あゆと当麻~真夏のファントム後編~
「気をつけて。相手は存外に強いかもしれない。今はこれしか見えないけれど」
「いや、十分だ。結局世話になっているな」
「すくなくとも力を使っていないから、いいんじゃない?
今のところ私はノータッチと言うことにしておいてくれたらいいから」
「ああ。だが、やはり当麻に悪い」
征士が苦笑する。
「しかたないよ。状況を把握できるのは私だけなんだから」
亜由美がしかたなそうに言う。
「私はこれで休むが、あゆは?」
「当麻がお腹すかせて帰ってくるかもしれないから、もう少し起きてる」
「それではあまり夜更かしをせぬように」
そう言って征士が出て行く。
はぁ、とため息をつく。
当麻の馬鹿。こんなときにどこほっつき歩いてるのよ。
当麻は屋敷の門に背を預けて夜空を眺めていた。
皆が心配するだろうと思って帰ってきたが、どうも家に入りづらい。
どんな顔で征士や伸と顔を合わせたら?
だが、こんな時に惑っているわけにはいかないのに。考え込む当麻に誰かが近づいた。
「いい加減、戻ったらどうだ? あゆがお前を案じて起きている」
「征士、か。知っていたのか」
「ああ。そこにいるのは知っていた。
いつ戻るか待っていたが、このままでは帰ってこないような気がしてな。ナイトがいないと姫君が嘆いているぞ」
「征士がいれば問題ない、さ」
皮肉げに当麻が言う。
「何?」
征士が眉を上げる。
「いや、独り言だ。気にしないでくれ。あゆはどこに?」
戻りながら尋ねる。
「さきほどは台所にいた」
「サンキュ」
軽く礼を言うと屋敷の中に戻り、そのまま台所へ向かった。
亜由美はからになったコップを所在無さげに見つめていた。人の気配に顔を上げる。
「どこほっつき歩いていたのよ」
安心したような、それでいてどこか腹立たしい表情をして亜由美が言った。
「悪い。ちょっと野暮用でね」
「お腹すいてるでしょう? 待ってて」
コップを流しに置く。後ろから当麻が亜由美を抱きしめる。
「一人にして悪かった」
「別に。用事があるならしかたないじゃない」
亜由美が当麻の手に手を重ねる。
「俺って時々、本当は大馬鹿者だと思うことがあるよ」
頼りなげに当麻が呟く。
「実際、大馬鹿者だと思うけれど? こんな時に、しかもよりによって夜中までほっつきあるいてるんだから。何かあったらどうするのよ」
「悪かったと言っているだろう?」
違う、と亜由美は頭を振った。
「危ないのは私じゃなくて、当麻のほう。夜は危ないから」
夜の闇は悪しき者の動きを助長する。
「そんなに状況が悪いのか?」
「かなり、ね。今は感覚をセーブしているから最低限のことしかわからないけど。征士がねらわれている。正直どうしたらいいかわからない。ナスティを調査に行かせて良いのかどうか・・・。相手は早めに出てくるかも知れない。それならその時に征士達がいてくれた方が助かる、と思うの。調べても出来なければ意味がない。ならば相手が打ってくるのを返せばいい」
「どうすれば返せる? 掘る以外にはないのだろう?」
当麻が尋ねる。
「もうひとつ方法がある。術者が返す方法」
だめだ、ととっさに当麻が声を上げる。
「わかってる。今回は一番前に出て行くつもりはない。五月ちゃんに聞いたけれど、伊達家には退魔の太刀というのがあるらしいの。さっき征士に状況を話したからきっと征士はそれを持ち出すわ。それでやっつけてもらうの」
堅かった声が少しずつ明るさを取り戻してくる。演技している明るさではなくて本来の明るさが戻ってくる。その声を当麻はほっとして聞く。まだ亜由美は自分のからに閉じこもっていない。大丈夫だ。今を大切にいきれば未来がある。ナスティの言葉を当麻は心の中で反芻した。神妙な気持ちでいるのにそれをちゃかすかのように当麻のお腹がぐぅと鳴った。
