久しぶりの晩餐
最後の書類をファイリングした卓上にはパソコンが一台だけ。
霞む目は焼き付けを起こして視界に白くて四角い幻がちらつくが、大丈夫だ。手で触っても机の質感しかない。
最後にパソコンを閉じようとして、やめた。マップにGPSマーカーを表示させると、ちょうど自宅のあたりにブルーの点が乗っていた。彼はもううちに着いているようだ。それを確認しただけで妙な満足感があって、しばらくその画面をぼんやり眺めていた。
「何でレオッちがアンタのうちにいるわけ?」
反射的に振り向いた。胸がバクバクいってる。過労で弱った心臓をフル稼働させられた哀れな同僚に向かってK・Kは犯罪者でも見るような目を向けてきた。
あんまり静かで、いつの間にか部屋に一人きりのような気分でいたが、そういえば彼女が出て行ったところは確認していなかった。迂闊だった。疲れていたにしろ、睡眠不足にしろ、こんな近くの人の気配までわからないとは。
驚きの次にはマズイところを見られたという焦りがわいてくる。いや、仲間が危険に晒されていないか定期的にGPSで監視するのは仕事の一環なのだが。
「まさかアンタが先に晩御飯の約束してたってこと?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあ何なのよー、どういう取り合わせで何のために家に上げてるわけ?」
「何って……夕飯をご馳走するためだけどね…」
「ってことは、ウチのディナーを断ってからアンタと約束したってこと?納得いかなーい!」
マズイ。面倒な相手に見られてしまった。
「――なんて」
ひとしきり騒いで見せたかと思えば茶化した口調をピタリとやめて、威圧感のある長身でデスクに乗り上げてきた。片目で冷やかに見下ろされると、いよいよ悪いことをしたみたいな気になってくる。
「まさかだけど、レオッちに何かしたの?」
「意味が解らないな」
「まだるっこしいわね。神々の義眼所有者だからってあの子のこと手懐けるような真似したんじゃないでしょうね」
「酷い妄想だね。僕がそんな男だと…」
「そんな男でしょ」
被せて言い切られた。思い当たる節しかないので本気で怒らせる前に黙るに限る。
「別にそんなことしなくたってレオッちは私たちのために頑張ってくれるし、裏切ったりなんかしないわ」
「わかってるさ」
「本当にイイ子なんだから、詰まんない計算で誑かすのはやめてちょうだい」
「K・K、君は誤解してるよ。心配しているようなことは本当にないんだ。ただ、時々一緒にディナーを食べる…ディナー仲間」
あ、変なことを言ったな。K・Kも変な顔をしてる。でも、だって他に説明のしようがないだろう。
ディナーでなくてもいいんだけど、一緒に手料理を食べてとりとめない話をしてリラックスしたい。そんなことを懇切丁寧に説明したら、K・Kはもっと険しい顔になると思う。それはもう異界人特有の舌の裏に生息する寄生虫を見つけたときぐらい。自分だってわかってるんだ。妙なことにハマってるってことは。
「……君はよく“家族は最高”って言うだろ。それが最近ちょっとわかるんだ」
「レオッちと家族ごっこしてるっての?」
「うーん、そういうわけじゃないけど、家政婦の作った好物を一緒に食べたり、たまには一緒に料理したり、疲れていたなら横で休ませたり……本当にただそれだけなんだ。息子……というほど歳は離れてないが、弟……」
「図々しい」
「まあまあ。とにかく君の言う家族ってのはこんなかんじかと思ってさ」
意外と楽しくて参ってるんだよ。を
俺にだけ厳しい彼女は言葉の真偽を見極めようと眉間にたくさんしわを寄せている。全く信用がないな。珍しく掛け値なしの本心をさらけ出してみせたのに。
本当に珍しい。これからも他の誰かに彼との時間について話すつもりはないし、はぐらかしても良かった。すぐ見破られて信用を更に損なうだろうが。
もしかしたら、家族ってものを一番よく知ってる彼女に聞いてほしかったのかもしれない。自分の行いが何なのか、長年一人暮らしで婚約者もいない自分にはよくわからなくなっていた。
「それ…………」
彼女が形のいい唇を開いたときだ。五分ごとに自動更新されるGPSのブルーの点が赤で塗り分けられた小道に移動したのが映し出される。この街、HLは極めて危険な街だ。目に見える騒動の他にもターゲットを待ち構える犯罪者や理性さえ持たない魔獣の類があちらこちらに潜んでいる。そのために危険度が随時マップ上に表示、更新されているのだ。
「なんでそんなところに…!?」
悪い予感がする。大体にして彼はトラブルを拾ってくる天才だ。なにしろ最初に見つけられたのがライブラの恥部みたいな男だ。咄嗟に携帯を確認したが、何の連絡もなかった。ただ、この場所までは少し距離があって、近くに仲間もいない。何もなければいい。だが、エリア内の生存確率は極めて低い。
「………ッ!」
上着と車のキーを取って飛び出した。とんだ心配性だ。彼のことをあんなに心配しているK・Kだって何の連絡もなしに動いたりしない。安全確認のためのGPSだが、プライベートを邪魔するためのものじゃないんだから当然だ。
だけど、今日はダメだ。寝不足で判断力が鈍ってるのかもしれない。一瞬よぎった、自宅に帰っても彼がいないって想像が頭の中でどんどん膨らんでどうしようもない。
駆けつけて本当に何もなかったらいくらでも笑ってくれ。その時は、俺も一緒に笑うよ。
「――――何が“家族”よ。乙女みたいな顔しちゃって」
正真正銘、一人きりになった部屋でK・Kが吐き捨てた。