学園小話2
溺れる男 ……喜八郎と滝夜叉丸
「寒い」
「火鉢ぐらい自分で用意したらどうだ」
綿入れに包まってぼやけば、あきれたと返される。先ほどまで健康的に身体を動かしていた滝夜叉丸の額には、流れる汗。他人が見たら、何事かと思う図式だろう。
「少しは動け。温まるぞ」
「今はそんな気分じゃない。動いたら、零れ落ちてしまう」
促す声色に、図書室から借りてきた本の山に溺れながら応える。活字を追うのは嫌いではない。もちろん、身体を動かすのがいやなわけではないけれど。
ただようやく図書室に入った、異国の書物。それをこの身に収めるのに、少しでも動いたら目から耳から、何かが落ちてしまう。
「それに、滝夜叉丸が入ってきたから寒くなってきたんだ。責任を取ってよ」
「……屁理屈を言うな」
まったくとぼやいて、それでも滝夜叉丸は部屋の隅に置いてある火鉢に向かう。少しして、背中の向こう側からかさりかさりと炭がぶつかる音がする。
それをききながらまた本に視線を落とせば、待て、とばかりにまた現世に引き上げられる。まったくも無粋な男はいつまで経っても無粋だ。
「そちらの火皿をよこせ。もう暗い」
指が指し示すのは、すぐ側の灯明。ふと見れば、滝夜叉丸の手には油さしが握られている。
本当は指ひとつ動かしたくないけれど、明かりがなくて本を読めなくなるのは困る。緩慢に手を伸ばせば、ため息が急かす。
油が満たされた火皿を手に、彼は立ち上がる。
それを渡してこないのは、危ないという判断なのだろう。ほんのりとすぐ側で明かりが灯る。
「火は起こしたが、後は自分で面倒を見ろよ」
部屋の中央に火鉢を移動させたかと思うと、同室者は手ぬぐいと手桶を手に出て行く。きっと風呂に入りにいくのだろう。
言ってらっしゃいとひらり手を振る。トンと音を立てて閉じる戸の音が、ひどく遠かった。