学園小話2
夜の話 ……喜八郎と小平太が語る長滝
トラブル続きの四五年生合同演習。ようやく遅い風呂を済ませ部屋に戻れば、すでに布団が敷いてあった。
これが反対の立場ならば、ごく当然のこと。しかしその反対はといえば恐ろしく低い。綾部喜八郎とはそういう男である。明日は雨かもしれない。
ただ、しかしである。喜八郎の布団が膨らんでいるのは当然として、どうして自分の布団も膨らんでいるのだろう。
「あ、おかえり」
その布団が跳ね上がり、下から見慣れた人が手を振ってくる。
「…………七松先輩、どうしてここに。それ、私の布団ですよ」
「知ってる。喜八郎に敷いてもらったからな」
いや、聞きたいのはそこではないのだが。つい恨みがましく隣の布団を見るが、我関せずらしい同室者は見向きもしない。
「私も休みたいのです」
「だから部屋を変わってやるぞ。私の布団で寝ればいい」
「どうしてそうなるんですか……」
「私がそうしたほうがいいと思ったからさ」
ニカッと笑って言う先輩の言葉に逆らえたためしはないが、しかしそういう問題ではないだろう。一応、勝手に部屋移動はしてはならない規則だ。というより、六年長屋で寝る四年生がどこにいる。
「七松先輩っ!」
「いいから、行った行った。長次によろしくな」
また布団を被って、掌だけ出してひらひらと振る。もはや無駄な抵抗はあきらめて溜息を吐く。
きっと七松先輩は、気を使ってくれているのだろう。それが当事者の感情などお構いなしでも、善意は善意。一度、六年長屋に顔を出し、同室者である中在家長次に一言、連絡だけはしておくべきだろう。その後は四年長屋の空き部屋に転がればいい。
撤退のしんがりを務め、それなりに疲弊して戻ってきている。正直、気遣いなどいらないからさっさと眠りたかった。
それでもあの先輩に逆らえるはずなどなく、滝夜叉丸は重い足取りで六年長屋に向うのだった。
「お節介がすぎるんじゃないです? 滝夜叉丸は、中在家先輩に会いたいなんてこれっぽっちも思ってないと思いますけど」
障子戸の向こうから気配が消えてから、おもむろに寝返りを打った喜八郎が呟く。
この男はいきなり部屋に入ってきたと思ったら、二人分の布団を勝手に敷いて、勝手に寝転がったのだ。先輩といえど、無礼な闖入者に持ち合わせる敬意はない。
「私もそう思う」
不快さを隠さない嫌を孕んだ声に対し、あっさり返されるのは肯定の返事。だったら何故と、あっけにとられる。
「私が心配しているのは、長次のほうさ。演習のトラブルの話を聞いてからこっち、ずっとぴりぴりして気が休まらん」
それに滝夜叉丸は、そういう心配をさせているということに対しては無頓着だろう? 振られて、たしかにと頷いてしまう。人一倍、自慢屋でおしゃべりな男は人の心に機微に疎すぎる。それを本人に言えば、間違いなくお前のほうが疎いと返されて泥沼になるから言わないが。
「……滝夜叉丸は自分が優秀だと信じているし、実際よく出来ているからな。しんがりもたいしたことじゃないのかもしれん。だが、待つ側としては心配するもんだろう?」
「そういうもんですかね」
欠伸をひとつしながら、そちらの意見には半分疑問を投げかける。出来る任務として与えられているのだから、ちゃんと帰ってくるし実際帰ってきている。心配するほどのものじゃないだろう。
「やっぱり、お前たちは似たもの同士だな」
一拍置いて、小平太はからりと笑う。
「私は滝夜叉丸を信頼してるし、滝夜叉丸は次に会ったとき確認できるから心配しない。だが、長次はちょっと違う。顔を見ないとあのぴりぴりは治らないだろうし、そのためには滝夜叉丸が自分から行かなくちゃ駄目だ」
わかるか? またも振られて、暫し考える。
「……心配してるんです?」
「多分」
「それって信用してないってことでしょう」
馬鹿馬鹿しいと切り捨てる。結局心配という単語は奇麗事の代名詞。
またも遠慮なく欠伸を零せば、二歳年上の男は小さく唸る。
「私にも上手く説明できんが、私とお前は滝夜叉丸の身内で、あいつだけは他人なんだ」
「…………本当によくわからない説明ですね」
ただ、言いたいことはなんとなくわかった気はする。あくまで気のせいレベルだが。でも、それを言うなら、身内のほうが心配するものだから逆なのかもしれない。
こんがらがる思考をもういいと放り出せば、向こうも似たようなものだった。
「どうせもうすぐ別れる日が来る。だったら、たまにはこういう粋なことをしてもいいじゃないか。後輩思いの先輩だろう?」
付き合っている者同士、積もる話だってあるじゃないか。そう笑う男に、こちらはため息交じりで答えて目を閉じた。
「今夜じゃなかったら、同意したかもしれませんね」