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オトナダケノモノ

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3.
「あ……。おい、アイオロス。それは―――」

 読みかけていた書類が目の前から消えていた。少しの間気付かなかったが、それはアイオロスの手元にあった。呆れたような、怒ったような表情でアイオロスはサガを見下ろしていた。

「職務怠慢、上の空過ぎるぞ、いい加減、しっかりしてくれ。外はいい天気だ。さっさと行って来い」
「行って来いって……どこに行けと?」
「どこに……ってなぁ……ほんとうに頼むよ、おまえ。この前の騒動といい、今といい。今じゃあ、シャカじゃなくておまえの方が挨拶代りに噂話の主人公だぞ?女官連中の間ではそりゃあ、もう……どこかの誰かに一目ぼれしただとか、叶わぬ恋に身を焦がしているだとか、想像たくましく、凄いことになっているみたいだ。まぁ、叶わぬっていうなら、半分は当たっているかもしれないが」

 頭を抱えるアイオロスにサガは「そうなのか?」苦笑する。

「それはさておき。シャカの調子もだいぶ良くなっているのだろう?そろそろ聖域に連れ戻して来いよ。その様子じゃあ、次期教皇の話だって、まだ連絡していないだろう?」
「ああ。そんな話をしたら、這ってでも出てくるだろうからな」

 アイオロスは一瞬間を置いてから、厭そうに顔を歪めた。

「うわぁっ……一瞬、ホラーなものを想像してしまった」
「まったく、何を想像しているのだか」
「何って……ほら、あのインパクト大の姿で床を這っているのを想像したら……!」
「それは……ちょっと……うん……確かに、な」

 アイオロスとは別の意味でサガは卒倒、もしくは号泣しそうだなとぽつんとサガは思うのだった。



 ―――結局、アイオロスにくどくどと説教をされて、半ば強引に放り出される形でシャカを迎えに行く羽目になったサガは無駄にゆっくりと遠回りするようにして、シャカを預けた村へと向かった。

「ほんとうに、いい天気だな……」

 突き抜けるような青空、とまでには行かなくても、晴れやかで心地よい風が時折吹いていた。緑生す道を歩くだけで、少しずつ、鬱屈した心は晴れていく気がした。
 村に入り、シャカがいる仮宿に近づくにつれ、食欲を誘う、良い匂いが漂ってきた。もうすぐ昼時である。今もって料理の腕は天下一品の彼女が、少し調子の外れた鼻歌を歌いながら、食事の支度をしているのだろう。温かな気持ちになりながら、サガは門を叩いたのだが。

「―――最近、気に入りの場所ができたらしくてね。そこに行っているよ、あの子は。昼時には帰ってくるはずだけどね。みんなに声をかけておくれと頼んだから」
「そうですか。でも、たぶん、シャカのことだから…夢中になると忘れてしまう悪い癖があるので、迎えに行きますよ」

 気に入り、と聞いたサガは困ったように笑いながら伝えた。昔からそうだ。シャカは一度気を引くようなことがあると、時間を忘れて無我夢中になる。その集中力は素晴らしいものがあったけれども、それは周りが見えなくなるという危うさも孕んでもいた。
 シャカの居場所を聞き出したサガはのんびりと緩やかな傾斜が続く道を歩いた。ほどなくして辿り着いた古民家の前で、岩の椅子に腰を掛け、背を向けたシャカの後姿が目に入った。スッと伸びた後姿でもわかる、嬉しげなシャカの心模様。
 きっといつまでも飽くことなく眺めているのだろう。そして、そのすらりとした後ろ姿はあらためてシャカの成長をしるしていた。元・料理長の腕はやはり素晴らしかったようで、細身は細身であったけれども、恐ろしいまでの痩身(干物)からは脱却できていた。
 よかった、とサガは安堵するとともに無防備なその後ろ姿はグッとくるものがあった。大きくなったという感慨深さ。そして優しい陽光にすら愛でられているような健やかさにようやく安心感を覚えることがきた。何にもまして、長く緩やかに流れる金色の髪は光を受けてキラキラと輝きを放つ美しさにすっかり心を奪われる。衝動的に抱きしめたくなるほどに。ああ、いけない――と心を今一度戒め、シャカに声を掛けた。

「楽しそうに見学しているな」
「ああ、とても楽し……」

 サガが声をかけるとシャカはゆるく笑みを浮かべて振り返った。ふうわりと風に乗って花の香が掠め、眩暈さえ催しかけた。



作品名:オトナダケノモノ 作家名:千珠