青
「それに聞きました。この砂浜のランニングを走り切ってこそ陵南のスタメンの資格があると。もう福田と越野の後ろには誰も見えませんが、越野がここで今走る事を止めたら……辿り着くのは難しいと思いますが、上級生達が俺達の次、となる。」
仙道が続ける。話さない方ではないが、この男が多弁になる事は珍しい。
「―…以前の。あの長身のDFOFの厳しい某校との練習試合、あの時もだ―…あいつは最後はもうふらふらになって、……流石に魚住先輩と池上先輩も、もう良いと止めていた。……でも、その状態で更に3Pを重ねていたんだ。」
大きな波が一つ、寄る。
その声はそこに居る者達に聞こえただろうか。
俺はその姿にどれだけ勇気付けられたか、と。小さく呟いたその声は青の波に消えた。
「……そう言う。うちには本当に稀少な外から打てるメンバーを、スタメンやシックスマンから抜いて考えてしまう事は本当に惜しい―…俺は、個人的にはスリーポイントラインから打つならば、それより、中入ってガンガン攻めます。その方がオレっす。」
そして仙道はすっと目を細め魚住の方を見た。
「俺はここ(陵南)では、あなたと池上先輩と植草と、ああして必死で今走ってる福田と越野でバスケをやって行きたい。」
じっと真っ直ぐに魚住を見据え、仙道はきっぱりと言い放った。
やがて困憊により赤く発汗した福田と白くなった越野が到着点に辿り着き、しばらくは留まっていたが、やがて申し合わせたように、双方ばたりと海岸に転がる。
動かなくなった福田の上半身を魚住に任せ、俺より仙道の方がでかいよな、なら俺が小柄の方を持つべきだろう……とやや疑問に思いながら、意識を失った大の男の体の重さを噛み締めながら、その両足を引き摺り気味に持ち、池上達は体育館に戻った。
その……こうして池上が今思い起こした眼前のこの少年の体力について。
陵南のスターティングメンバー及びシックスマンとして、それが少々気掛かりだと池上が話し、魚住がそれに応じていた。
スマン、教員に使われてくたびれて……今はこれしか出来んと言い、魚住から放たれた試合同様の強いパスを受け、使い込まれた古びたボールを胸の位置で持ち、片足を軽く引く、瞬時―…
(ああ、これは早えな)
そう池上が想う程の瞬間、手本となるようなトリプルスレットの姿勢から、越野がそのまま垂直に跳んだ。
元来魚住や池上よりずっと小柄の為、跳躍力はスタメン達の中では並だが、そのジャンプの最高到達点―…落下する際の、そこだけ時を切り取ったかのような空中で静止した最中で利き腕を上げ、細い体に対しその前腕を真っ直ぐに上げシューティングハンドに掛けていたボールを、コントロールした指先で離す。
―…自分より随分と大柄な魚住、池上がここにやって来た事で触発されたのだろう。
小柄で細身のその非力を補うジャンプからの3Pだ。
放たれたシュートは最高の角度でリングに吸われていった。
着地し、嬉しいのだろう。越野が魚住達の方へと寄り、喜びを露わにする。
黒の前髪―…攻防共に激しい動きで発汗し、邪魔になる、と一年坊達が二年に上がる頃になると、大体は落としてしまうそれを、未だに入部の頃と変わらぬままにしている。美しく艶やかなそれが、舞う。
内心、子供のようだと思っているのだろう。しかし、部内の美貌の天才程には目立たぬが充分に整った、愛らしい……子供と少年の境で止まったままのような彼のその部分を決して嫌っていない魚住が、寄る越野を迎え、笑い、応じる。
(―…オレも、本当は。)
朴訥な魚住と厳格な田岡の中継ぎ役を一身に担い、それ故上級生と同輩達より巻かれた者、と冷めた視線を受け、しかし―…全ては妬みや一部の行き過ぎた上下関係の悪影響などにより歪んだ部の統制の為、監督が掲げ同様に自分が理想とする魚住、池上が柱となった陵南の為に尽力し続けて来た。
この陵南の……けして大袈裟ではなく、死ぬ程の特訓と同輩達の冷めた視線と上級生達の仕打ちに負けぬように、そして何より一年の頃から自分達の願いのために考え続け、“可能性の芽”を探し、こうして眼前の一年坊達を完全に自分達の側へ手懐け。
―…
全ては部の為。
彼等に恨みは無い。しかし先ずは自分達に属した“可能性の芽”から。目的の駒として―…仙道ですら。利用するつもりだった。
(―…本当は。)
幼子にしてやるようにポンポンと越野の、約30cm程も下に存在する小さな頭を撫でる魚住。
止めて下さいよおーと、笑いながら言う越野の、美しい髪と邪気とは無縁の表情を無言のまま眺める。
(……俺は、こいつらが羨ましかったんだ)
同輩や上級生達からどれ程に誹られ、時に涙してもそれらに向かい、ここまでやって来た眼前の同輩の強さが。
そして、部の為にと陽に陰にと動き、いつしかどんな事が起こってしまっても、何でもねえと虚勢を張って来た……その反応しか出来なくなってしまっていた自分の目の前で、いつも、笑い、怒り、悔しがりその直情で皆を―…時にあの仙道ですら安心させる様が。
ふと、瞬間自らの体を乾き切った風が吹き抜けたかのような感覚に捕われ、しかし、池上はそのまま言葉を続ける。
「思い出した、越野。これをやろう……さっきの教員が俺達へ礼にとくれたモンだ。」
そう言い教材の入る黒の鞄から出された物を見て、嬉しそうにしていた越野が更にあっと目を輝かせた。
1リットルの約半分がきれいに収まった―…中型の持ち運べるペットボトル。つい少し前に全国的な販売が開始され、新聞やテレビで取り上げられたばかりの非常に新しい物である。
陵南は文と武の双方に秀でた、優秀な生徒しか集まらない学び舎ではあるが、そこはやはり少年少女達―…購買部にそれが並び始めると、買い求める者達が増え、中身が緑茶にしろただの天然水にしろ―…人気の目玉商品となっていた。
わー、先輩、ありがとうございます、と言って池上が出したアクエリアスを飲む姿に、池上は改めて思う。
(―…こんな、コイツが。)
―…ガキみてえな顔して、いつも喜んで、笑って、怒って、そうしているから、
俺が動き辛くなるじゃねえか、と。コイツのせいで。
―…一年の時からずっと考えて、部の為に恨みは無いえが、一年生を駒にして、何人であろうと利用しようと、今ですらそう考えていると言うのに。
(こいつが子供だから、ガキみてえに笑うから……そんな事のせいで……だから決心が鈍っちまう。)
何か他に考えるものを残しながら、ボトルの茶を飲み干しつつ、そう思った。
濃色の茶は、少し渋く、そして苦い。
喜び寄る越野を引き剥がし、戦友である同輩から渡されたペットボトルを、その大きな掌で受け取りながら、魚住は特に何も考えず横で聞き流していた池上の言葉におやと思った。