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比翼連理 〜外伝2〜

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4.幻罪

 目映いばかりの不浄なる世界。
 『聖域』とは名ばかりの腐臭漂う穢れた場所のはずなのに、何故だろう……『ここ』だけは空気が違った。芳醇な闇に満ちた冥界のように甘く、蕩けるような香気さえ放っている。さわさわと吹く風にも鈴鳴る音を孕み、零れ落ちる玉音の風が銀糸の髪を靡かせた。
 冥界と地上を繋ぐニュサにも似た錦繍広がる花園。ぐるりと見渡したタナトスは天に向かって真っ直ぐに伸びる木の根元へ向かうと腰を下ろした。手持ち無沙汰に持参した竪琴で風と戯れる葉の音に合わせ、即興の曲を奏でる。するすると譜が閃き落ちて、止まることもなく弦を掻き鳴らしてみせた。
 知らずに歌さえ口ずさんでもいた。一言一句、刻みつけるようにゆったりと力強く。
 程なくして、堅守の扉が重い音を伴いながらゆっくりと閉ざされた世界を開放するかのように開かれていく。歌に誘われるようにその門の奥に佇んでいた者がゆるりと中へ滑り込んできた。
 呆れと戸惑いの表情を浮かべていた者は、調に乗って一歩一歩踏みしめながらタナトスへと近づき、ピタリと歩みを再び止めた。同時に奏でていた指先を止めたタナトスはこの美しい花園の主を見遣った。

「……光溢れる地上に在って、闇を讃える歌を吟じるとは。貴様は此処から一歩たりとも出さぬぞ?」

 剣呑な気を纏い、宣戦布告する男をタナトスは皮肉っぽく返す。

「用があるのは此処とおまえだ。出る必要などないわ」
「ふん。はた迷惑な。ここは聖域だというのに。何を考えて易々とおまえを寄越したかはわからぬが……ハーデスめ!」

 憤懣やるかたなく話す男……シャカは腕を組むと、溜息と共にやるせなささえその白い貌に浮かべて見せた。それでも冥界で見るよりも雄々しく感じさせるのはひとえに黄金に輝く聖衣を纏っているせいなのか、それとも女神の聖闘士としての使命と自信に満ちているからなのかはタナトスにはわからなかったが、生命力に溢れた人間の輝きの眩しさに目を細めた。

「己の不始末をつけさせるために俺はここへ派遣されただけだ。それとも、何か?おまえは俺が来たことが不満なのか?ククッ…残念だな。もし、ハーデス様であったなら……」
「いらぬ口を叩くのならば即刻、放り出してやるが?」
「冗談だ」
「決まっている。ふざけるのも大概にしたまえ、ここは私が掟とする場所だ。心せよ」
「それはそれは…畏まりました」

 わざとらしく、礼をとるタナトスを睨めつけたシャカはくるりと踵を返そうとした。

「おい、ここから一歩たりとも外に出るな、シャカ」
「おまえと、此処に、ふたりきりで、過ごせ、と?虫唾が走る―――」
「奇遇だな、俺もそうだ。要するにお互い様ということだ。それにおまえとて余計な厄を聖域に齎したくはないだろう?」
「フン。私を脅迫するつもりかね?」

 面白くもなさそうに鼻を鳴らしたシャカはそれでも気が向いたのか、タナトスのいる木の隣に腰を下ろし、胡坐を組んだ。シャカは鉄柱でもその背筋に入っているのではないかと疑いたくなるほどにピンと背を伸ばし、瞑想に耽ろうとしていた。静けさが花園に満ちていく。

「……ひとつ、訊きたい」

 タナトスにとって尤も厄介に感じる相手との会話は正直なところ不愉快なもの。だが、沈黙はそれ以上に苦手とするものであったため、無音の支配を自ら打ち破った。

「なんだね」

 ともすれば口元さえ動かしていないようにも見えたシャカから返事が返ってくる。

「おまえは悪夢を見たか?」

 云ってしまったあとに、なぜそんなことを尋ねてしまったのだろうかと悔いたタナトスではあったが、口から出た言葉を再び吸い込むことなどできはしないと諦め、シャカの回答を待った。

「悪夢……?」

 シャカは小さく首を傾けると聖衣から覗く白い指先を口元へと運び、二度ほどゆっくりと薄紅色の唇を撫でた。考え込む時のクセなのだろうかとぼんやりとタナトスは思った。

「ふむ。それなら、たった今見ていると思うが?」

 口角をゆるりと上げて、シャカは茶化した。

「そうではない。話をはぐらかすならば、もうよいわ」

 気分を害したタナトスにシャカは肩を竦めて小さく詫びた。今度は真面目に思惟するようにシャカは口を噤んでいたのだが、不意にクスクスと忍び笑いを始めた。

「そう、拗ねるな。そういえば面白い夢はみたな。あまりにありえなさすぎて目覚めた時には笑うしかなかったが」
「興味深い。どんな夢だ?」
「――さて」

 はがらかすように首を傾げたシャカにそれ以上の追求はしなかった。聞いたところできっと答えはしないだろうと。ところがシャカはすっと顔を正面に戻すと閉じていた瞼を押し上げ、うっすらと青い瞳を覗かせた。そして細い指先をじっと眺めていたのだった。

「どうかしたか?」

 あまりに長い間そうやっているものだから、タナトスが声をかけると右手を曲げたままタナトスへと振り返った。少し困惑したような表情を浮かべて。

「あれは……夢なのか。いや……記憶、か?」

 意味不明に問われて今度はタナトスが困惑する。「一体何の話だ?」と答えるのが精一杯である。タナトスを見る青い眼差しの中に強い猜疑の色が見えた。触れてはならない禁忌を追及しようとしている気さえした。立ち上がったシャカが吸い寄せられた夢遊病者のようにタナトスへと近づき、容易く危険な間合いへと入り込んだ。
 シャカは何かに憑依りつかれたような瞳をタナトスに定めたまま、白い指先を差し伸ばす。ひんやりとした冷たさが頬に触れた。触れてはならぬ禁忌の記憶の蓋が開かれようとしている。その手を封じなければならない……タナトスは発せられる危険信号に顔を歪めたが金縛りにあったかのように身動き一つできなかった。
 希求の果ての憎悪、哀切…妄執の彼方で堰き止められた澱む河の流れ――忌々しい記憶が決壊していくのを奥底で感じ取りながら、ただ不安そうに木の葉がざわめくのを遠く耳にした。


作品名:比翼連理 〜外伝2〜 作家名:千珠