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綾瀬しずか
綾瀬しずか
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あゆと当麻~真夏のファントム後編~

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屋敷に戻る途中、亜由美は言った。
「このこと、当麻に黙っていてほしいの。何もしていないけれど、念には念を押したほうがいいから。私が何か言っただけで当麻は怒るだろうから」
亜由美は怖そうに肩をすくめた。実際は怖がってなどいないのだろうが。
屋敷の中に戻ると居間に当麻達が戻ってきていた。もう夕刻だった。当麻は征士と亜由美が一緒のところを見て眉をひそめ、思わず立ちあがった。
「何かあったのか?」
「いや、何も」
征士が答える。
「それならいいが。調べはついたのか?」
「いや、当麻達は?」
「興味深い記事を見つけた」
当麻がやおら言って記事のコピーを取りだした。
「動物の虐殺事件・・・ね」
のぞき込んだ亜由美が呟く。
首を突っ込んできそうな亜由美に鋭い視線を送るが亜由美は一向に気にしない。話を聞くぐらいなら大したことはないだろうと思っているのだ。
「僕もその話を近所の人から聞いたんだよ。犬が惨殺されて首から下しか見つからなかったって」
伸がようやく手にした情報を披露する。
「惨殺された首のない犬・・・と五月の夢の犬とどう関係があるのだろう?」
征士が首を傾げて考え込む。
「犬神、じゃないかと思うの。もしかして見当違いだったら申し訳ないのだけど。この家は今、呪われているんじゃないかしら?」
さすがは伝奇学者の孫娘だ。ナスティはそう言った視点も持ち合わせていた。当麻はそっと亜由美の顔を見ると神妙な顔つきをしている。当たっている、というわけか。当麻は一人心の中で呟く。亜由美にはほぼ何かが分かっていたようだ。
「それで明日は呪いについてと呪詛返しを調べようかと思うのだけど、もっとてっとり早く誰かにお祓いを頼んだ方がいいのかしら?」
ナスティがそう言うと堅く閉じていた亜由美の口が開いた。
「他の人じゃだめ。たぶん、伊達家の人でないと返せない。呪物の在処を探すのが先決だわ」
自分なら返せるかも知れない。けれども、力を使うことは当麻に禁じられているし。それに伊達家の物が処理することで太刀打ちできないと示せるのだ。
だから相手と対峙するのは征士でなくてはならない。
「探してどうするのだ?」
征士が問い返す。
「きっと犬の首が埋まっているわ。だからそれを掘り返せば呪詛返しになる。それで十分よ」
「でもさ。どうやってそれを探すの?」
伸が問いたげに亜由美を見てそれを当麻が見咎める。
「こいつには手を出させない。そういう約束だろう?」
不機嫌そうに当麻が言う。ごめん、と伸が謝る。
「謝るほどのことじゃないさ。こちらもいい方がきつかった。悪い」
「やはり、呪いのかけ方を勉強するのが一番のようね」
脱線しかけた話をナスティが戻す。
「そうすればどこに呪物があるかわかるはずよ。攻撃は最大の防御だもの」
ナスティの言葉に当麻もうなずく。
「一日中、新聞のちっこい字おっかけてさすがに疲れた」
そう言って当麻が首をこきこきならしながら回す。
「疲れているだろう。今、茶を持ってこよう」
征士が台所へ向かう。
当麻が亜由美をじっと見る。
「どうしたの?」
「いや。なんでもない」
つい、と顔をそむける。亜由美が怪訝な顔をする。言えるわけがなかった。征士と一緒にいる亜由美を見て、嫉妬にかられたとは。亜由美はなんの警戒心も持たず、征士のそばに立っていた。仲間なのだからそれは自然なのだろうが、今の亜由美は基本的にひどくそばに人を寄せるのを嫌っている。
