オトナダケノモノ
「サガ、それ持って行ってくれるか」
「どれを……ああ、これか。会合の時に配るのか?」
分厚く閉じられた冊子。教皇職に関しての何やら事細かく記されている書類だ。次期教皇の選出にあたっての資料なのだろう。数枚をぺらりと捲ったあと、元に戻して手に抱えた。
「そうらしいんだけど、教皇のサインがまだみたいだ。今から行って貰っておいて欲しいってさ。まーったくあの事務長、俺らを普通にパシリ扱いするなよって」
「彼もいい歳だからな、この重さではさすがに無理があるんだろうて」
サガやアイオロスなら、なんということはない重さであるが。
「そういうところは相変わらず、お優しいんだなー、サガ」
「事務長とは仲良くしておくのに限る。色々と無理が利くからな」
茶化すアイオロスに至極真面目に答えるとアイオロスは呆れたように溜息を吐いた。
「……打算かよ」
「当然だ」
それでこそ、サガだ、と片方だけ器用に眉を上げたアイオロスにフッと笑いかけながら、闊歩する。会議が開かれる場所に向かうと人の気配が感じられた。まだ集合時間前であったが、何人かはすでに訪れていて、歓談中といったところだ。
その中に黄金聖衣を纏ったシャカの姿があった。すっかり健康的な身体つきに――いや、立派に聖衣を纏っているシャカは傍に立つムウやアルデバランに引けを取ることなどなく、凛とした出で立ちが眩しくさえ見えた。興味深げにシャカを凝視するムウの姿。一体、何を話しているのか少し興味が沸いたサガは聞き耳を立てたのだが。不用意な行動をとったことを次の瞬間、反省する羽目になる。
「……きっとそれは溜め込んでいたものをスッキリと吐き出したせいだろうな」
「なんですか、それ。まるで童貞が初体験でも済ませたみたいな―――」
―――イマ、ナントイイマシタカ?
聞き返せるものなら、聞き返したい……。ハラハラと涙さえ浮かびそうになりながら、サガは蒼褪めた。両手に抱えていた書類を全部、床にぶちまけているだなんてことも知らずに放心状態に陥っていた。
やはり、私はシャカに無体なことを仕出かしたらしい―――
ただそのことだけを悶々と考えていた。それなのにシャカは労わるようにサガに声を掛けてくるのだから、余計に居た堪れなくなる。どうやってシャカに詫びるべきか、いや、どう責任を取るべきか……考えはすっかり飛躍していた。拾われた書類をフラフラと運びながら、辿り着いた教皇の前にドンと置いた後、「早く、サインを書け」とだけ告げ、ぼーっと考え込む。周囲が凍り付いていただとか、教皇ががなり立てていたとかまったくサガにはどうでもよくて、シャカにどう切り出して、どう赦しを乞うべきか、いや、責任をとるべきか―――とばかり、グルグルとサガは考え込んでいた。
というより、そんな大切なことをどうして私は覚えていないんだろうか……それもこれもこの教皇直伝の小技を使ったせいだからか?と思うに至って、なんだか無性に不愉快になってきたサガは、ギリっと教皇を睨みつけた。
「おい、サガ!」
バシリと後頭部を強かに打たれてサガはようやくハッとした。
「……アイオロス?どうかしたのか?」
「まったく、おまえねぇ……すみません、すみません、教皇。昨日からこいつ調子悪くて」
襟首を抑えられて無理やり何度も頭を下げさせられる。なぜ謝らなければいけないのか皆目見当つかないサガであったが、目の前の教皇が怒髪天を突く勢いだったので、きっといつのまにか怒りを買うような失態を仕出かしてしまったのだろうなとぼんやり思うサガである。
そのあとアイオロスに引き摺られるようにして、会議の場に向かったけれども、話のほとんどは耳に入ることなく、馬耳東風な状態は引き続き、ふと気づけば何やら重大な局面になっていた。
「アイオロスか、サガか。皆どちらかに定めるように」
重々しく威厳ある風に装い告げる事務長のことばに我に返る。上の空過ぎて、重要なことが勝手に決定されかねない状態だった。慌てて反射的に考えもなく、ただこのままではいけないという思いで辞退することを告げた。ざっと注目が集まり、様々な声があがった。ただひたすら申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、自らを律することも出来ないものが教皇の地位に相応しいとは思えない。それでも推してくれる者にはただ謝罪するしかなかった。