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オトナダケノモノ

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4.
「申し訳ないねぇ……せっかく来てくれたっていうのに。ここにあるものは全部好きに使ってくれていいからね。もし、帰るっていうなら、鍵もかけなくて、そのままでいいから……あとは――」
「いいから、さぁ、早く行ってください。初孫なんでしょう?」

 玄関先までまとめた荷物を迎えに来た車に積み込む手伝いをサガはしながら、そわそわと落ち着きのない女主人を促した。

「そうなんだよ〜息子の嫁さん、急に産気づいたみたいでさぁ……何ができるわけじゃないんだけどね、それでも行ってやらないと……じゃあ、悪いがあとは任せたよ」

 ぎゅっとサガを抱きしめた後、ようやく車に乗り込んだ彼女はせかせかと窓を開けて、もう一度、念を押した。

「んじゃ、しっかり、食事するんだよ?あんたたちは身体が資本なんだから」
「ありがとう。気を付けていってきてください」
「あんたもだよ!三食きちんと食べるんだからね?」

 サガの後ろで見送るために立っていたシャカに向けられたことばにシャカはこくりと頷き返す。

「それから―――」

 車が動き出してなお、何か言おうと身を乗り出す彼女にサガは苦笑しながら、軽く手を振って見送り、視界から車が消えたところでようやく「中に入ろう」とシャカを促した。
 今から二時間ほど前のこと。
 古民家のある場所からシャカはサガと一緒に戻った。用意された食事を楽しんだ後、村人たちとしばらく歓談していたのだが、女主人のもとへ彼女の息子夫婦の子どもが生まれそうだという連絡が入ったのだ。肝っ玉が据わっていそうな彼女だったが、「どうしよう」と狼狽えるばかりで、みかねたサガや村人たちが色々と準備や手配をしたのだった。

「きみがいてくれてよかった。わたしでは何の役にも立たなかっただろう」

 皆が退散してすっかり静かになった家でシャカはぽつりとつぶやいた。両手にコーヒーカップを手にしたサガがシャカの前に一つ差し出したあと、椅子を窓の風景がみえる位置まで移動させて座り、ひと口コーヒーを含んだ。サガはしばらくその味の余韻に浸っていた。

「そうだな……ナイスタイミングでここに戻ったと自分を褒めたいところだ。下手をすれば元の木阿弥になるところだったからな」
「……」

 サガの言っているのは恐らくシャカのことなのだろうと気付くと無言になるしかなかった。確かにサガの言うとおりだったかもしれない。彼女がこの家を離れた後、シャカはただ漫然と過ごし、みずから食事を支度するようなことなどしなかっただろうし、かといって聖域に戻ろうとしたかも怪しいところだ。結果、せっかくついた肉も再び削げ落ちていたかもしれなかったのだ。

「ほんとうは教皇のことでおまえに話をしに寄っただけなのだがな。まぁ、いいだろう」

 ふうっと小さな溜息を一つ吐いてサガはまたコーヒーを口にした。

「教皇がどうしたのかね?」

 気になったシャカが問いかけると、サガは大した話ではないという風情で説明を始めた。

「―――そんな大事になっていたのかね。次期教皇を決めるなどと……どうして、もっと早く教えてくれなかったのかね?」

 間延びしたように語るサガにシャカは苛立ちを覚えた。聖域にとっても聖闘士の一人であるシャカにとっても大切なことだ。きちんとその行く末を見定めたいとシャカは思ったのだが。

「明朝、聖域に戻って会合に参加すればわかること。早く話したところで、まだ始まってもいなかったことだ。それこそ、おまえに何ができるというのか。それにわたしにすればそのようなことよりも、シャカ、おまえの体力が戻ることの方が大事だったからな。煩わしいことで気を散らすようなことはさせるべきではないと判断したまでだ」
「だが、それでは――」
「優先すべきことを間違えるな。シャカ」

 ぴしゃりと告げられて反論すら許されないことにシャカはムッとした。頭ごなしに押し付けられたようで、矜持が許さないのだ。

「それはサガ、勝手なきみの考えだ。わたしにとって、とても大切なことは一も二もなく聖闘士としての役目を果たすことだ。それに関わるすべてをないがしろにはしたくない」

 手に収められたコーヒーカップにサガは視線を落とした。長い沈黙の間、サガはじっとその濃い黒の液体を眺め続けていた。窓から差し込む日が濃い影を生んだようにも見えた。

「―――そうまでおまえがいうならば、敢えていわせてもらうが。あのような状態までに至り、自分ひとりでは立つこともままならぬ者が、どの口で聖闘士としての役目を果たすなどといえる?関わることすべてをないがしろにしたくなどないというのであれば、それこそ、おまえ自身を危険にさらすような愚かな真似は二度としてくれるな」

 僅かにでも語気を荒げたり、語るサガの表情が怒りに満ちていれば、シャカもそれなりにサガの感情を汲み取ることができたかもしれない。けれども、サガは淡々と顔色ひとつ変えもせず、どこか事務的に告げるだけだ。サガの心情など到底シャカには理解できなかった。
 たった七年ほどの時間がサガを未知の生物へと作り変えてしまったのではないだろうか、とシャカはキュッと小さく痛みを告げる胸に自然と手を添え、借り物の薄手のシャツを握り締めた。


作品名:オトナダケノモノ 作家名:千珠