あゆと当麻~Memory~
敬語でない声に思わず、尋ねる。
「思い出したのか?」
"ううん。そうじゃないんだけど。あ・・・ごめんね。ただ、当麻の声が聞きたくて。迷惑だった?"
「いや。俺も声が聞きたかった」
深い思いを乗せて当麻は言う。当麻、といわれただけひどくうれしかった。
さんづけでない、呼び捨てが心地よかった。
あゆと当麻。これが一番しっくり来る呼び名だった。
"えっと・・・その・・・"
きっと自分が同意して亜由美は戸惑ったのだろう。
電話の向こうで顔を赤らめているであろう亜由美の顔を思い浮かべた当麻の顔に笑みが浮かぶ。
「そっちは、どうだ?」
静かに尋ねる。
"うん。海があってね。すっごく大きくて。気持ち良くって。それですっごく、ほっとした"
言葉を探しながら答える亜由美の声をいとおしく思いながら当麻は答える。
「よかったな」
電話の向こうで亜由美がうれしそうにうんと頷く。当麻の方は?と尋ねる声に当麻は一日の出来事を話した。
二人ともはしゃぐでもなく、静かに言葉を交わす。
二時間ほど話して名残惜しそうに二人は電話を切った。
亜由美は萩の街を楽しんだ。
観光し、遊んで回る。
まるで電話で報告することを探しているように。
当麻も亜由美も夜遅くに電話で話した。
たわいのない、新聞のことやテレビのこと、出された夕食のこと、学校であったできごと、萩で体験していること。
節操もなく二人は話し続ける。
話題が尽きると名残惜しそうに電話を切る。
そんなやりとりが何度か続いた。
そうして突然、亜由美は土産を山のように抱えて帰ってきた。
当麻の姿を見とめると一目散に駆け寄る。
勢いあまってつんのめりそうになった亜由美を当麻が笑って抱きとめる。
「浮上したな」
「うん」
「よし」
見つめ合う二人の後ろから伸が声を出す。
「感動の再会はいいんだけど。ここには僕達もいるのをお忘れなく」
その声に亜由美は顔を赤らめる。
「別にいいだろう? こいつは俺んのだと言っておいたはずだ」
当麻が抱く腕に力をこめる。
「当麻。お土産がつぶれる」
腕の中で抗議を受け、しぶしぶ当麻が解放する。
「ただいま、です」
「お帰り」
伸が答える。
「帰ったのか」
征士も心なしかうれしそうに出迎える。
「お土産の配給でーす」
明るく土産を出す亜由美の後ろ姿をうれしそうに当麻が眺める。仲良く笑いあう姿にほっとする。
が、どこか心の中に不安があった。
ふっと瞳が曇る。
その様子を迦遊羅は捕らえていた。
大丈夫そうに見えてそうでない当麻。
自信に満ち溢れた態度の奥に秘められた苦しみ。
どうしたものかしら?
