魔法少年とーりす☆マギカ 第五話「マギクス・トリプレット」
太陽の魔女の結界は使い魔によって破壊の限りを尽くされ、最早廃墟のように無残な姿を晒していた。 暗い浅葱の蔓草はトーリスの姿を完全に覆い尽くし、ドーナツ床の上を放置された家屋に生えた蔓草の如く蹂躙せんと、今も恐るべき速度で成長を続けている。 いの一番に飛び込んだフェリクスは既に蔓草に呑まれた。
「もうっキリが無い!」
エリゼベータは得物を乱暴に振り回し、蔓草の軍勢を斬り飛ばし続ける。 汚い浅葱の破片が燃え滓の様に辺りを漂い、浅葱の点灯を背に、琥珀の残像が明滅を続ける異様な光景。 ライラックの蛍火は緋の所在を特定すべく休みない探索を続ける。 無関係な… いや、もう無関係とは言い難い程に知られてしまっている。 だが可能な限り、【あれ】は無傷で引き継がせなければ。 ギルべぇは転がっていた棒切れを振り回し、非力ではあるがローデリヒを魔性の進軍から必死に撥ね退けている。 浅葱恒星の強烈な魔法の光を浴び続けた為に、ドーナツ空間上は魔女の呪いがスモーク様に充満しており、調律の魔法少年は身体の自由までも魔力探知の力に割り振らなければ、少年の一人二人すら探し出せない程に魔法で押されてしまっているのだ。 予想以上の強敵。 魔女本体の弱点が何処にあるかも未だ判らない。 このままでは危ない。 何れ力尽きて―
トーリスは目を見開いた。 浅葱の光芒が黒の中から僅かに滲む。 モノクロの非日常はもう見えない。 彼の思考回路は魔女的データの横槍を受けて既にパンクしている。 ぼんやりと開けた視界。
(まだ、生きてる?)
単純化された取得情報へ無感情に返答するボットプログラム染みて、少年は残った外壁にただ凭れ掛る。 不透明塗料を塗られた様に喉元の緋の光は所々光量が下がっていた。 視界が高く開けて上昇し、彼は自身の異常に気付けなかった。
球状となり内部を締め潰さんとした途端、引き千切れる様な音と共に破裂し、浅葱の蔓草ドームは大穴を開けた。 色のついた風が薙ぐ。 床に平行に其れは跳躍し、其れは対面側の壁面へ着地した。
「な…ッ」
一同は驚嘆を隠さずにはいられなかった。 壁面へ着地していた緋の少年までもだ。 トーリス本人が意識しての所作ではない。 操り人形の様に、完全に彼の意識外でトーリスはこの超人的な回避行動を取ったのだ!
「ッ、お前。 無茶な真似しやがって…!」
銀の妖精は叫びを震えさせた。 淀んだ浅葱は痙攣を抑えるように再び帯状に変形、巻尺染みて角ばった軌道修正を経てトーリスに襲いかかる! 目で追えぬ速度、しかし未だ澄み切らぬ意識に反しトーリスの肉体は飛翔、エネルギーを乗せたサマーソルトがうねる紅白の尾を引きバリケードテープを両断! 押される琥珀の魔法少女を庇いスライディング、こびり付く黒を根こそぎ掘削! 蔓の裂傷から蛍光エメラルドが飛沫を上げ、少年十字軍の戦装束に返り血の如く飛散した。 ほんの僅か、緋の少年の喉元、水と油の様に遊離し、揺らめく緋と白の光をローデリヒは目に焼き付けた。 躊躇いながらも再び着地する緋の少年。 青緑の瞳下半分に浮かぶ草色の燐光。 ライラックの少年は確信した。
「貴方は、まさか」
緋の少年は振り向く。 ライラックの魔法少年を、視界の中心に収めたはずだった。 だが助けは乞えなかった。 再びの急激な飛翔感、魔女的蔓草へノールックの構え。 頭骸に響く覚えのある声色。 左手に収束する緋のコロライド光。
《フォニークス・コーダ(不死鳥の尾)》
