オトナダケノモノ
6.
「そういうことだったのか……」
訊こう訊こうと思いながら、その答えが恐ろしくてなかなか聞けずにいたことだったが、夕食も終え、片付けも終え、入浴も終えて就寝に着くまでの穏やかな時間を過ごしている時にようやくサガはシャカにあの『同衾事件』(サガにすれば事件だ)について尋ねることができた。
サガはソファーでのんびりと腰をかけて明日の段取りを決めるために書き物をしながら、シャカは敷かれたラグの上で腹這いになって聖域の秘蔵とされる所蔵作品の写真集を眺めていた。寝る前には脳を休めるためにあまり堅苦しい本は開かぬようにとサガが言い聞かせてからシャカはそうするようになった。そんな、くつろぎの時間でサガは切り出したのである。
最近ではようやく着なれたパジャマ姿で寝転がりながらシャカはあの『同衾』のあらましをこともなげに語ったのだ。
「どういうことだと思ったのかね?」
「いや、まぁ……それはつまりだな」
なんだ、種を明かせばその程度のことだったのかとサガは無罪放免となった喜ぶ間もなく、シャカに鋭く突っ込まれて答えに窮した。
聖闘士としては一人前、いや最強クラスといえるシャカではあるが、人としてとなるとこれが途端に雲行きが怪しくなる。教皇から与えられたあまり懲罰らしくない罰のおかげで、聖域近くの小さな村でシャカと共に暮らし始めてひと月は過ぎたが、日常的に驚かされることが多すぎて、最近では逆にそれが当たり前になっているぐらいだ。
先日も村の子どもたちと触れ合う機会があったのだが。
「としは、みっつ!」と自己紹介した愛らしい少女に「だいすき!」と愛の告白&ほっぺにチューをされて真剣に困っていたシャカ(ちなみに三歳女児ごときにジェラシーしたことは秘密だ)を前にどうして恋愛方面の話に転ぶことができようか。慎重に慎重を重ね倒して、いまだサガの春は遠い有様である。三歳女児にすら負けているのだから、内心では心穏やかではいられない。
「サガ?」
きょとんと眺めるシャカに「いやなんでもない」と曖昧に返すが、幸いなことにあまり関心がなかったのかそれ以上の追及はなく、手元の写真集へとシャカの興味が移ったところでサガも残る作業をやり遂げようと没頭した。
「シャカ、眠るならベッドにいきなさい」
すぅと寝息が聞こえたものだから、シャカを見ると突っ伏した状態でシャカは眠りに落ちていた。「うん…」と眠気眼で起き上がったので、ベッドへと行くものだと思っていたら、ストンとサガに降ってきた。サガの背後に回って後ろからぎゅっと抱きしめる様なカタチである。サガの肩の上にシャカは顎を乗せていた。
「ええと、シャカ。どうしたんだい」
懐かれて嬉しくないわけではないが、少しばかり困る。サガは緊張した。
「―――この前、子どもにやられたんだけど」
耳元で囁くようにシャカが告げる。なんともいえないこそばゆさにサガは身を竦める。
「なにを?だれに?」
「ほら、以前、わたしにキスをしてきた子……」
「ほ…う…」
内心ではざわめきつつ、至って平静を装いながら「それで?」と促す。するとシャカはようやくサガの肩から顔を話して、サガを覗き込むように見ながら、お願いをするのだ。シャカがいいというまで『好き』と言い続けろと。間近ではあったけれども、密着からは解放されて、緊張の糸をサガは僅かに緩める。
なんだ、シャカは幼子に何か引っかけ言葉にでも引っかけられたのが不満だったのかと、幼さを残すシャカに少し頬を緩ませながら、お望み通りシャカが許可するまで言い続けた。ようやく止められて、さぁどんな引っかけ言葉がくるのかと期待していたらシャカは満面の笑みを浮かべて告げた。
「―――ありがとう、サガ」
「…………」
思考停止。サガは固まった。
「って、やられたのだよ。最近のこどもはすごいな」
ああ、ほんとうにすごい破壊力だ。恐るべし、三歳女児。油断大敵、侮れぬ!
その時、シャカはどんな風に返したのかは不明だが、ある程度はサガには想像がついた。きっとシャカはシャカが感じたようにほっこりとした気持ちにサガがなるだろうと思っての今の行動なのだろうが、生憎とサガはシャカとは違ってその三歳女児にジェラシーしてしまうような大人である。それに誰彼かまわず今のようなことを繰り返されてはたいへんなことになりかねない。
サガは手にしていた書類を手放して、無防備すぎるシャカの首筋に手を添えた。ぐっと首を伸ばし、シャカを引き寄せて口づけた。
七年越し、いや八年ぐらい経っているかもしれない。あの星空の下で交わして秘密の口づけ以来だ。ひと時沈黙が訪れた。
「―――こういう時は目を瞑るものだ」
スッと離れるとまんまると目を瞠るシャカと目が合って、小さくサガは笑った。
「えっ……あ、はい」
云われたとおりにシャカが目を瞑るものだから、これはもう一度繰り返してよいのだろうとサガは都合の良いように解釈し、今度は先程よりも深く、長くシャカを味わった。甘く、蕩けていきそうになる。ようやくの思いで離れながらシャカの耳に唇を寄せて囁いた。
「さっきのような愛らしい真似は私だけにするように。他の者にはしてはいけないよ」
「……サガだけに?」
うっすらと薄紅色に染まっていくシャカがことのほか愛おしい。
「そう。私だけに」
おまえは私だけのものだから――と、シャカの頬をそうっと優しく撫でる。心地よさげに目を細め、はにかんだシャカは小さく頷いた。
「さぁ、今度こそベッドでおやすみ、シャカ」
「はい。おやすみなさい、サガ」
子どものように素直に返すシャカに今度は額に口づけて、ようやくサガはシャカを手放した。フワフワとした足取りで部屋を出ていくシャカを見送りながら、思う。
さて今度はどうやって初心なシャカを口説き落とそうかと。いっそのこと、件の三歳女児にでもご指南いただくのもありかもしれない―――と真剣な顔をしながら、床に落ちた書類を拾い集めるサガであった。
Fin.