迦遊羅はひとりごちた。
迦遊羅はわざと小さく物音を立て、部屋を出た。
亜由美が気づくことを祈って。
亜由美が記憶を失ってから当麻がどこか考え込みがちなのを亜由美以外の誰もが知っていた。
亜由美の前ではいつもと変わらない当麻だったから気づかないのも当たり前だったのだが。
当麻は最近夜更かしをするようになっている。
予想通り、当麻はビデオを見ていた。
異国の言葉が流れる。
「また、夜更かしをしていたのですね」
迦遊羅が軽くため息をついて言う。
「俺は元々、夜行性なのでね」
当麻が軽くかわす。
「皆、きづいていますよ。最近の当麻が普通ではないことに。もっとも姉様の前ではうまく誤魔化されていますが」
当麻が黙り込む。
「姉様に一人で抱え込むなと言っておいて今度はあなたが一人で抱え込むおつもりですか?」
亜由美は扉の向こうで息を潜めて会話を聞いていた。
「せめて。私達の前では言えませんか?」
迦遊羅が言う。
ふぅ、と当麻はため息をついてぽつりと言う。
「俺は自信過剰だと言われるぐらいだが、実際はそうではない」
怖いんだ、と短く言う。
迦遊羅がじっと聞く。
「俺とあゆは生まれる前から何度もであってお互いを選んできた。だから何があってもあゆは俺を選ぶと信じている。たとえ、記憶がなくなろうとも何度でも選んでくれると信じている。だが、そんな俺でも怖いんだ。もし、俺でなく、他の誰かをあいつが選んだとしたら」
ここで一旦言葉を区切る。
「だとしたら?」
迦遊羅が促す。
「俺は、耐えられない。気が狂ってしまうだろう」
震える声で言うと当麻は深く頭をたれた。
しん、と静寂が二人を包む。自分に言い聞かすように当麻が言葉を継いだ。
「だが、そんなことを言ってどうする? あいつを追い詰めるだけじゃないか。俺の思いを押し付けて気持ちを強要するのは嫌だ。あいつが自分から俺を選んでくれなくては意味がない」
当麻が力なく言う。
と同時に黙って聞いていられなくなった亜由美が部屋に飛びこみ、当麻の前にひざをつく。
「どうして。黙っていたの? 当麻と私が決めたんでしょう? 楽しいことも、悲しいことも全部、話し合おうって。当麻そう教えてくれたじゃない。それなのに私に黙っていただなんて、ひどいよ。当麻が苦しむなら私も一緒に苦しみたい」
一気に言葉を吐く。
あゆ、と当麻が顔を上げた。
瞳はいつもと違って痛々しい光を放っている。
亜由美は思わず、胸に当麻を抱いた。力なく当麻は頭を亜由美の胸に預ける。
「ちゃんと話して。一緒に考えるのでしょう? 私、当麻のこと好き。前のことは覚えていない。
でも、今の私も当麻のことが好き。一生懸命考えてくれる当麻が好き。気づいたら当麻のことが大好きだった。だから何でも話して」
所在無さ実にしていた当麻の両手がおずおずと亜由美の背中に回される。その様子に迦遊羅が部屋を出る。
この姉にしてこの将来の兄だ。まったく世話が掛かる。
部屋を出るとそこにはナスティ、伸、征士が立っている。
「ご苦労様」
伸が笑う。
「本当に世話の掛かる兄様と姉様です」
そういう迦遊羅の顔も笑っていた。
「お前、やっぱり、俺を選んでくれたんだな」
考え深げに当麻が言う。
「当たり前でしょう? こんなに想われて嫌いになるほうがおかしいよ」
そう言って当麻の髪にそっと口付けする。
くっ、と当麻の喉の奥が鳴った。
「当麻?」
亜由美が尋ねる。
「悪い。そうとう参っていたようだ」
震える声でそう言って黙り込む。当麻の肩がわずかに震えていた。
亜由美が当麻を抱く手に力をこめる。
しばらく二人はそうしていた。
さて、と亜由美は床に座り込み当麻の顔を覗き込んだ。
「ちゃんと話してもらうよ」
「お前、さっきの会話聞いていたんだろう? だったらいいじゃないか」
今更、同じ事が言えるか。
当麻はぶっきらぼうに答える。
だめ、と亜由美が強く言う。
「何でも話すんでしょう? 妹に言えて、どうして私に言えないの? 私より彼女の方が大事?」
「なわけないだろっ」
その言葉に当麻が声を荒げ、悪い、と言って口を押さえる。
「じゃぁ。私に言って」
亜由美は引き下がらない。当麻がしかたない、いった風に口を開く。
「だから、俺は怖い。お前が他の誰かを選ぶような気がして。そうなったら。俺は気が狂う」
短くスタッカートのように言葉を区切って当麻が言う。
亜由美はにこっと笑う。
「当麻を選んだよ。いつだってきっと当麻を選ぶ気がする。だからもう怖がらなくていい」
その言葉に当麻は胸を熱くする。
片手で亜由美の頬に触れる。
「なぁ、キスしていいか?」
作品名:あゆと当麻~Memory~ 作家名:綾瀬しずか