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207号室の無人の夜

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 薄暗い机の下に頭を突っ込んで、土色の瓶を目が乾きそうなほどじっと見つめていた。中身は主におがくずを発酵させた幼虫飼育マットだ。
 瓶の中で、この間まで白い蛹だったものが、赤茶色く成虫らしい姿に変わっていた。すぐには動かない。まだ色が薄いし、見た目がすっかり成虫らしくなってもすぐに土から出て飛び回るわけではない。ゆっくり時間をかけて外に出てくるのだ。
だけど、確実に羽化が進んでいる。完成形というべき成虫の姿が見えてきた。今までで一番大きく育ってくれた。瓶に指を並べて測ったから間違いない。去年の夏頃にしばらく姿が確認できず気を揉んだこともあったけど、沢山食べて大きくなってくれた。クワガタの大きさは幼虫の頃にどれだけ大きくできるかにかかっているが、そこは期待以上に上手くいった。あとは無事に羽化できるかが心配だったのだ。これはいける。
 こみ上げる感動を噛み締め、立ち上がった。感動は分かち合うものだ。
部屋を飛び出すなり駆け出し談話室に飛び込んだ。東西に分かれた二棟の寮にそれぞれ配置されていて、ソファや大きなテレビが備えられている。入り口に貸し切り札を出してどこかの部活がミーティングしていることもあるが、大抵は社交的な生徒が中心になって、自由時間を過ごしている。
 今はもう風呂の時間も終わって消灯までの暇つぶしに、大型テレビでアクション映画を再生しているところだった。
「うおっちセンパーイ!」
 ソファやカーペットの上で思い思いに寛いでいた寮生たちが一斉に振り返った。集まった視線を端から端まで見ても目的の顔は見当たらない。
「うっせーぞー」
「うおっちセンパイ来てません?」
「来てねえよ」
「あれー?どこ行ったんだろ」
「知らねー」
「部屋いねえなら便所じゃねえの?」
 談話室でもない。寮の部屋でもない。談話室を出てペタペタ歩きながら無人の洗濯室を覗き、トイレも明かりがついていないのを確認した。それからなんとなく階段を降りたところで思いついて自習室へ向かった。自分は利用したことがないのでまったく頭になかった。明かりがついているのに静かなドアの前で少し迷って、ノックしてからそろりと顔を覗かせた。
「失礼しまーす……」
 本棚と机と椅子が整然と並んでいる。広くはない室内で机に向かう人影が二つだけ。
「どうしたの、モモくん」
 似鳥と美波が驚いた顔をした。ここにも魚住はいないみたいだ。
「モモくんが自習室に来るなんて……」
「まさか、この間の追試で勉強に目覚めたなんてことねえよな……」
 疑うような眼差しを片手でパタパタ振り払う。
「いやーうおっちセンパイを探してるだけなンすけど」
「だよな」
「もう、びっくりしたよ」
 “自習室と御子柴百太郎”は食べ合わせが悪い。
「魚住くんに何か急ぎの用事?」
「そうそう、そうなんスよ!ピュン吉が」
「ピュンキチ?」
「モモくんが育ててるクワガタの幼虫」
 美波の疑問にはしかめっ面の似鳥が答えた。去年、同室だった間、せっせと世話をしていたのを見ていたからよく知っているのだ。
「羽化したんです!」
「えー、去年のピュン助に比べて時期が早すぎるんじゃないの?」
「似鳥先輩が言ってるのって完全に土から出てくるとこじゃないッスか。埋まったままで蛹から成虫に変わるのが今頃で、成虫の形になってからもしばらくは動き回らないンすよ」
「へぇ」
 素直に感心する美波の隣では似鳥が納得いかない顔をしている。
「それじゃあ今すぐ見せなくてもいいんじゃない?」
「えー、でももう成虫らしい格好になってるンすよ!今回はすげー大きくなったんで早く見せたいじゃないッスか!」
「高校生にもなってそんなので寮駆け回るのはお前ぐらいだ」
「えー!でもうおっちセンパイはクワガタ好きだって言ってましたもん」
 カブトムシの方が好きだとも言っていたがこの際些細なことだ。
 子供っぽく唇を尖らせて主張する。それとは対称的に美波が静かに顔からからかいを引っ込めた。それに気づかずに百太郎が尋ねる。
「っていうか、似鳥センパイたち、うおっちセンパイがどこに行ったか知ってるンすか?」
「ええっ?」
 似鳥の動揺を見逃さなかった。
「やっぱ知ってんだ!勿体つけないで教えてくださいよー減るもんじゃなし」
 悩ましげに唸った似鳥が美波を見上げる。その視線を受け止めて、代わりに美波が答えた。
「プールで自主練してる」
「マジっすか?!それなら言ってくれりゃ良かったのに」
「わざと黙ってンだよ。邪魔すんなよ」
 軽い調子でやりとりしているつもりが、美波のトーンが低い。静かに睨まれると、美形な分凄みがあった。
「そんな、邪魔するつもりじゃ……」
「魚住はモモには知られたくないみたいだけど、言うわ」
「美波くん」
 静止するような動きを見せた似鳥を片手で牽制して話を続けた。
「アイツ、魚住さ、今年が最後の大会なんだ」
 当たり前のことだ。高校三年生なんだから。美波だって、似鳥だって同じことだ。そういう考えを見透かして美波は言葉を足す。
「ウチの部員は強いヤツばっかだから、大学でも水泳部入るヤツ多いけどさ、魚住は進学しない。地元で家業継ぐから水泳辞める予定なんだ」
「辞める?」
「実家だからな、実業団があるわけでもない。出ようと思えば大会もあるだろうが、どっかのチームで競泳やることはなくなるだろ」
「…………なんで、センパイ成績結構いいのに」
「お前と一緒にすんなよ。受かりそうにないから大学行かないんじゃねえよ。実家の仕事だってやりたくてやるんだ」
「でも、うおっちセンパイ、まだまだ泳ぎたいんでしょ?」
「両立できねえからこの夏に悔いを残さないようにやってんだよ。わかれよな。当然、リレーも泳ぎたいって思ってる。お前だって、今年もリレー出たいんだろ?」
 頷いた。中学までは競泳は個人種目にしか興味がなかったけど、去年の夏に泳いだメドレーリレーは価値観がひっくり返るほど胸が熱くなった。誰より早く泳げる自信があるからやりたいんじゃない。あの興奮を味わいたくて、リレーメンバーとして認められたくて泳ぐんだ。あの夏以来、そんな気持ちでいた。
 リレーの枠を狙っているみんな、そういう気持ちなんだ。兄が部長を務めていた年までは純粋にタイムだけで選抜されていたけど、昨年からは立候補者の中からタイムで選抜することになった。個人種目に専念したいならそうしていいってことだ。リレー枠を争うのは、リレーが本当にやりたいヤツってことだ。
 ライバル関係も悪くない。一つの席を巡って争っているからといって仲が悪いわけじゃないし、そうやって高めあう関係はカッコいい。自分がそう思うから相手も同じだと思って疑わず、毎日楽しかった。でも、センパイはそう思ってなかったのか?
 悩むのは得意じゃないのに考えが頭の中で渦を巻き始めて自然と口から唸り声が出た。その肩を似鳥が叩く。
「そんなに気にしなくてもいいんだよ。でもね、魚住くんがこっそり頑張ってることにはそっとしておいてあげてほしいんだ」
「…………はい」
作品名:207号室の無人の夜 作家名:3丁目