学園小話2
醜い人 ……鉢屋と滝夜叉丸でボコり合い
本気を出す相手など、ごく限られている。
いくつもの戦輪を操り、いかに効率よく殺すか。全身がそれに集中する快感。そのときの自分を見せたくない相手を思い浮かべてみたら、漠然と「この人には…」と名が挙がる。
おそらく田村三木ヱ門は、ライバルだなんて言わなくなるだろう。あれは馬鹿みたいな男だから、しばらくすれば元に戻るかもしれない。ただ、戦輪を見る度にきっと思い出す。三木ヱ門ほど馬鹿で真っ直ぐで、明るい男は知らない。だからアレとは何の隔たりもなく、無邪気に殴りあいたいと思っている。
七松小平太先輩には、見せたところで問題はないし、決して嫌わないとわかっている。でも、欲まみれの顔は見せたくない。あの人の前では、可愛く頼りになる後輩でいたい。
でも別に、誰に見せたってかまわないのだ。
誰かを殺す快楽に笑む己を見て、他人が失望しようが嫌おうが、どうでもいい。そこに自己矛盾を感じないわけではないが、事実だから。
「でも、あなたは違う」
対峙する鉢屋三郎の頬には、幾多の層にもなった切り傷が痛々しく残る。何枚も重ねて素顔を隠す、それは鉢屋三郎の武器のひとつであり、臆病な男を守る鎧。
「本気の顔を見せて、嫌われたくないんでしょう。だから、どうでもいい私相手で腕を磨く」
風を切る戦輪は、実戦用。三郎の使う刀も刃を潰してはいない。
最初に殺しあうかもしれない行為を、挑発の言葉でもって提案してきたのは向こうから。そうして殺し合うことを選んだのはこちら。以来、鍛錬と称して血なまぐさい打ち合いを続けている。
「相手の肌を裂きえぐる快楽の顔を、不破先輩たちに見せるのが、そんなに怖いですか?」
くないの先を、飛んで来る戦輪の輪の中へ差し込み、また放つ。
忍術学園に来る以前から三郎が変装し続けてきたように、滝夜叉丸もまたこの武器とともに生きてきた。忍術学園内ではこの目の前の男以外、本気を出した滝夜叉丸が操る戦輪を見たことはないだろう。
黒く濁った、忍の瞳が閃く。
一気に間合いを詰めたかと思うと、右手の指の合間で刀が光る。至近距離から放たれた刃のひとつが、咄嗟に右横に逃げた二の腕の肉を掻き切る。
「べらべらとよくしゃべる、煩い口め」
「事実を述べているだけですよ」
さらに右に三歩ずれるが、三郎は動かない。代わりに、背後から飛んで来る戦輪をくないで叩き落す。
「生意気な後輩を叩きのめす時間だ」
空中を舞う刃は、あと二つ。そのひとつが弧を描き戻ってくる。
乾いた唇を舐めると、かすかに血の味がする。これはどちらの血だろうか。
「久々知先輩」
唐突に挙げた名前に、三郎の動きが微かに止まる。
「……久々知先輩が、見ていますよ」
今度ははっきりと、男の身体がびくりと震える。
その隙に、首を掻き切るべく戦輪を放つ。もちろんこれを受けてしまうような、可愛げのある相手ではない。右に飛んで避けるその斜め後ろから、最後の刃が戻ってくる。
「クソガキめっ」
忌々しいと吐く三郎の右手が、戦輪を底から掬い上げる。
彼のくないの中で遠心力を失った相棒は、手首が翻るのと同時に裏切り者に変わる。それを知りながら、大地を蹴る。
懐から取り出すと同時に、放つ刀。ひとつは戦輪に弾かれ、藪へと向かって飛んでいく。残った二つの牙と共にくないを振り上げる。同時に肩へ指先へと走る痛み。
「遅いんだよ」
刃をくないで弾き、男が笑う。くるりと返した柄で、したたかに左腕の傷を打つ。息が詰まる一瞬の隙は、この隣接戦闘では命取り。横っ面を殴打され、地面に叩きつけられる。
「覚悟はいいな、平」
覚醒は程遠い、獣の声。振り上げられるくないの先端は、左の胸を抉るだろう。
「堕ちる、覚悟があるなら、どうぞ?」
打ち据えられたときに、十分な受身が取れなかったせいで息が切れる。
それでも睨み返せば、にぃと笑う三郎は一気にくないの代わりに拳を腹へと落とす。今度こそ息が止まる。
「先輩は敬うものだと習わなかったか?」
喉を掴み、えずく後輩を傲慢に見下ろす。それはこの場を治めた勝者の顔。
「……後輩は可愛がるも、と……習いませんでしたか…?」
荒い息で応じれば、またも唇が弧を描く。
「これでもかと可愛がっているつもりだが?」
よく言ったものだ。口の中に溜まった血が気持ち悪くて、吐きつける。それを軽く避けて、男の手に力が篭る。
「二度と、兵助の名前を出すな」
喉を絞める指の力は、三郎の怯えそのもの。顔と同じく隠そうとしたって、こちらのほうは隠し通せるはずもない。そのように、こちらはもう手を打っているのだから。
今、周囲に第三者の気配はない。だからこそ、三郎は動揺させるための嘘だと思っている。いや、思おうとしている。だが、明日になって滝夜叉丸の喉にくっきり残る指跡を見て、彼らはどう思うだろう。
――一緒にここまで来たんですよ。
赤い唇で囁いて、笑ってみせる。
途中できっと帰ったのだろう。それは彼ら五年生の三郎に対する信頼の証。その信頼の鎖が、友を苦しめるとわかっていない可哀想な先輩たち。
子供のような絶望の顔を浮かべ、男はがらにもなく呻いた。