比翼連理 〜外伝2〜
6.死迷
「―――おい、正気になれ」
やっとの思いで引き剥がしたシャカの手を必要以上に強く握りながら紡いだ言葉だったが一蹴するような微笑をシャカは返してみせた。
「私は正気だが。勘違いするな。夢の有り様を確かめたいわけではない。夢は夢――ただ私はこの園で抱いた思いが果たして“覚悟”だったのか、“期待”だったのか確かめてみたかっただけなのだがね。フッ……貴様が怯えるとはな」
「何の覚悟だ、それに――俺がおまえごとき人間に怯えることなどないわ!」
掴んでいた手を振り払い、損なった機嫌のまま荒々しく立ち上がる。シャカは低い位置から上目遣いするように小首を傾げた。
「死への覚悟のことだが?ここで私は同士討ちをしたのだよ。おまえたちの根城へと向かうために、な。肉体を失って魂が存続できるかどうか――僅かの迷いを振り払ってね。それには死への覚悟も必要であった。だから、覚悟したと思っていたのだがほんの少し疑問に思う点もあった」
苛立ちを隠しもしないタナトスを見上げながら、自論を展開しようとするシャカにタナトスが舌打ちをする。それこそ合いの手でも入れろといわんばかりだ。そんなシャカの傲慢さに苛立ちを一層募らせるばかりである。
「それで?」
決してシャカに組したわけではない、ただ鬱陶しい話を早く終わらせたいだけだ――そう自己へと言い聞かせながら、タナトスは横柄に顎をしゃくった。
「僅かにでも目の前にある死に対して期待しなかったか、と。憧憬がなかったのだろうかとね……死を司る者よ―――おまえにその答えなど持ち合わせてはいまいだろうが、ただ片鱗があるような気がしたのだ。怯えさせるつもりはなかったのだよ」
嘲るような小憎たらしい笑みを口端に浮かべたシャカにタナトスは否応なく捻じ伏せてやろうかと不穏な気配を滲ませた。
「怯えてなどおらぬわ!」
「―――私ではない“影”におまえは怯えている。あざとくも、未だおまえの心の内に存在するというのか。眩しすぎる光は濃い闇を生み出す。それをおまえとて知らぬわけではあるまい。強引に手を引かれているときはいやだ、離せとその手を払い続けていただろうに、いざ、その手を突き放されれば追い縋るのか?フン―――やめておきたまえ、死神よ。ここは光溢れる聖域。十二分におまえの力は発揮されることなく、私に組することはおまえの矜持をずたずたに引き裂くであろうからな」
憤怒のままに小宇宙を漲らせ始めたタナトスを制し、ゆっくりとシャカはタナトスを見上げながら立ち上がった。
「ひとつ、確認しておくが。おまえが此処に足を運んだ理由……己が不始末と言っていたが。それはどういったことかね。いや、誰のことかと訊くべきか?」
平然とタナトスの怒りを受け止めながらシャカは尋ねた。
「―――ヒュプノス。我が片翼。誰よりもおまえの存在を厭うている。あいつが姿を消したのだ。『我が意識を混濁の沼に堰き止め、渇望の元となる存在は邪魔だ』と、言い残してな。ならば、行く先はここしかあるまい。ヒュプノスにとって邪魔な存在を消し去らんがために、な」
「ほう?」とさも不思議そうにかつ、滑稽だといわんばかりの表情をシャカは浮かべてみせた。
「だとすれば、戻ったほうが得策だと思うが。ハーデスは見当違いを仕出かしたおまえを責めはしまい」
「見当違いだと?」
息巻くタナトスを今度こそシャカは声をたてて笑った。怪訝に眉を顰めながらも何かとんでもない間違いを仕出かしたのかもしれないとタナトスの中に危惧さえ芽生え始めた。
「誰よりも理解しているだろう、おまえ自身がわからぬのか?良くも悪くもあの男はすべてハーデスに帰結している。判り易いほどに。なのになぜ間違えたのか……それがおまえたち双子の相違なのであろうが、ある意味おまえはひた隠しにしていた秘密を暴露したのかもしれぬぞ?」
「まさか……」
愕然とするタナトスを揶揄するようにシャカが手を大きく払った。
「戻りたまえ、タナトス。安寧の常闇へ」
作品名:比翼連理 〜外伝2〜 作家名:千珠