ワルツ
『その時の僕は浮かれていたのです。』
事件で情報収集に走り回っている時期にはよく同じ香水を移されて帰ってくる。元からそういう人だ。謝る謂れもないんだろうけどやっぱり謝らないし、もちろん悪びれることもない。
それを気に入らないのは僕がその頃恋人気取りだったからだ。愛を乞われる立場に胡坐をかいてた。
「――それでその子と結構仲良くなって最近よく話すんすけど」
気を惹きたくて可愛い女の子と知り合った話をしてみたりなんかして。それで嫉妬じみたことを言ってくれちゃったりすることに期待なんかしちゃったりして。
「へぇ、少年も隅におけないな」
「は」
思っていたのと違った。もっと意地悪なことを言われるものだとばかり。最初は皮肉なのかと思ったぐらいだ。
「でも一般人だろう?付き合っても義眼やライブラのことは伏せた方がお互いのためだから、そこは上手くやらないとダメだぞ」
「へ」
付き合うとは。二股前提なのだろうか。この人自身は女性関係はビジネスだと言い張ってるけど、身近に同時進行の女の数は片手じゃ足りないクズの見本もいることだし。そういう価値観で言われたのだろうか。
「君は不器用そうだからその辺は心配だね。一途で相手のことを大事にはしそうだから、背中を押してやりたいのはやまやまだけど」
「背中?押す?」
阿呆のようにオウム返しにしてしまったほど理解の及ばない話だった。恋人から他の子との恋を応援されるってなんなんだろう。一夫多妻制じゃあるまいし。一夫多妻制度の中でも稀なことなんじゃないだろうか。クズの見本はしょっちゅう愛人同士の修羅場を起こしている。
わけのわからないことを言われた数分後にはソファで背中から抱きかかえられて下半身を暴かれていた。色事に免疫のない僕は色っぽい空気に巻かれるとひとたまりもない。彼に背中から抱きかかえられて、耳朶にあまったるい言葉を囁き込まれながら、一人で逐情する。それがいつまで経っても続くので、羞恥を我慢して自分も奉仕すると言えば、
「イったばっかりなのに足りない?若さだなあ」
適当なことを言われて愛撫ではぐらかされた。頭の中がグズグズでもわかる。線を引かれている。
関係を受け入れた時になんとなく想像していた相思相愛の生活との絶望的な食い違いに、優しくされているときほど寂しさみたいなものを感じるようになった。
どこかの歌の歌詞みたいだ。
「おめーよーそういうの俺は聞きたくねーんだよ」
ビデオショップで一足先に会計を済ませ、AVの入った包みを小脇に抱えたザップさんが、小指を耳の穴に突っ込みながら唾を吐いた。
しょっちゅう愛人とのろくでもない話を愚痴ってくる人相手でももっとオブラートに包んで話すべきだったのか。相談を持ち掛けたのはこっちだけど、目の前の態度と理不尽さで頭に来る。
「ちっげーよ。聞けよ非処女童貞陰毛チビ」
「ひしょっ…!」
「知り合いのハナシーとか言って自分と番頭の話だってことなんざバレバレなんだっつーの」
「んなっ!ち、違いますよ?!」
慌てて取り落とした商品を拾おうとしたら陳列棚にぶつかって二次被害が出た。背中や頭にケースの角が当たる痛みに唸りながら片づけをしている後輩を冷やかに見下ろし、一つも手伝うことなく話し続ける。
「ッカー、これだから非処女童貞はバカだね。ウブすぎるね。身の程知らずだね」
「いちいちそれつけないで下さいよ、誤解ですよ」
「あー、そうだった、まだ処女なのがお前は不満なんだもんな」
端的な指摘にぐぅの音も出ない。顔面が火を噴きそうで顔を上げられず、言われっぱなしで黙々と作業する羽目になった。
「なんでバレてないとか思うわけ?自分がそんなにポーカーフェイス上手いとか思ってた?っつーか、あの人は確信犯だろ。事務所にお前ら二人でいるとき俺が入ってったことあったろ?ドア開けた時には離れてたけどさ、お前の唇がいかにもチュッチュチュッチュしてましたーって具合に赤くなってんのに、普通っぽく装ってるのが逆におかしいっつの。お前は自分の顔だからわかんなくても番頭には見えてんのになんのフォローもねーんだから。あの人アレでガキっぽいとこあるからな」
「ハハハ、ハハ、カンチガイっすよ、それ多分ちょうど俺が自分で口噛んじゃった時とかで……」
「あの人心せめぇんだよ。自分で俺にお前のお守させてるクセして牽制しねえと気が済まねえんだ。自分がちんちくりん趣味だからって周りまで疑われちゃかなわねーよ。誰がこんな処女童貞陰毛チビうんこチビ」
「悪口なっげーよ」
残念ながら程なくして片づけを完了してしまい、一本選んで会計した。すかさず「そんなん見るのかよ」なんてからかわれながら。人が一人で何鑑賞するのかなんてほっとけよ。
「ハー、職場の後輩と上司がデキてるとかマジ面倒くせぇし、その上アッチの事情なんか聞かされて俺なんなの?不倫OLのお友達かなんかなの?」
そこまで言われるほど具体的な話はしていない。例え話でかなり遠回しに言ったはずなのに、勝手に正確に解釈して文句を言ってくる。
「あの人もなんでコイツなんだよな。女に困ってるわけでも、元々ゲイってわけでもあるまいし。男ってそんなにいいのかと思えばクソほどの価値もなさそうな純潔守ってやっちゃってんだから意味わかんねえわ」
「今俺すっげー後悔してる。何でアンタに相談しちゃったんだろう」
「アァン?相談乗ってやってる優しいセンパイに何文句つけてんだロストヴァージン希望童貞うんこちんこ」
あんまり大きな声で言うもんだから慌てて口を塞いだ。うっかり鼻までいってザップさんの運転が乱れ、あわや二人乗りしたバイクが事故るところだった。
「ブハッ、殺す気か!死ぬ気か!年上の愛しいカレシに相手にされないことを苦に若い男とあてつけ心中か!?」
「だーからその言い方ヤメロ!」
何か頼んだわけでも、特に用事があったわけでもなかったけど、いつもは暇つぶしに事務所に向かうところで公園に向かってハンドルを切った。何だかんだいって親切な人ではある。
「アレじゃね、番頭も結構いい歳だしアッチの方が不能なんじゃね?」
自分で言った言葉がツボに入ってザップさんは笑い転げた。黙ってれば女の子がホイホイ引っかかるぐらいの美形のくせに致命的なゲスだ。
「いや、それはないですけど」
「天然でシレッとセキララな事情打ち明けてくんなバカ」
「あっ」
本当に尋ねてまで聞きたくはないらしく、詳細については追及されなかったけど、あの人がさっぱり興奮していないかという点については明確に否定しておく。
「インポはともかく、こんだけ歳が離れてると何考えてるかわかんなくて当然だろ。あの番頭だぜ」
「それは、そうなんですけど」
「裏稼業なんかやってなかったらとっくに百回ぐらいは見合いしてておかしくねえ歳だし、色々思うところもあるんだろうさ」
「……………」
「なんだよ」
「すごくまともなこと言われてびっくりしたもんで」
顔面にくっきりとした靴跡がついた。