アザレアの亡霊
その間、アザレアは退路を探して周りに視線を走らせていた。階段へ至る道は塞がれている。屋上には武器になりそうなものはない―孤児院は柵に囲まれているため、隣の屋根まで飛び移るには、やや距離がある。
「─アザレア、あっち!」
しかしクレアはアザレアが諦めかけた隣家の方を指差して「棒、滑るっ」柵をつかんで滑り落ちれば地上に降りられる可能性を短い言葉に託す。
「―!」
アザレアは素早くクレアが指さした方に視線を走らせると、クレアを抱きかかえたまま勢い良く飛びつき下に降りる。
「逃げられると、お思いですか?」
ユナもそれを追い、庭に降り立つ―
ズズン!
大きな音を立て少し遅れて現れたユナに、アザレアは近くに散らばる錆びた鉄パイプを、槍投げのように投げつける。
「クレア!俺の後ろにいろ!」
「きゃあ…っ!」
降り立ったユナの地響きに悲鳴をあげながら、守るように自分を背にしてユナに対峙するアザレアの背中を見る。
アザレアの投げた鉄パイプは、ユナの前には軽く振り払われてしまっている。
自分も彼のように闘おうと足元の鉄パイプを拾い上げようとするも、とても投げつけるほどの腕力はない。
「ぅう…っ」
涙目になりながら辺りを見回し、ふと自分の胸元で揺れるメダリオンに視線を落とした。両親の形見であるそれはくすんだ金色の金属で出来ていて、複雑な模様が刻まれている。
迷いながらもそれを力任せにとれば、首筋をチェーンで薄く切り。
アザレアが投げた鉄パイプを避けるユナの球体目掛けて勢い良く投げつける。
ギン!
鈍い音がして、クレアが投げたメダリオンがユナの球体に命中する。
「……これは…なるほど、合点がいきましたよ。まさか『ペンデッタ』があの方と絡んでいたとはね。さぁ、お遊びはここまでです、アザレア―もうすでにアザレアの電力供給が止まってしまった。あまり時間がないのです」
「っ…」
まるで効果のない様子で淡々と話すユナに、クレアは後ろからアザレアの腕へ自分の腕を絡ませるように抱きついた。
話す内容は分からなくても、何故かアザレアに触れていないと彼が何処か遠くに行ってしまうような、そんな感覚を覚えたからだ。
ユナの言葉は、アザレアの逃亡が停電を引き起こしていることを示唆していた。ユナがメダリオンを拾い上げようとしたその時―
「ひょええええええっ!」
気合の声と共に飛んできた影がメダリオンを奪い取り、アザレアとクレアの前に降り立つ。
シスター・マリアであった。
「──まりあっ!」
奇声と共に現れたシスター・マリアの姿にクレアは安堵したように顔を明るくさせた。
「きえええええええっ!」
叫び声と共にローブを開いたマリアの体には、8つの銃口が『生えて』いた。
キリキリ…ブーン…!
小さく歯車の音がすると、8つの銃口から連続して飛び出しユナに次々と命中していく。バババババ―その度薬莢が飛び跳ね、焦げた匂いが二人の鼻につく。
やがて、黒煙でユナの姿が見えなくなった。
「クレア!アザレアと共に『クジラ病院』まで行くのじゃ!」
クジラ病院―バビロンの診療所であり、福祉の恩恵を受けられないCランクたちを唯一診療する場所であった。銃声に固まっていたクレアだったが、指示されるとハッとして強く頷く。
バビロンの西の外れに位置するクジラ病院はかつて、クレアの両親が働いていた職場でもある。
「マリア―!」
アザレアはマリアに向かって手を伸ばした。
しかし、すぐさまクレアの力がかかり、次第に孤児院が遠ざかる。暗闇に慣れてきたクレアの目は迷いなく動く。
クジラ病院が見えてきた頃―
ズズン!
音を立て、二人の前に、再びユナが降り立った。体にヒビが入ったユナは手にもった『もの』を二人の前に投げ捨てる―血まみれのマリアだった。
ゴロリ、と転がった血まみれのマリアをクレアはただ、じっと見る。
それはアザレアと初めて会ったときに見た男の死体と全く同じように血にまみれていてる。
「……ま、…りあ…?」
ピクリとも動かないマリアに、クレアは自然とアザレアから手を放してマリアに駆け寄ろうとし―その手を、アザレアが掴んだ。
その目は、憎悪の光に満ち、ユナをじっと見つめている。
「如何に貴重な人材といえど、邪魔をするのならば排除しますよ?プロフェッサー・マリア…さぁ、行きましょう、アザレア」
ユナがアザレアに手を伸ばす。
「クレア―これを、俺の背中にはめ込め」
マリアの手から、クレアのメダリオンを取ると、クレアに手渡す。
「あぅ…っ、アザレア!マリアっ…マリア、寝て…っ─…え?」
アザレアに手渡されたのはマリアの血にまみれたメダリオンだ。思わずアザレアの背中
に目をやれば、まるで折れた翼のような赤黒い異形の影に、同じ大きさの丸い窪みが見える。
何故、そんなものがあるのか。
何故、自分の持っていたメダリオンと同じ大きさなのか。
そんな疑問よりもクレアが思ったのは「……アザレア、痛い…ない?」嵌め込んで、その後アザレアがどうにかなってしまうのではないかと漠然とした不安だった。そう問いかけながらメダリオンをはめ込むと、それに刻まれた紋様と同じ文様がアザレアの背中に浮かび上がり、鈍色の光を放つ。
「あぐぅ…!」
そこに、立体映像のようなものが飛び出してきた。それは、手の形をした映像だった。認証、という文字が浮かんでいる。クレアは戸惑いながらその認証と文字が浮かんだ映像とアザレアを交互に見つめながら
「あ、アザレア…っ?」
ユナの存在を忘れてしまうほど、クレアには今の状況が怖い。
もしもその手形に手をあわせてしまえば、アザレアに怖いことが起こりそうな気がして、両手をぎゅっと胸元で握りした。
「アザレアの心臓―?!」
ユナに、戸惑いの表情が浮かぶ。
慌てたように右手を上げ、爪が鞭のように伸び、ぐにぐにと歪曲し、アザレアを避けクレアだけに狙いを定めて飛んでくる―鞭の先端が鋭く尖る。このままでは、アレにクレアが貫かれる―
「クレア!早くしろ!」
「──で、も…っ」
困惑したように躊躇うクレアだったが、ユナの攻撃に身体を強張らせ。その立体映像に震える自分の手をおそるおそる重ね合わせるが──同時に、ユナが繰り出した鞭と化した爪の鋭い尖端が、ズッ…と鈍い音と共にクレアの身体を貫いた。
「あ……っ…」
掠れた声が、その小さな唇から吐息と共にもれた。
アザレアが叫んだ。
「あああああああああああああああああああああああ―!」
『DNAcode―clear―code 【heart of azalea】―clear―system on―』単語の羅列が、薄れゆくクレアの眼に映る。立体映像のようにも、クレアの水晶体に直に映し出されているようにも見えた。叫び声を上げたアザレアの体が大きく跳ね上がり、背中から生えた羽が伸び、ユナの胴体を物凄いスピードで貫く。
「がっ…!?」
一撃で動きを止めたユナのボディは、熱膨張で大きく膨れバラバラに四散する。