二人は小さく声を立てて笑いあった。
その翌日の夜、居間に当麻達はくつろいでいた。
征士が刀の手入れをしている。亜由美は五月とナスティとあやとりで遊んでいる。
「征士、今日はずっとその刀を持っているけど、何か意味があるのかい?」
伸が興味深げに問う。
「ふむ。これは退魔の太刀でな。お祖父様のコレクションから借り受けてきた」
征士は今朝借りにいってきたときのことを思い出していた。征士は包みかくさず、状況を話した。祖父はなにも言わず、退魔の太刀を貸した。征士は祖父は何もかも知っていたのではないかと思った。なんでも見透かすような祖父には驚かされる。部屋を退出する間際、祖父はこう尋ねた。
「あの娘はお前にとってどういうものなのだ?」
誰、とは征士は聞かなかった。ナスティを指し示しているのはわかっていたからだ。
「私の大切な人、です」
振り向いて微笑むと征士はそう答え出ていった。祖父はそれ以上何も言わなかった。
「ふぅん。って何もわかっていないの、僕とナスティだけのようだけど?」
伸が尋ねる。
落ち着きを取り戻した当麻は突然、調査を中止すると言うし、征士は退魔の太刀なんか持ち歩いている。亜由美はただ黙って五月の側から離れない。
折角、共にいるのに仲間はずれにされるのは気分的に良くない。確かに自分は戦いという物を毛嫌いしているが、仲間の危機を見過ごすような人間ではない。けれどもナスティは一向に気にしていないようだった。信じる力というのはナスティの方が上手なのかもしれない。伸は心中で苦笑いをする。
その時、ふいに亜由美が顔を上げる。
張りつめた空気が空間に漂い、伸は戸惑った。
来た。
亜由美は顔を上げると立ちあがった。毛糸が手から離れる。
急激に温度が下がった。腕に鳥肌がたつ。
思っていたよりも早めに相手は出てきた。
「五月ちゃん、部屋に戻って。それからいいと言うまで外にでないこと」
そう言うと今度は征士の名を呼ぶ。
うむ、と言って征士は立ちあがって抜き身の刀を構えた。すでに右目で見えるよう髪をしばってある。
五月は理解した。あれが来るのだと。
もう、逃げるのは嫌。
五月は思った。兄やあゆのように強くなりたい。
「私、ここにいる。ちゃんと見る」
五月が答える。
わかった、と言って亜由美は小さく笑うと五月を当麻に預ける。
「そこで見ていてね。伸はナスティをお願い」
有無を言わさぬ声に当麻と伸が従う。
唐突に電気が消える。
ぞわり、と背中にふるえが上がってくる。
漆黒の闇。一寸先も見えない。まるで異空間に閉じこめられたかのようだ。
暗闇の中、何かがうごめく気配がする。
小さな気配はぶんっと急に大きくなった。
ゆらり、と壁から出てきた大きな黒い犬の目が怪しく光る。目だけが突出して光る。
その目が征士をギロっと見た。
五月は叫んでいた。
「兄様! 右手!」
征士はその声に体を動かすと迫ってくる物に向かって刀を振り落とした。
ザンッ。
刀がそれを真っ二つにしたかと思うと、それは霧散して征士の周りを取り囲んだ。
「なに?」
刀がからん、と床に落ちる。
征士の体に力が入らない。何か粘着質の物で縛られているかのようだ。
「砕っ」
亜由美の鋭い声が響く。
征士にまとわりついていたものが亜由美の気を察して離れ、再び犬の形をとってひゅっと消えた。
「逃がすか・・・っ」
征士が落ちた刀を手にして部屋の外へ追う。
作品名:あゆと当麻~真夏のファントム後編~ 作家名:綾瀬しずか