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オトナダケノモノ

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5.
 何が、という単純なものではなかったのだろう。きっとここしばらくの間の不甲斐無いサガの態度に対して、割合に許しの許容量のあるアイオロスですら、少しずつ苛立ちや怒りを蓄積させ、結果爆発したのだろう。それでも、皆の前で荒ぶる感情を露わにすることなどなかったのはアイオロスらしいといえばアイオロスらしかった。
 誰よりも長い付き合いをしているサガにはよくわかっていた。アイオロスが珍しく怒り狂っているということに。優しさはあるが甘いだけの男ではない。アイオロスにはアイオロスなりの信じる義があり、理想とするものもある。その枠からはみ出た時、容赦なく断罪を下す。手加減はない。
 意外だがアイオロスが友と呼ぶ者が少ないのはそういった面もあるからだろう。黄金聖闘士であるという立場も影響しているのだろうが、アイオロスは感情豊かに見せながら、サガ以上に本心を秘匿しているのだということを知る者はごく限られた者だけだ。
 人馬宮に辿り着いて乱暴に解放される。勢いのまま背中を強かに打ちつけ、次には遠慮ない制裁が加えられたけれども、反撃する気にはまったくなれなかった。
 不器用な友の、ことば無き語りはサガの心に届いていたから。カノンとの諍いに疲れて己を失くしかけた時にもこんなことがあったとぼんやりと遠く感じていた時だ。
 パンッと甲高い破裂音が響いた。だれかが、アイオロスの結界を破ったのだ。サガは切れた口端から滲む鉄の味を噛み締めながら、一体だれがそのようなことを行ったのか、いや、成し得たのかと驚いた。
 アイオロスは強い。それは聖域の誰もが認めるところだ。黄金聖闘士が施す結界は小宇宙の強さと比例する。黄金聖闘士の中でも抜きん出た力を持つアイオロスが本気で張った結界なら、サガですら手を焼く。きっと手痛い報いを受けるだろうと。その結界を破ることができるのは教皇か、アイオロスの意志とは関係なく自然、手心が加えられるかもしれない愛弟のアイオリアなれば可能かもしれない。だが、サガの予想に反して、またアイオロスの予想を裏切って二人の目の前に飛び込んできたのは端麗な貌に幾筋もの切り傷から血を流したシャカだった。わずかにアイオロスの目が据わったのをサガは見逃さなかった。シャカの意図はどうであれ、結果的に彼の矜持を刺激したのは間違いない。アイオロスの狩猟者の瞳がサガからシャカへと見定められた。

「なぜきみがそこまで怒る必要がある?辞退しようが、しまいがそれはサガの自由なはずだ」

 シャカの糾弾にアイオロスは一度双眸を下ろしたのち息を大きく吐いた。そしてシャカへと足を向けた。サガはアイオロスを止めようと手を伸ばしかけたが、先刻の制裁が枷となって重く腕を絡め捕っていたため、思うように動かすこともままならず、顔を歪めるばかりだった。
 シャカの前に雄と立ったアイオロス。静かに伸ばされた指先がシャカの細い顎を捕らえた時、サガの中で正体不明の感情が臓腑を捩じ切るように奥底から突き上げた。

「アイオロス、ダメだ」

 サガはアイオロスを引き戻そうと声を上げるが、アイオロスの耳には届いていないようだった。何事かをシャカに囁いたあと、一層激しく、アイオロスが小宇宙を燃焼させていくさまを目撃した。抑圧されたアイオロスの本気を引き出したシャカもまたアイオロスに惹かれ導かれるように小宇宙を高めていく。
 ゆらめく光に包まれていく二人に抱いた気持ちは小宇宙のぶつかり合いによる結果を憂慮するといった危惧の念よりもむしろ底辺の感情―――嫉妬に近いものだったのかもしれない。
 ゆっくりとシャカの閉ざされた双眸が押し上げられ、シャカがみつめるその先がアイオロスであることがサガには何より耐え難い痛みとなって全身に波及し、次には最大限まで高めた小宇宙を放っていた。それはシャカを庇うためでもなく、アイオロスを止めるためといった思いやりからのものではなく、とても利己的なものだった。サガにすれば信じがたい感情なのだが、認めるしかなくて茫然とするばかりだった。
 ほんとうにアイオロスもシャカも手加減なしだったのだなと思い知らされたのは無駄に見通しの良くなった人馬宮の成りの果てを見てである。
 カラカラと崩れ落ちた石柱。ギリシアの空が美しく冴えわたり、日差しが眩しく降り注いだ。シャカの周りはことさら光が乱反射して眩しく、目を細めた。
 くっくっと小さな笑い声。アイオロスが腰を折るような姿勢でひとしきり笑ったあとようやくスッキリしたような顔でサガを見た。

「あーあ……コレ、どう、教皇に申し開きしようか、サガ?」
「え……あぁ、そうだな……どうしようか」

 この惨状に教皇の大目玉は確実だなとぼんやりとサガは思った。

「ま、こってり絞られるのは確実だろうな。でも、久しぶりに気持ちがスッキリした。おまえは?」
「そうだ、な。私も、久しぶりに最大近くまで小宇宙をぶつけたかもしれない」

 まだ夢現に立つシャカを見ながらサガは呟いた。あんな熱量を受ければ、通常ならば、いくら黄金聖闘士といえども、とんでもないことになっていたはずだが、シャカは飄々と悪戯に吹く風を受けて金色に輝く髪を靡かせていた。陶然とサガは見惚れた。そんなサガを見遣ったのち、アイオロスはシャカを眇め見てから空を仰ぐと、静かに告げた。
「―――もう、いっぱしの聖闘士じゃないか、シャカ。なぁ、サガ。おまえもわかっただろう?シャカの力量を。子ども扱いするだけじゃなくて、大人として接していけば?自分の気持ち騙して、逃げてないでさ、ちゃんと向き合って答え出せよ」

「アイオロス……」

 シャカは少し首を傾げて不思議そうにアイオロスを見たあと、聡明でありながらあどけなさを残す瞳でサガを見ていた。当然のことながら、シャカには意味が解らないのだろう。急にこの場で理解されても非常にサガとしては困るのだが。
 干物姿からは想像つかないほどの嫋やかな美しさでサガを魅了するシャカは小さな子どもの無垢な眼差しでサガを見る。そんなシャカを前にどう接して、云って聞かせればいいのだろうか。その一つ一つに向き合って答えを出せとアイオロスは簡単にいうけれども、至難の業だぞとサガは苦笑するが。
 危険を冒してまでもアイオロスの結界に飛び込んできたシャカの必死な姿や、いまだに経緯がわからないけれども、衝撃的であったが、サガの腕の中で安心したように眠っていたシャカの寝顔を思い出すと心底温かな気持ちになることも事実だ。少しずつでいいのだろう。過ぎた七年を取り戻すようにもう一度、最初からシャカとこれからの時を過ごしていけばいいのだ。
 肩の力が抜けたようにサガは微笑み「そうだな」とようやく告げることができた。



作品名:オトナダケノモノ 作家名:千珠