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【弱ペダ】クライマー、クライマー

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 それがどうだ。レースが本当にスタートした今、容赦ない現実を突きつけられている。
 段竹と鏑木と言う経験者らしい同級生には、市街を抜けた瞬間に置いて行かれた。他の一年生にもあっという間に抜かされた。もう姿すらも見えない。この僕がだ!
 ギアもきちんと変えて、シャカリキに漕いでいるのに、何故なんだ。
 今年のウェルカムレースのコースは、市街地を抜けた平坦区間からダムを周回し峰ヶ山を登って降りてくる。この辺りで育った僕も、何度かドライブで親に連れられてきたこともあるから、何となく判っている道のはずなのに。自転車で近辺を走ったこともある。なのに、レースだと言うだけで、こんなにも違うものか。
「どうする」
 後ろから走ってきた三年の先輩、古賀が隣に並ぶと尋ねてきた。
「どう……?」
 聞かれている意味が判らなかった。
「ここでリタイアするか? それとも一人でも多く抜かして、やれるところまでやるか?」
 古賀の言葉に目を見張る。リタイアと言う選択もあるのか? そう言えば、小野田坂道はウェルカムレースをリタイアしたと言う。それなのに、インターハイのメンバーに選ばれ、今はレギュラーメンバーだ。
 ならば、ここでリタイアしたって、皆を見返してやる機会はまだある。そう言うことではないか。ならば、リタイアする。今すぐリタイアする。この僕が最後尾なんて。そうだ、きっと貸してくれた自転車が悪いのだ。ちゃんとした自分の自転車なら、こんなことになっているはずがない。ああ、そうだ、冗談じゃない。こんなレース、やってられるか。
「言っておくが、小野田はウェルカムレースは確かにリタイアした。ただし、アイツは最後尾から新入生を全員抜かして、山岳を獲ってからリタイアしたんだ」
 僕の考えを読んだのか、古賀が釘を刺した。それも、特大サイズの釘だ。あまりの大きさに、最初何を言っているのか咄嗟に理解できなかった。
 なんだって? 最後尾から全員抜かして、山岳を獲った? つまり。それって……。僕は思わず、は? と聞き返していた。
 ロードレーサーを持っていない新入生は、この総北自転車競技部を支援してくれている寒咲自転車から自転車を貸してもらえる。今のこの僕のように。
 一年前のウェルカムレースでは、ただ一人ロードレーサーに乗っていなかった小野田坂道にも貸与されるはずだった。だが、自転車が開始時間までに届かず、彼が普段使っているママチャリで走ることになった。当然、速さを競うという点において、ママチャリとロードレーサーでは比較にもならない歴然とした差がある。そのくらいは僕にだって判る。当然のことだ。
 だが、問題はここからだ。
 当たり前のように最後尾まで落ちた小野田坂道は、ようやっと間に合ったロードレーサーに初めて乗り、そのまま新入生を次々に抜いたという。しかも山道で、だ。そして小、中学校と何度もレースに出て優勝してきた実力者、今泉と競った挙句、最初に山頂に辿り着いたのだと言う。
 もう、開いた口が塞がらない、と言うのはこのことだ。
 流石にこの時点で、僕もMTBで原チャリを追い抜かしただの、補助輪なしの自転車に早く乗れただのというのは、レースには全く関係ないたわごとでしかないと薄々理解してきていた。それでも、敢えて言おう。スポーツ走行を主たる目的としたMTBに乗っていたからこそ、そこまで違和感なくロードレーサーに乗れた。だが、ママチャリのように姿勢を起こした状態で乗る自転車から、前傾姿勢になるのは相当に怖いだろうと思う。
 それを初心者がいきなりロードレーサーに乗った上に、傾斜のきつい山道を経験者と争って登ったなんて、普通は信じられない。
 ただ。
 今の状況で、誇張や冗談で古賀が話しているとは思えなかった。
 経験者は言わずもがな。数日の差とは言え、ウェルカムレースが行われる今日入部した僕よりも前からロードレーサーに乗っていた同級生たちの方が断然速度が速いと言う、この現実。そして、自転車で傾斜を登るのがいかにキツイかを知っている以上、レースを走ると言うのは生半可なことでは出来ないことだと認識を改めざるを得なかった。つまり、自転車競技に参加している人たちは、強いのだと、それだけの力を持っている人たちだ。当然ながら、その頂点に立つ小野田坂道は、それはそれは強い人なのだ。王者なのだ。
 深く、一番深いと言われる海溝よりも深く、反省する。
 彼らは強い。小野田坂道は、強い。
「どうする」
 古賀が再び尋ねる。僕は暫く黙った。正直こんなに厳しいものだとは思っていなかった。自分は思い上がっていた。根拠のない自信で自分を過大に評価していた。その挙句に、ありもしない自分の大きな姿で人を低く見てバカにした。そんな僕が拠って立つ何もかもを、完膚なきまでに叩き壊された。
 僕は弱い。僕はこんなにも弱い。
 よく見ろと。本当のお前はこんなにちっぽけだと、現実が押し寄せてくる。
 誰もそんなもの、見たいわけがない。格好いい自分。何でも出来る自分。人より優れた自分。そんな人間でありたい。そうでない自分のことなど、誰が知りたいものか。
「リタイアしません」
 予想もしていない言葉が口から零れた。古賀がちょっと驚いたような顔をして僕を見た。思わず彼を見返した自分も、自分で自分の言葉に驚いていた。



「おい、小野田センパイ来てんぞ」
「俺一緒に写メってもらっちゃった!」
 ちょ、何してくれてんだ、僕の(部活の、しかも心から尊敬して止まない)先輩に! 僕なんて、写メどころか、まともに話すら出来てないのに! くっそ、俺が一番尊敬する人だってのに。丁重に敬えよ! 写メとか畏れ多いと思えよ!
 気安いクラスメイトに嫉妬でギリギリと歯軋りしながら、戸口で人に囲まれてアワアワしている小野田、いや小野田さんに近付く。緊張で手足が思うように動かない。僕は小野田さんと喋ると思うたびに、上手く喋れなくなってしまう。小野田さんに失礼な態度をとるんじゃないかと、緊張してしまうからだ。結果、まともに言葉を交わす事も出来ず、その上意に反して失礼な態度をとったことになってしまってヘコみ、前回と同じ轍を踏むものかと、さらに緊張してしまうのだ。オマケに、今はクラスメイトの態度が羨ましくて、自分が上手く出来ないのが悔しくて、さらに体が強張る。
「なんスか」
 歯軋りしたままだったので、物凄く態度悪く声を掛けることになってしまった。本当は何か御用ですか、と言いたかったのに! て言うか、小野田さんチワス! くらい言うべき場面じゃないのか、これ! なに超ナマイキな後輩みたいな態度になってるんだ、僕。一年でただ一人レギュラーとった鏑木や、彼と同じくらいの力のある段竹ならいざしらず。何の結果も出せてない後輩が取る態度じゃないって。
「あっ、あ、あのっ、休み時間にごめんね」
 メガネを掛けた小柄な彼が酷く恐縮したように謝った。
「や、別に」
 素っ気ない言葉が口をついて出た。
 ちっがぁーうッ!