一定の距離から近づけないと伸がこぼしているほどだ。
当麻でさえも最近は避けられている。今、亜由美と当麻がこれほど近くにいられるのはこの問題が起こっているせい。この事件がなければきっとまだぎこちない雰囲気のままだったろう。
それなのに、征士はなんの問題もなく立っていた。妙に似合っているのが腹立たしかった。
そこは俺のいる場所だ。
思わず叫びそうな自分をぐっとこらえたのだ。亜由美は当麻の顔をぐいっと自分の方に向けた。
「なんでもないならそういう顔をしてよ」
「疲れているんだ」
冷たく言い放ってから当麻はしまったと思った。亜由美はその冷たさに一瞬言葉を失った。どこか傷ついた光が亜由美の瞳に走った。
「あゆ」
申し訳なさそうに名を呼ぶ。亜由美は瞳の色を隠すようににこっと笑う。
「ほら。座って。肩もんで上げるから」
亜由美が当麻を座らせると背後に回る。そうして当麻の首筋、肩をもみほぐす。首の緊張がほぐれてくる。
ふぅ、と息を吐く。
「まったく。当麻はいいよ。そうして疲れを癒してくれる人がいるんだから」
伸がうらやましげに言う。
「なら、伸もはやく彼女でも作るんだな」
当麻が笑う。
「伸もあとでもんで上げるから待ってて」
当麻の後ろから亜由美が声をかける。
「気持ちだけ受け取っておくよ。あゆを取ったら当麻に殺されそうだから」
半ばからかうような口調で伸が言う。
「当麻が伸を殺すわけないじゃない」
亜由美がおかしそうに笑う。
「だといいけどね」
伸が肩をすくめる。
「当麻?」
ふいに押し黙った当麻に声をかける。
あ、ああ、と当麻が答える。それから亜由美のもんでいる手に自分の手を重ね、ぽんぽんと叩く。
「サンキュ。楽になった」
そう言って立ちあがる。
「気分転換に外に出てくる。あゆは伸の肩をもんでやってくれ」
そう言うとすたすた出て行く。
まいったな。歩きながら当麻は額をおさえる。どうも感情的になっている。今の自分は何をしでかすかわからない。
ただの子供のような焼餅なら笑って飛ばせるが、焼けるような嫉妬となると手がおえない。伸に親しげにあゆが声をかけただけで嫉妬してしまっていた。あゆが皆と関係を改善させることを望んでいるのに、だ。あゆの頑なな態度を助長させているのは案外自分かもしれない。当麻は苦笑した。

当麻はその日、夜中になるまで帰ってこなかった。
襲われたらどうするのよ。
亜由美は苦々しく思った。
探しに行こうとしたが、伸に止められた。
一人にしておいたほうがいい、と。いらいらと亜由美は布団の中で寝返りを打った。声なき声が耳につく。
塩は家の守護を助け、雑鬼は入れなくなった。だが、当の元凶はあきらめたようではなかった。
屋敷の周りに悪気が幾重にも取り巻いている。憎しみの声が木霊する。相手は案外しつこいみたいだ。この調子ではいずれ家の守護を破って狙ってくるだろう。憎しみがひときわ征士に向けられている。おそらく、企みを阻むものとしてまた伊達家の人間として狙われたのだろう。明日、それとなく言うべきかもしれない。喉が乾き、台所へ水を飲みに起きあがる。
台所で征士と出会う。
征士はコーヒーを入れて飲んでいた。
「どうしたのだ?」
征士が尋ねる。
「そっちこそ」
「うむ。何やら胸苦しくてな。飲むか?」
コーヒーカップを掲げて尋ねる。
「これ以上、眠れなくなったら嫌だから、遠慮しておく。ミルクでもあるかな」
亜由美の言葉に征士が冷蔵庫を開けてコップにミルクを入れて渡す。
「ありがと」
言葉少なく受け取る。
「当麻の事を気にしているのか」
征士が静かに問う。
「それもあるけれど・・・他に気がかりなことがあって」
軽くため息をつくと現状を告げる。
「次に狙われるのは、私、か」
一 人、呟く。