の動揺を必死で隠してアタフタと立ち上がると、もの凄い力でその手を掴まれた。
たまらず、あたしはその場に尻餅をついてしまう。
その隙を逃さずにサッとあたしに覆い被さると、高彬は、すんなりとした腕で、痛いほど強く抱き締めてくる。
「ちょっ、ちょっと高彬、ホントに駄目だってば・・・」
ぎゅうぎゅう抱き締められながら、息も絶え絶えにそう言うと、
「・・・・どうしても？」
あたしの髪に顔を埋める高彬の口から、ポツンとくぐもった声が落ちて来た。
その声音には、こんな日の高い時間に聞くはずのない熱がこもっていて、あたしはますますパニックになってしまう。
ちょっとーーーーーーっっ！！！
ホント、もう止めてよ、あたし、あんたのそういう声聞くの、まだ慣れてないんだから！！
なんの心構えもなく聞いちゃうと、思考が停止しちゃうんだから。
だいたい、どうしてこんな昼日中から、しかもこんな場所でソノ気になれるっていうのよ！？
あたしたち、あたしたち、ほんのつい10日前まで、清い関係の幼馴染同士だったのよ！？
なのに、あんたのその豹変ぶりはなんなのっ！
いつもの、ウブで照れ屋な高彬はドコに行っちゃったのよーーーーっ！！！
そうやってあたしが混乱の極みに居るあいだにも、高彬は容赦なくあたしを抱く腕に力を籠めてくる。
「もうっ・・・苦し・・・・」
「瑠璃さん」
前触れもなくこめかみに口付けられて、思わずギュッと目を瞑った。
高彬は、腕の中で縮こまるあたしの髪をそっと掻き上げて、薄闇に溶けてしまいそうな息の多い声で囁く。
「この状況でダメだなんて・・・どれだけ男に酷いことを強いているか、分かってる？」
「そっ・・・・そっ・・・・・！」
そんなの、オンナのあたしに、分かるワケないじゃないのーーーーっっ！！
それ以上は何も考えられず、身体中の水分が蒸発してしまうんじゃないかと思うくらいに熱い頬のままで高彬を見上げると、熱を帯びた薄っすらと赤い目元が徐々に近づいてきて、あれよあれよと言うまに口付けられた。
「・・・ん・・・」
予想以上に強引な口付けに、苦しくて思わず声を漏らすと。
背中に回った腕にグッと力が籠って、あたしはもう一度、やや強引にその場に押し倒された。
「高彬、だからダメだって・・・・」
真っ赤な顔のまま、泣きそうな声で言うと、
「無理。もう限界」
にべもなくそう言って、高彬はもう一度、あたしの唇に接吻をした。
「二日も我慢させられて・・・・・もうどれだけ待ったと思ってるの」
唇を離すと、高彬は熱の籠った、だけど、獲物を狙う鷹のように鋭い目で、ピタリとあたしを見据えたまま、低い声でそう言った。
「だっ、だから、暗くなるまで待ってって、言ってるだけじゃない。今日は、・・・・あたしだって・・・」
―――拒んだりなんて、しないわよ・・・・
最後まで言うのはさすがに恥ずかしくて、間近で見つめる瞳から目を逸らしてもごもごと言うと。
高彬はつと唇を滑らせて、あたしの首筋を甘く噛んだ。
「・・・つっ」
「・・・・・無理。夜までなんて待てない。それくらい」
瑠璃さんが欲しくてたまらないんだから――――
熱に浮かされたような瞳でそう言われて、あたしは、まるで魅入られでもしてしまったように目が離せない。
胸元の合わせにそっと長い指が掛かる感触がする。
ああ、止めなくちゃ瑠璃。だって、ダメよ、こんなところで・・・・
頭ではそう思うのに、金縛りに遇ってしまったように、指先ひとつさえピクリとも動かない。
「瑠璃さん・・・・」
ますます熱の籠った声で、名前を呼ばれる。
あたしは、ぎゅうっと、固く固く目を瞑った。
もう、いいわよ、どうなったって知らないんだから――――
観念して、身体の力を抜いたその時。
「瑠璃さまあぁ！姫さま、どちらにいらっしゃいますの！？」
必死であたしを探す小萩の声が、唐突に耳に飛び込んで来た。
珍しく乱れた足音とともに、その声は間違いなく、こちらに近付いて来る。
「・・・・・小萩が、探してる」
高彬に抑え込まれた格好のまま、目を見開いて微動だにせずに言うと、
「・・・・うん」
高彬も、あたしを組み敷いた態勢のまま、至近距離であたしを見つめ、無表情で答えた。
一瞬の間のあと。
「どいて」
「うん」
あたしたちは、お互いに、何事もなかったかのように淡々と身体を起こし、少しだけ乱れてしまった衣をそれぞれに整えた。
そうしている間にも、必死であたしを探す小萩の声と乱れた足音は、ますます大きくなる。
「姫さま！！」
息を整えて何とか立ち上がったそのタイミングで、柱の影から息せき切って小萩が現れた。
「こんな所でなにをなさっていらしたのですか！！もうすでに高彬さまがおいでになっているのですよ！さあ、早くお部屋に・・・」
一人でまくし立てて、あたしを引き摺って行きかねない勢いで手を引っ張ろうとした小萩は、何気なく部屋の奥に目を向けて、驚いたような声を上げた。
「まあ！高彬さま、こちらにいらしたのですか」
今の今まで全く気付かなかったようで、慌てた様子で頭を下げる。
作品名：雲の旗手 清明の空高く 作家名：玉響女