刹那、緋の火球は青ざめたドーム状を貫通し、蔓草の隊伍は不気味な悲鳴を上げて爆発四散した。 トーリスが気付いた時には、既に腹の傷は塞がれ、かわりに全身気味の悪い汚れた浅葱に塗れていた。 先程まで彼を苦しめていた疲労感も無い。 耐え難い苦痛が不意に、霧の様に消えた様なおぞましい感覚。 両手で頬を何度も触れる。 生憎、夢でも何でもない現実の感触。 軽く開いた口を閉じる事が出来ず、徐々に手が震え出し、糸の切れたマリオネットの如く、少年は膝を曲げへたり込む。
「 !」
こんなの、こんなのってないだろ。 俺は町の人も、友達も守らなきゃいけないんだ。 俺は戦隊ヒーローの人形なんかじゃない。 ごっこ気分で俺を操ってるなら、お願いだからやめてくれよ。 苦しいんだ。 目の前で同じぐらいの人を助けられなくて、ローデリヒ達みたいに魔女をやっつける事もろくに出来なくて。 もう何もかも吐き出したい。 家に帰って弟達と馬鹿みたいに遊び散らかしたい。 それが出来ないなら、せめてこのいかれた世界から引っ張り出してくれよ。 それとも、今居るここが現実の世界で、学生したり馬鹿騒ぎしてたよく知ってる単純な世界が夢なのかな―。
精神的疲労が限界を超えたトーリスの主観は浸食されつつあった。 第三者が全体像を見下ろすかのような無関心が自我を一欠片ずつ破壊していく。
「起 、 ―リ !」
ライラックの柔らかい光。 クロッキーの様に減りつつある視界の情報量。 解像度はやがてハイビジョン、ワイド、テレビゲーム、八ビット。 だが。
《レ・シントニア(再調律)!》
その呪文は軽やかにローグラフィック世界を駆け回り、感情の回線は超高速でアイデアスケッチの如く単純化され、下絵、清書、彩色に仕上げ… やがてトーリスの映る視界は、元の浅葱と黒のガラクタ空間へと戻された。
「気が付きましたか」
眼鏡の少年がトーリスの額に押し当てた右手を離す。 非力そうな汗ばむ手に収束するライラック。 重要でない思索や機微は大分脳の隅に退かされ、彼は自分がローデリヒの魔法に助けられたと言う推測を出せる程にニューロンの回線を改善させていた。
「ぅあ… ありがとう」
「まず立ちなさい、このお馬鹿さんが」
悪夢から覚めた様な不可解な感覚。 差し出された手をトーリスは支えに立ち上がる。
「今のは?」
「貴方はこの結界と同じ、強い魔力に冒されていたのは確か」
張り詰めた口調。 眼鏡の奥でローデリヒは緊張状態のまま続ける。
「頭に集中していましたから、脳にダメージを受ける様な危険な魔法かも知れません」
「脳?」
唐突な情報の濁流を思い起こす。 あれが、魔女の呪い。 身じろぎ、緋の少年は咄嗟に構え直し体勢を立て直したが、浅葱色の光る球体は、初めに見た時よりも明らかに輝きが弱まっている今も変わらず魔力を放出し続けている。 混色を間違えた様な浅葱の草原に身体を埋めていた琥珀の魔法少女は、振り乱した淡く長い茶髪をかき上げ、元・浅葱の魔法少年の身体を横に抱き上げ項垂れていた。 息を切らし、銀の妖精は枯れた木端から辛くも這い出る。 崩落し続ける黒金の外壁。 足下の床は表面が砕け砂状になっている。 非常に不安定な足場と、魔女の魔力をより鋭敏に感じる自分の身体に、トーリスは怯んだ。
突如、廃墟染みた魔女の結界内に大きな、しかし剥がれる様な破砕音が反響した。 生き残り達は一斉に音の発生源を伺い、ローデリヒが一早く特定し、面々は一斉に根源の浅葱恒星を視界に収める。
作品名:魔法少年とーりす☆マギカ 第五話「マギクス・トリプレット」 作家名:靴ベラジカ