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雪の降る町

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 一応見てみると言い出したのはレオナルド自身だがこの言い草。恨みがましく思っていると、今回の同行者スティーブンが自分の手にはめた高そうな手袋を外し差し出してくれた。自分の買えない高価そうなものを見るとすぐ値段のことを考えてしまうのは貧乏の性だ。
「今汚したばっかりの手突っ込めないっすよ!」
「別に君が妄想してるほど上等な品物じゃないからつまらないこと言わず着けとけよ」
 金銭感覚のベースが違うのでレオナルドからしたら十分上等な品物に違いないが、食い下がっても面倒くさがられるだけだったので大人しく手を通した。当たり前に内側に残る体温を不思議なもののように感じたり、指の先が余ることに今更過ぎる敗北感を味わったりしながら。
「やっぱダメっすね。時間が経ちすぎてる」
 諦めて振り返ると、スティーブンは公園の近くの教会に向いていた。声をかけると夢から覚めたように振り返る。
「よし、次だ」
 ギルベルトの待機している車へ戻った。
 多忙を極めた時には度々虚ろな顔も見せる上司だが、どうやら今回はそういう類ではない。何か因縁がある敵なんだろう。過去にもそういうことがあった。レオナルドが何も知らないただの子供だった頃から牙狩りとして活動していた人だから、そんな相手が他にもいるのかもしれない。

 目撃者の少女はすでに退院して自宅での面会になった。
 自室の椅子に座る彼女はぼんやりしていて、ヘーゼルの瞳は何も映してないようだった。
「お医者様が気持ちの整理をつけるために絵を描かせることを提案してくださって、心の中の何か形にならないものを吐き出させてやれたらと思ったんですけれど」
 渡されたスケッチブックには事件以前に描かれた子犬や友達や家族の顔があった。暖かなそれらに比べ、不完全なところが一つもないような毛皮の男の絵は同じ鉛筆画にも関わらず冷たく見えた。
 少女の部屋で軽い紹介を受けてすぐにスティーブンは報告書で確認済みの事柄を喋る母親を子供部屋から連れ出した。レオナルドのことを何と説明して母親を言いくるめたのかあっさり二人きりになる。
 窓の外には白い雪が舞い続けていた。
「やあ、マリー。僕はレオナルド」
 話しかけても反応はなかった。わかってはいたけれど、何も言わずに見るのもどうかと思って。
「これから、えーっと、……ちょっと君の見たものを見せてもらうんだけど、僕は、うーん、なんといいますか……」
 自己紹介しようにも神々の義眼のことはトップシークレットだ。困って糸目でわかりづらい視線をさまよわせ、壁にかかっていた魔法使いのポスターに目を留めた。
「魔法。そう、魔法が使えるんだ。魔法で君の目をちょっと見せてもらうよ」
 彼女の座る椅子の横に立って慎重に頬を触った。少しだけ角度を変えさせて向き合い、瞼を開いた。青く光る至高の芸術品が眼前に現れた瞬間、それまで何も反応のなかった彼女の瞳が揺れる。
 神々の義眼――妹の視力と引き換えに有無を言わさず交換された眼球には全てを見通す力がある。過去も、未来も、人のオーラのような常人の感知できないものだって。
 青い光を反射してきらめくヘーゼルの瞳に集中する。様々な景色が何重にも重なる中から見たいものへピントを合わせていく。現在目の前にある情報が意図的に見透かそうと働きかけた過去の映像に切り替わった。今さっきの自分とスティーブンの姿、母親の顔、医師、看護師、警察、雪で白い公園と遡る。
 数日分の景色を逆行すればプライベートな瞬間も見えてしまう。女の子のプライベートを覗き見するなんて変態みたいだ。なるべく無関係の部分は認識しないよう先刻の公園の映像まで早送りで意識を進めた。
「あ」
 公園に面した道路を背景にスケッチブックで見た子供の姿を見つけた。マリーは本当に絵が上手いんだ。すぐにわかった。そこで逆行を止めた。レオナルドが望むとマリーの見た景色がそのまま映画のように流れ出す。
 家に帽子を忘れた彼女が友達と別れて再び戻ってくる。視界が弾む。走ってる。それが事件現場に佇む毛皮の男を見つけてピタリと止まった。オーラは見えなかった。これはあくまでも彼女の眼球の見た過去だから。彼女の眼球が感知できないものは見えない。
 マリーはながいこと目を奪われていた。オーラなんか見なくたって相手は人類じゃないと思った。肌は真っ白で唇の赤さが目立った。毛皮の男は無造作に顔を上げて彼女を見た。そして彼女に向かって何か言葉を発する。口が動いたけれど、何と言っているのかはわからなかった。読唇術でも習っておくんだった。
 そして彼女には一歩も近づかないまま背後の木立に消えていった。
 男の姿が消え失せた後、ゆっくりと視線が下を見る。男の立っていた足元のあたり。そこにはさっき別れたばかりの子供たちが倒れていた。
 おかしい、集団失踪事件じゃなかったのか。そう思った直後に倒れていた子供たちがふらりと起き上がり、自分たちの足で木立の奥、男の消えた方向へ歩き出した。まるで操り人形のような一様でおかしな動きで。
 それから何もなくなった現場、駆けつけた母親、警察と遡った際に流れていった映像が戻ってきた。事件のすべてはそこで終わった。
 人の姿なのに異様な男と、操られたように彼についていく子供たち。
「なんだこれ……まるでハーメルンの笛吹き男だ」
 思わずこぼれた呟きに彼女がビクリと体を震わせた。身体を固めていた氷が溶けたように、俯いて小さな肩が小刻みに震えだす。
 しまった。今まで何の呼びかけにも反応がなかったから、聞こえていないような気になってしまっていた。
 レオナルドは反射的に跪いた。固く握って白くなった手に手を重ねる。一度口から出た言葉をやり直すことはできない。それを今更悔いても仕方ない。人より良く見える眼があるだけの自分には仇を討つ約束も出来なかった。
 だけど、お人よしの彼は少女を放置することも出来ないのだ。

 子供部屋に母親を呼び戻すと、娘が呼びかけに応じて顔を上げたのを見て涙を流して喜んだ。
 母娘の邪魔にならないようひっそり見えたものをスティーブンに報告した。結果、彼女が再び狙われる可能性を考えてライブラのメンバーから適当な女性をカウンセラーとして派遣することになった。戦闘員としては非力でも牙狩りについての知識のある女性だ。何かあればすぐにスティーブンに連絡を寄越すことになっている。
「それから、彼女にもGPSの携帯をお願いしたいのですが」
 いざというときのために親の携帯からでも監視できるようにする旨を説明するとすぐに承知してもらえた。娘が動き出したことでずっと傍にいるわけにもいかなくなったから、その方が安心なのだ。
 上司と母親のやりとりを黙って聞いていたけれど、マリーの家を出て再び現場に戻る車中でつい尋ねてしまった。
 思い浮かんだ疑惑がどうしても気になってしまって。
「あの、もしかしてなんですけど、マリーを囮にしようとか考えてませんよね?」
 口に出してからすぐに取り消そうと思い直した。いくら何でも酷い発想だ。薄情なやつだと詰られても仕方ないし、そうしたらすぐに平謝りする用意があった。
 だけどスティーブンはすぐに否定してくれなかった。
作品名:雪の降る町 作家名:3丁目