【弱ペダ】クライマー、クライマー
今日の練習は平坦を周回するコースだ。途中までは速度を集団に合わせて保ち、順番に先頭へ出て集団を引く。後半は本番さながらの駆け引きをしつつ、スプリントレースが行われる予定だ。
海外のレースを見ていると、集団の中にいる選手たちが時々何かをしゃべっているような場面を見かけるが、あれはまさしく選手同士で言葉を交わしているのだった。僕はこの自転車競技部に入って、初めて知った。集団の中は、ちょっと会話をするくらいの余裕があるのだ。もちろん、これがレース終盤にかけて、勝負をかけようとしている場合には、喋っているような余裕もないだろうけれど。
「俺、塩っスかね」
一年でただ一人レギュラー入りした鏑木が鳴子を追いぬいた所で、ちょっとペースを緩めて言う。
「アホか、今日は『どんちゃん』が替え玉無料デーなんや。塩やなくとんこつや」
鏑木がえー、と不満そうに口を尖らせる。どんちゃんは、学校からはやや遠いが、なかなか美味い九州ラーメンを食べさせる店だ。半年に一回くらい、替え玉が幾らでも無料になるサービスを行うのだそうだ。
「塩でもとんこつでも良いから、集中しろ。俺とスプリント勝負だ」
三年の青八木が、ひょい、と鏑木の襟首を捕まえて引っ張る。
「ちょ、マジっスか? いいんですか? オールラウンダーの俺とスプリンターの先輩が勝負なんて」
鏑木は負けても知らないっスよ、と不敵な笑みを浮かべた。
「やってみろ」
どちらともなく、ゴー! とかけ声がかかって、あっと言う間に二人が走り去っていった。
いっそお前が羨ましいよ。先輩だろうが、何だろうが、自分が思ったことは何だって言えるんだから。僕はちょっと恨めしいような顔で小さくなる鏑木の背中を見た。
「小野田くんも行くやろ」
鳴子の言葉に、僕は虚を突かれてびくりと体を震わせた。
「うん、行くよ」
小野田さんは最初は先頭の方にいたが、しばらくして後ろの方に下がっていったのだ。遅れている一年の様子を見に行っていたのだろう。それがいつの間にか中盤くらいまで戻って来ていたらしい。
「替え玉勝負やで」
「えっ!」
小野田さんがビックリしたような声を上げる。普通の人は替え玉しても二玉程度らしいが、ここの先輩たちは行けば少なくとも十玉はお代わりすると言う。店の方も、幾ら無料とは言え何人も店に来てそんなに食べられたら、商売上がったりじゃないだろうか。いや、そもそも小野田さんはそこまで食べられるのだろうか。僕は余計な心配をしてしまう。
「本気なの……?」
「当たり前やろ。この鳴子章吉、いつでも本気の真剣勝負や」
鳴子がエヘン、と自慢げに胸を張る。
「こんなとこでいつまでもダラダラ走ってるのが、お前のいつでも本気の真剣勝負か」
すっと前を走っていた今泉が下がってくる。
「誰に言うとんのや、スカシ。そない言うなら、勝負したろか」
「どうせお前の負けだろ」
は、と鼻で笑って今泉がするすると速度を上げて走り去っていく。
「ワイが負けるやとぉ? ええ度胸や、お前こそ負かして泣かしたる!」
鳴子が一声吼えると、今泉の後を追いかけて走り去っていった。この鳴子と今泉のやり取りの間、小野田さんはえ? 二人とも? とあわあわしていた。あの二人は放って置けばいいと思います。僕はそんな思いで溜め息を吐いた。
「あっ、あー。あの二人は、ああ見えてそれでも仲良いんだよ」
僕に取り繕うように小野田さんが困ったような顔で喋る。仲良いというのはどう見ても嘘だろう。はぁ、とやっとの事で搾り出した返事とも言えない声を疑念と受け取ったのか、小野田さんが慌て始める。
「いやっ、ああ言うやりとりもお互いを良く判っているからって言うか。王立軍でもそう言うキャラがいてね」
いやいやいや。こちらこそ、すいません! 別にあの二人のこと心配してたりとかしませんから。すいません、気を使わせて。本当にすいません。心ではこんなに謝っているというのに、僕の口から出てくる言葉ときたら、はぁ、とそっスかばかりだ。
王立軍てアレですよね。小野田さんお気に入りのアニメの一つでしょ。今度ブルーレイのボックスが出るってコマーシャル見ましたよ、くらい返したら、小野田さんともっと打ち解ける事も出来るだろうに。僕は自分の不甲斐なさを噛み締める。それとともに余計に疲労が募ったような気がした。小野田さんはそんな僕の内心の葛藤を知らずに、説明を続ける。
「その二人ってのは普段はいがみ合っているように見えて、でも実は二人が絶対譲れないことは一緒で、戦闘シーンでは彼らが打ち合わせもしないで、互いの行動を読んで共闘する場面が結構あるんだ。そこがストーリーを更に味わい深くさせてるって言うか」
事細かにアニメの説明が続く。目がキラキラしてるから、楽しいんですよね。いいですよ、別に俺気にしてません。て言うか、知らないだろう僕にも判りやすいように事細かに話してくれてるってのに、僕ビタ一文もそのアニメにも、他のアニメにも興味が沸かないんです。今更だけど、折角なんだから見とけよ、僕! そうすれば小野田さんともっと話すことも出来たかもしれないのに!
「って、あっ、あー! アニメの話とかどうでもいいよねっ! いやでも、本当にあの二人はああ見えて、レースでも本当に息がぴったりなんだ」
レースでもどうかは判らないけれど、確かにあの二人は互いが「気に食わない」って点では息ぴったりだと思います。と言うか、僕こそ何とか小野田さんと楽しくお喋りしたいと思っているんですけれど、やっぱり緊張して、言葉が上手く出てこないだけですから。ああ、もう。小野田さん、そこまで気を使わせて本当にごめんなさい。
って言うか、小野田さんはレースとかの勉強もしてるんだろうに、アニメまで見る余裕があるって、スゲェ。僕はレースだけで手一杯です。鏑木じゃないけど、マジ、リスペクトですよ。って、僕それ今言えばいいんじゃないの? 言えばもっと小野田さんと仲良くなれるんじゃないのか! なのに、まだ口が動かないって、どうなってるんだよ、僕のバカバカバカ!
僕はハイ、とかはぁ、とかまた工夫のない言葉を呟いてしまうのを情けなく思いながら、ペダルを漕ぐ。
「まだ体力に余裕がありそうだな」
そこへ古賀の声がした。声の方を見ると、古賀が何か言いたげな顔をしていた。
「あっ、あの。今泉くんと鳴子くんの話をしていて……、その……、練習中に呑気に喋るなってことですよね。僕がダラダラ話しちゃったんです。すいません!」
小野田さんが、さらにアワアワしながら古賀に言う。この僕を庇ってだ。
この僕を!
小野田さんの優しさが伝わってくるような気がする。僕のことなんて放って置いてもいいのに。僕は小野田さんの優しさに胸が暖かくなるような気がした。それよりも、嬉しさの余り踊りだしたい気持ちになる。MTBみたいに曲乗りが出来れば、この場で踊り狂っていたろう。
「アタック始まるぞ」
古賀が面白がっているような顔をして僕たち二人を見た。この先輩の、そういう目つきは苦手だ。何もかもを見透かされている気がする。小野田さんも同じ気持ちなのだろう、完全に委縮している。
「なら、アタックしてこい」
作品名:【弱ペダ】クライマー、クライマー 作家名:せんり