久しぶりの晩餐
ライブラから貰う活動資金は基本定額で、状況に応じて融通はしてくれるんだけど、“懐がキビシイから多めに貰う”ってのはしたくない。
「今月は特に頻繁に出動されておりましたから残業代として上乗せしましょうか」
申し出はありがたかったけど、他のみんなは各々他で十分な収入源があるんでライブラからの収入に依存してるわけじゃない。そこのところが引っかかって、ほんの少し。ほんの少しだけ、気持ちが許せるだけお願いした。
横で「オレも残業代下さいよ!」と全力でアピールしていた人も俺と同額だけ上乗せされることになり、「テメェがもっと素直に貰っとけば…」とかなんとか逆恨み甚だしい文句をつけてきた。ちなみにこの人の収入源は恋人とも限らない複数の女の人からの小遣いだ。ちなみにちなみに収入より借金の方が多いらしい。毎朝昼晩とクラウスさんの爪の垢でも煎じて飲めばいいのに。
話が脱線したけど、要するに金欠だった。忙しさにかまけて食事もおざなりだったし、いつもなら状況を見透かして家に誘ってくるライブラの番頭役は俺なんか比べ物にならないぐらい忙しく、人の世話を焼く以前に自分自身がどうにかなりそうな有様だった。
そうなると食事は純粋な作業になる。栄養摂取を目的としていて、手軽さを追求した結果、連日バンズに野菜や加工肉を挟んだもの―サブウェイかバーガーを交互に食べるような生活になった。三つめの選択肢としては食べないこと。
元々食事に頓着しないせいでタイミングを逸したら一食ぐらい平気で抜けた。食事を抜いたほうが財布には優しかったし。
しばらくしてようやく事務所を飛び交う緊急連絡のアラームや書類の処理が落ち着いた頃、
「レオッちちょっと痩せた?」
二児の母ながら凄腕狙撃手K・Kさんが心配そうに覗きこんできた。さすがによく見ていてくれるというか、俺のことも子供みたいに見てるんだよな。
「ちょっとだけ……?計ってないからわかんねっすけど」
「どれ」
ザップさんが子供に高い高いするみたいに両脇を掴んで持ち上げやがる。確かに何かと助けられてるんで抱きかかえられた回数なら一番多いかもしれなけど。
「わかんねーけど痩せたんじゃね?ダイエット?」
「どうでもいいと思ってんなら何でやったんすか」
ダイエットなんかしてるわけねーだろ。
「確かに忙しかったけど体が資本なんだから大事にしないとダメよ」
K・Kさんのセリフに既視感を覚えながら半笑いで頷いた。そんな輪の向こう側で未だデスクワークが終わらないスティーブンさんが顔を上げたのを見つけた。虚ろな目とは目が合わなかったけど。
もしかして後で誘ってくれるのかな。
頻繁に上がり込むようになっても上司はみんなの前ではその話をしない。俺だって話の流れで、口の堅そうなツェッドさんに告げたっきりだ。やましいことがあるわけじゃあないけど、あんまり詮索されたくなくて。――そう、詮索されそうな話なのだ。
食事の相手がクラウスさんならまだしも、スティーブンさんは元々俺自身に興味があるわけでもない。表面上は必要最低限に気を遣ってくれるけど、実際はそこまで親身になってくれてるわけじゃない。クラウスさんの手前そう振る舞っているんだろうって瞬間もある。
それがどういう風の吹き回しか。家のガレージ裏で母親に隠れてこっそり拾った犬に餌をやるみたいにして面倒を見てくれてる。汚い野良犬なんか拾わなそうな人が、だ。
疑問は尽きないけど、実際助かってるし、何だか素に近い表情が見られて、俺はちょっといい気分になってる。優越感っていうのかな。
「そうだ!レオッち今晩うちにご飯食べにきなさいよ」
ぱちんと手を叩いてK・Kさんが身を乗り出してくる。銃なんか持たせるととんでもないけど、この人こう見えてすごく家庭的ないいお母さんなんだ。
「いいでしょ!今夜はこっちの仕事の予定もないんだし」
「はあ。…………ごめんなさい、やめときます」
「エエー?!」
「ほら、K・Kさんもずっと働き詰めだったじゃないですか。久しぶりの家族団欒を邪魔したら悪いっすよ」
「そんなことないのに」
断っちゃった。とっても嬉しい申し出だったけど。
ちらりとスティーブンさんに視線をやったけど、もう机の上のパソコンに釘づけだった。
聞こえたかな。聞こえたよな。いかにも「ご飯奢ってください」みたいな、期待してますみたいに聞こえたかな。別にそういうつもりじゃないんだけど、誘ってくれそうな気がしたから予定を空けておきましたってのもな。
言ってすぐに明後日向きの後悔をしたが、間もなく訪れた二人きりのタイミングを狙って声をかけられた。
「レオ、今晩の予定は?」
「うちに帰って寝るだけです」
「K・Kの誘いを断っておいて?」
何と答えたものか迷ってうっかり見つめ合ってしまった。
「うちへの招待も断るかい?」
俺の頭の中をどこまで見透かして言ってるんだろう。
死に物狂いで働いて、あんなに山積みだった書類があと数センチになってる。まさか恒例のディナーのために頑張ったわけじゃないんだろうけど。やっと落ち着いて食事にありつけるって晩にご指名を受けてしまった。
「……気遣ってくれちゃってます?」
「ただ久しぶりに君と食事をしたくなったから誘っただけだよ」
お疲れのお蔭か事務所なのに気怠そうなプライベートな空気を纏ってそんなことを言うからちょっとドキッとした。こりゃあ女の子にモテるわけだ。俺が女の子なら何でもかんでも捧げてたかもしれない。生憎いわくつきの眼しか取り柄のない男なもんで、捧げるものが何にもないんだけど。
返事を迷っているうちに部屋の扉の向こうから騒がしい足音が近づいてくる。
「すまないがうるさいのが来る前に決断してくれ」
「行きます!いきますいきます、もちろん!」
その数秒後には勢いよくドアが開かれて言い争いをしながらザップさんとツェッドさんが飛び込んできた。その頃にはもうスティーブンさんは机に残った数センチ分の書類を手にしていて、俺は応接セットのソファに座って相棒の音速猿を撫でているのだ。