鳥籠
弐
父は、良く働く人であった。
母は、幼くして亡くしたので良くは憶えていない。
これが、私の両親である。
私の父は『風影』といって、この砂の国における忍びの頭のようなものである。その地位は高く、国の一角を治めるに値する。実際にはこの国をすべて統治しているといっていいだろう。
そんな父が一番に欲したのは、才能と呼ばれる武器である。
次代に繋ぐ才能。この国の確固たる立場を確立し続けるための才能。堅牢な守りのための才能。
そして、自身の立場を揺るぎなくするための才能。
そんな才能と呼ばれる力を、彼は渇望した。
だが、そんな彼の期待を裏切るように、初めての望まれた子は女児だった。
私である。
女では、どんなに才能があっても、たどり着けるラインは決まっている。そして、私にはその限界を凌駕出来るほどの力は備わっていなかった。
二番目の子は男児であったが、父はもっと絶大な物を欲していた。
そして三番目の子―
その子の存在は、まさに父の力に対する執着心といっていいだろう。
彼にはどうしても、彼のための兵器が必要だったのである。それは愛国心や、統治者としての国の先行きを思ってのことだったのであろうが、その強い思いが大事なことを見落とさせてしまったのかもしれない。
父の急く心がこの弟を生み出した。
我が里には代々伝えられた封印があった。
古びた茶釜の中に封じられた生き霊。
その驚異的な怨霊の力を、父は利用しようと考えたのだ。父は、身籠ったばかりの母に術を行使した。
憑依の術を。
そのせいで母は壊れてしまった。
父は愛する妻より力を取ったのだ。
その事実が悲しい。
母は、一体どんな思いでいたのだろうか。いつもそんなことを思い描く。
今自分の中にいる我が子が、化け物だと知っていて産まねばならぬという状況。それはとても耐え難い恐怖だ。逃げようにも自分の腹に宿っているのだから。
私は女だから、とてもよく分かる。
悲しいことだ。彼女は産まれてくる我が子を見る前に死んでしまった。
残したのは、死の間際に語った我が子の名。
―我愛羅―
周りの大人の言う言葉を信じるなら、けしていい名前ではないと思う。
―オノレシカ アイセヌ オニ―
本当にそうだろうか。
本当は彼女には分かっていたのではないだろうか。産まれてくる子は確かに我が子だと。化け物ではないと。呪わしい力を、無理やり背負わされただけの赤子であると。
このような文字をあてたのも、二つの思いに挟まれた結果ではないかと私は思う。だが、そういった可能性を、今更言ったところで、『彼』はもう聞くことはないだろうが。
少なくとも、まだ幼いころの我愛羅は皆の言うような狂気には囚われてはいなかった。
私はほんの少しだけ、幼い彼に会ったことがある。
小さな白い手が、扉の隙間からほんの少しだけ覗いていたあの時―
私は不満だった。
それは母さんに会えないこと。母さんは、弟を産んで死んでしまったらしい。でもそれは、周りの大人たちの言うことだ。実際私は見ていない。
そりゃその時二歳だったから分からないだけかもしれないが、それにしたってあんまりだ。母さんのことは何一つ教えてはもらえないのだから。
私はもうすぐ八つになる。もうアカデミーに入学したし、立派な忍びとして自立した生活も送っている。
入学と同時に買い与えられた居住区はとても満足のいくものだ。(さすがに何もかも一人とはいかないので、時々決まった時間帯に身の回りのことを世話してくれる者がくる。だが、それももうすぐなくなるだろう。そうなれば立派に自立したということを認めてもらえたということだ。) 父にはそういった金銭面であることのほかでも、わがままに育てられていると思う。
成績も優秀で通っているし、物分りもよく母親譲りの容姿も手伝って甘やかしたくなるのだろう。事実父は私の前では甘い。
だから尚更不満なのだ!
なぜいろいろ教えてくれないのか。母さんの写真はほんの数枚残っているだけだ。何一つ詳しいことは教えてもらっていない。
もう居なくなってしまった母親の思い出を少しでも知りたいと思うのは、子供のごく自然な欲求ではないか。なのになぜ父は母のことになると貝のように口を閉ざしてしまうのか。それが分からない。
そして一番下の弟のこと。産まれたということは知っていたし、名前も聞かされた。随分といかめしい名前だなぁ、ということを感じたが、それは父の期待の表れかとも思っている。一度も面会が許されないのがその証拠だろう。
そう一度もだ。
生まれたという話を聞いてからこのかた、一度もその姿を見たことが無い。寵愛か、それとも私たちに何かを隠そうとしているのか。父の真意が分からない。
だから私はそのもくろみを打ち破ってやろうと、この何も無い真っ白な廊下を歩いている。
壁が冷たい。
油断すると乾いた足音が反響してしまうので、慎重に歩かなければならなかった。壁に手を着き誰かに見咎められはしないかと緊張で胸がドキドキした。
ここに居るという確証はないが、立ち入ることを許されなかった区画はココだけなので、きっとここに違いはないだろう。
だが一向にそれらしい部屋すら見当たらない。この長く退屈な廊下が延々と続くだけだ。
もう引き返そうか…。そんな考えが過ぎる。この次の角を曲がって何も無かったら、そうしよう。そう心に区切りをつけて、目の前に来た角を曲がった。
「………あっ…た……」
ため息とともに声が出た。
廊下の行き止まりに一つの扉があった。緊張に気持ちがはやるが、一歩一歩確実に、慎重に扉まで歩いた。ここで失敗したくなかったのだ。
扉まで近づくと、中から幼い声が語りかけてきた。
「そこにいるの、誰?」
「ぁ……あんたこそ誰よ。あんたが我愛羅?」
「……………………」
「あんたが我愛羅じゃないなら、私はこのまま帰るだけよ。私が用があるのは我愛羅だけ……」
シュッと軽い音を立てて目線のすぐ下にある小さな引き戸が開いた。
「……お姉さん誰?」
隙間から覗いたあどけない瞳に釘付けになる。
「僕が我愛羅だけど……」
本当に弟はいた。今の今まで居ないのではないかと疑っていたのだ。
「……あんた…………パンダみたい…………」
これが、私の第一印象。ひどい会話だ。
その言葉にビックリしたのか、幼い瞳は動揺に揺れた。
私はすっかり固いものが取れたような気持ちだった。弟は本当にいたのだ。その事実が体の隅々までいきわたっていた緊張をほぐしてくれたようだった。
口の端をほんの少しあげて問いかけた。
「ねえ、ここ開けられない?」
我愛羅は少し狼狽したようだった。
「ぁ……でも僕開けちゃダメって言われてるから……」
「ここだと見つかりそうで怖いのよ。中に入れてよ」
我愛羅は少し戸惑ったが、どうするか決めたようだった。ちょっと待って。そう言い残すと引き戸を閉め、中からガタガタと何かの物音が続いた。しばらくするとカチリと硬い音がして、重たそうに扉が開いた。私はすかさず中に入り扉を閉めた。