【青エク】Vague Hearts
その言葉通りに粉をチョコレートに混ぜ込んでいく。少年のぶっきらぼうな物言いが良いのか、準備が全て揃っているのが良いのか、レシピも何もないのに自分ひとりで作っているよりも落ち着いて出来ている気がした。
「じゃ、こんどは出雲と交代。このメレンゲを三回に分けて入れる。出雲は底からひっくり返して、さくさく切る感じな」
卵白が綺麗に粟立つと、こんなに白くてツヤがあるのかと感心するばかりだ。壊すのが勿体なくて、おずおずとヘラを泡にくぐらせる。ふあん、と儚いような手ごたえを残して、チョコレートの上に落ちた。少女の手がぎこちなく動いて、白い泡がチョコレートの色に染まっていく。やがて滑らかな薄茶色の、そしてふんわりとしたような感じの生地に出来上がった。
天板に湯を張り、その中に生地を流し込んだ型を置くと少年が手際よくオーブンへ入れた。
「一八〇度で五十分くらいな。後は爪楊枝を刺して生地がつかなければ出来上がりだ」
出雲と私は大仕事を終えた、と安堵の溜め息をぶはぁ、と同時に吐く。それが面白かったのか、出雲がくすりと笑った。私も思わずふは、と吹き出した。
協力の報酬は勉強を教えることだったらしい。焼きあがるまでの間、出雲と奥村少年の勉強を端から見ていたが、先ほどまでの手際が信じられないほど少年は勉強が壊滅的だった。出雲が早々に匙を投げ出しそうだったので、流石に私も判る所は教えるのを交代した。
出来上がったチョコレートケーキは、みっしりどっしりとしていた。ふんわりとしたケーキを想像していた私は、失敗したのではないかと不安になったが、この状態が正解らしいと知って驚く。こんなケーキもあるのか。夕飯も近かったが、味確かめとけ、と奥村少年の分を切り分けて試食させてもらった。しっとりした食感と濃いチョコレートの味で少しでも食べでがあるケーキだった。調理がさっぱり出来ない二人が居たのに、失敗していないとは奥村少年に頼んで正解だったと自分を褒めたくなる。
出雲と自分の分はちょうど一人分くらいの型に入れて焼いてもらっていたので、それを食堂のテーブルで一緒にラッピングした。調理よりは得意分野に近いせいか、自分でも惚れ惚れするほど綺麗に出来たと思う。出雲が苦労しているところは手伝った。可愛らしく出来上がった包みを見て、出雲は目を輝かせた。可愛いものが好きなようだ。
奥村少年がケーキを小分けにしていたので、調子に乗ってそっちもラッピングした。出雲とあれやこれやとやっているうちに二人で盛り上がってしまい、過剰とも思えるくらいに飾り付けまでしてしまった。この見た目ではだれも男子が作ったとは思わないだろう、ピンクや赤、白のハートとレースがふんだんに使われたラッピングになった。
「後は渡すだけだな」
奥村少年も、やりきった満足感が溢れる顔つきで言った。
「喜んでもらえるかな」
出雲の口からぽろりと言葉が零れた。可愛く包まれたケーキを手に不安そうな顔をしている。友達でさえそんなに心配になるのだろうか。なんだかそう考えると自分も渡せないような気になってくる。ちゃんと渡せるだろうか。いや、そもそも受け取ってくれるだろうか。
「当たり前だろ」
奥村少年が出雲の額をぴし、とデコピンする。
「ちょっ……、なにすんのよ!」
「お前こそなに言ってんだよ。お前がアイツらの為に頑張ったんじゃねーか。喜ばないわけねーだろ?」
出雲はその言葉に、う、と詰まり、やがてうん、と頷いた。私も何故か一緒にうん、と頷いた。
「で、小分けはなんだったの?」
出雲が額を擦りながら、誤魔化すように尋ねる。
「俺もギリチョコ。醐醍院とか、勝呂達とか」
ぶは、と出雲が吹き出した。
「ちょ、それ渡すの……?」
「お前らがやったんだろ。ま、俺には出来ねーから、助かったけどな」
これ以上はないと言わんばかりに女の子らしくしたラッピングは、いかに奥村青年が直に渡しても、机に置いておいても、あらぬ噂を招きそうだ。いや、逆にネタになるだろうか?
ラッピングの一つに、「Thank you」と書かれたシールを貼った。明るい色の文字が躍るシールで余計に派手になったけれど、目立つ文字ががらりと雰囲気を変えた。
「アンタも貼りなさいよ」
出雲がシールを奥村少年に差し出した。
夕日に照らされた中庭のベンチに座り、溜め息とともにチョコレートケーキを入れた紙袋をふらふらと振る。結局渡せなかった。何度か声をかけようとしたのだが、その度に誰かしらがチョコレートを渡しに現れて、私は結局それを遠くから見ているしか出来なかった。
そうこうする内に下校時間になり、渡したいと思っていた相手は彼女と学校を出た。私はそれも遠くから見送った。
「渡せなかったのか」
いつの間に来たのか、奥村少年がベンチに腰掛ける。私はこくりと頷いた。
あんなに気持ちを伝えたかったのに。伝えようと思った気持ちは嘘ではない。だが、何故か最後の一歩が踏み出せなかった。
「なんでだろーな」
さて。それが判れば、渡せずじまいに終わる事はなかっただろう。
「やる」
奥村少年が小さな包みを差し出す。シンプルな紙袋。「For you(あなたのために)」と小さなシールとリボンがついている。何だろうと封を開けると、チョコレートの小さなクッキーが出てきた。
「友チョコってのもアリなんだろ?」
相手の都合も考えず、自分の要求だけを押し付けた自分を友達だと思ってくれるのか。そのために、このクッキーを作ったのだろうか、この少年は。単純に嬉しかった。
「ありがとう」
そう言葉にした途端、ぱぁ、と目の前が開けたような気がした。それまで何の疑問も持っていなかった。けれど、今改めて周りを見てみれば、こんなにと目を見張るほどに鮮やかな色をしている。冬の夕日が赤く眩しかった。
ああ、何故今まで忘れていたのだろう。
「いったい何時からここに居たのだろうか」
私の言葉に奥村少年は、えーと、と急に困ったような顔をして首を傾げた。
「十五年、です」
植え込みの影から、メガネをかけて膝まである濃紺のロングコートを着た少年が一人出てきた。
「雪男」
奥村少年がメガネの少年に慌てたように声をかける。
「貴方は十五年前に亡くなりました」
「雪男!」
奥村少年は雪男と呼んだ少年を黙らせようと鋭い声を上げた。
「いいよ」
判っていた。いや、今判った。思い出したのだ。そう、私はこの学校の生徒だった時分に死んだ。それも随分昔に。そんなことも忘れてしまったのに、好きだった人に想いを伝えられなかった事だけが気になって、ずっと学園に居たのだ。もうとっくに卒業してしまった人についていくでもなく、大事だったはずの人の面影を無理矢理捻じ曲げて、ここにしがみついていた。
その間抱いてきた想いは、ただ好きと言う気持ちだけ。何も見えていなかった。全て無くした自分。存在しない好きな人。空っぽな好き。それはもう誰かを想う気持ちですらない。
ああ、そうだ。そうだったんだ。
「あのさ……」
奥村少年が呼びかけて、言い淀む。
「大丈夫。思い出した」
心配そうな顔に、念押しするように頷いてみせる。思い出した。そして自分がどうしなければならないか。
作品名:【青エク】Vague Hearts 作家名:せんり