トラウマスイッチ
夕飯も途中だった。
明日は休みとはいえ、
大輝は風呂にも入らず、
寝室にいた。
かろうじてスーツは
ハンガーにかけられていたが、
Tシャツとスウェットパンツで
布団に潜り込んだらしい。
「大輝?寝たの?」
聞いてみるが返事がない。
「あの、お義母さん、
お義父さんにずっと、
大輝や大地の様子を
聞いてたみたい。」
「大輝は許してくれないだろうけど、
辛い思いをさせただろうから
お詫びとお祝いをしたかったんだって
言ってたよ。」
「ずっと心配してたって…」
そこまで言って
バン!!と、
ドアに何かがぶつかる音がした。
枕だった。
「オマエ、どっちの味方なんだ!」
大輝が、もう大人なのに
すごく泣きそうな声で言った。
悲しい子どもの声に聞こえた。
すずめはビックリして
立ち尽くしてしまった。
今まで大輝が放つ言葉が冷たく聞こえても、
自分に触れる手も、見つめる目も
いつも優しくて大事にしてくれてた。
その大輝が、
当てるつもりはないにしても
枕を投げたことに
少なからずショックを受けた。
味方?
お義母さんは敵なのかな?
自分のお母さんのことを
「あの女」と呼ぶほど、
大輝はずっと傷ついてたんだな。
そんなのって悲しい...
そう思ったら、
すずめの目からツーッと一筋、
涙が流れて落ちた。
イライラして
布団に潜り込んでいた
大輝だったが、
さすがに自分のしたことに
我に返り、布団の隙間から
すずめの様子を見た。
すずめが立っていて
頬がわずかにきらりと光った。
なんで光る…あれは...涙?
大輝はすぐガバァッと
布団を跳ね飛ばして起き、
立ち尽くしていたすずめを
強く抱きしめた。
そして
「ごめんっ」
と言った。
『私無表情だけど普通に傷つくから』
昔すずめに言われたことを
大輝は思い出していた。
すずめを傷つけてしまった。
自分がイラついたからって
すずめに当たるなんて
サイテーだ。
「ごめん…」
言い訳も思いつかない。
それ以上何て言えばいいか
わからなかった。
「ムカつく。」
すずめがぼそりと言った。
「えっ」
大輝が焦る。
ヤバイ!?もしやこれで離婚?!
最悪の考えが頭をよぎる。
「ムカつく。」
「昔大輝が私に言ってくれたでしょう。」
「私が泣いてるのに
何もできない自分にムカつくって。
あの時言ってくれた言葉、
今そっくり返すよ。」
「今とっても自分にムカついてるよ。」
「ムカつきすぎると涙が出るんだね。」
すずめの言葉が意外すぎて
大輝がポカンとする。
「自分にって、オレにだろ?
オレがその…ガキっぽいから…」
「ん?大輝がガキっぽいのは
最初からじゃん。」
「なっ!」
自分ではすずめよりも
ずっと大人なつもりだったので
心外だった。
「いきがって、強ぶって
でも傷ついてて、だけど優しくて…
そんな大輝が私は好きだよ。」
「私は誰の味方とかは嫌だけど…
ただ大輝が好きだから、大事だから
大輝を幸せにしたいんだよ。」
「傷ついて悲しい想いをしている大輝に
何もできないのは嫌だよ...。」
大輝はビックリした。
取り返しのつかないことを
してしまったと思ったのに…。
「大輝、アレだね。
私がお母さんだったらよかったね。」
「は?」
何言い出すんだ、コイツは。
「そしたら今すぐ仲直りできるのに。」
「ハハッ」
その発想に笑えてきた。
「オレはオマエが母親だったら困るんだけど。」
大輝がそう言うと、
「だって大輝、お母さんの愛情が
欲しかったでしょ?
私が大輝のお母さんだったら
いっぱいあげられるよ?」
「オマエ、アレだろ。ほんとにアホだな。」
大輝があきれ顔で言う。
「なんでよ。」
ふてくされてすずめが尋ねる。
「オレは母親とキスしたくねぇぞ。」
大輝は真顔で言った。
「そ...だね…」
いい考えだと思ったのに、
と言おうとしたところで、
大輝はすずめに優しいキスをした。
いつもの大輝だ。
私を大事にしてくれる、
優しい目の大輝だった。
「大輝?」
「ん?」
「今日私、お義母さんの話を聞いて、
私にはお義母さんの気持ちは
理解できなかったけど、
お義母さんは弱い人なのかなぁって
思ったよ。」
「うん。」
「女の人は弱いから
優しくしなくちゃダメなんだよ。」
「オマエ、昔もそれ言ってたな…」
だけど...と、複雑な気持ちが大輝を襲う。
「でもオレ、オマエは強いと思う。」
大輝はすずめを抱きしめたまま言った。
「え?腕相撲、大輝に負けるけど...。
やってみる?」
すずめがファイティングポーズをとる。
「アホ。力じゃねぇわ。」
「心のことだよ。」
「オレはオマエにかなわねえもん…」
自分はこんなことですぐグラグラになるのに。
「そんなことないよ。
わたしの心が今強いとしたら、
それは大輝がずっと私が辛いとき
支えてくれたからだよ。」
「え…」
大輝はすずめの言葉が信じられなかった。
「大輝はいつも私が辛いときに
隣にいてくれるなぁって思ってたんだ。
それでいっぱい助けてもらったよ。
だから大輝が辛い時は
私が隣で支えになりたいよ。」
大輝はその言葉が嬉しくて
もう一度強く抱きしめた。
「私、そういう風になれる?」
すずめが尋ねる。
「もう十分なってるよ...」
そう言って大輝は
すずめの肩に頭をもたげて
微笑んだ。