海風
背中に腕が回り、そっとさすられる。
「同情の抱擁」
目を閉じた闇の中で感じる、藤真の鼓動、静かな呼吸の音。頬に触れる髪とにぎりしめた指の熱。
胸が苦しくなってきて、息を止めていたことに気付く。
静かに息を吸う。お互いの心臓の音が消えないくらいに。
寄せられる、優しい気持ちの波に、今度こそ力を抜いて身をゆだねてみる。
解放は、訪れるだろうか。
(4)
Tシャツを脱いで、頭をぶるんとふった藤真からぱらぱらと雫がたれて、仙道の胸に落ちる。
「つめてっ…」
「なんだよ」
「だからちゃんと拭いておいてくださいよ」
「細かいヤツだな。すぐ乾くだろ」
藤真は顔をしかめる。
「こんなにテキトーな性格だったなんて、ファンが嘆きますよ」
「だからうるさいって」
濡れ髪の頭が降りてくる。先に前髪が頬に触れる。それが合図のように目を閉じる。
間近に吐息を感じて、すぐに柔らかい感触が唇を包む。
キスをしてくるとは思わなかった。
欲望を放つだけなら唇へのキスは必要ない。
最低限の身体への愛撫はまぁ必要として、まるで恋人同士のようにキスから始めることはないのだ。
そんなところにも藤真の素直さ真面目さを感じて、改めて好ましい人だと思う。
そして本当に想い人と初めてキスを交わす時のように優しく触れてきた唇に、思いがけず夢中になってしまう。
そして直に触れる肌の熱の心地よさに堪えきれず、藤真の柔らかな髪に手を入れる。
「お前、他にいいとこあったら云えよ。よくわかんないからな」
「……む、胸とか?」
藤真はすっと顔をあげてちらとその、胸の辺りを眺める。
「ないぞ胸」
「ん、だからち……」
ずばり云うのはさすがに恥ずかしい。
「ああ!」
納得とばかりに頷いて、藤真はすいっと手を伸ばしてくる。
「お前は今まであった中で一番だ。意外性ナンバー1だ」
「ひとつ、訊いていいですか」
「なんだ」
「えーと、藤真さんて女性経験有りますよね?」
「……それが何か関係あるのか?」
「やっぱ最初が男だとまずいかなって、今思ったんですけど」
「大丈夫だ」
「それなら良かった」
もっと何か言うかと身構えている藤真を見やり、小さく笑うと仙道は何事もなかったように行為を再開した。
すぐに熱が戻ってきて、藤真はかすかに息を吐く。
やっぱりきつい。
それでも身体が逃げないように、なるべく力を抜くように、浅い呼吸で痛みを逃す。
目尻にたまっているのは、まぎれもなく涙。たとえ苦痛のためにでも涙が出た。
「仙道、キツイのか?悪い、もうちょっと…」
余裕のない掠れた、でも優し気な声がして、指がその涙をふき取るように触れた。
驚いて目を開けると、困ったような顔で見つめられていた。
「だい、じょうぶです」
「ん、じゃ……」
腕に、ほとんど爪を立てんばかりにしがみついている仙道を、藤真はきっと苦痛のためと思っているだろう。
多分、かなり痛いはずだ。
それが解っていても力がゆるめられないのは、本当にそうやってすがりついていたいからだった。
仙道をゆすり上げながらも、先ほどまでの荒々しさのない、ほとんど優しいとまでいえる様子に、この人はもう大丈夫だと、そう思えた。
軽口をたたいて、徐々に追い詰めて、身体を重ねるよう仕向けたのはこっちだ。
とんでもない偶然に驚き、隠し様もない傷をさらした藤真。
その瞳に確かに同じ闇を見た。
いくら言葉を尽くしても、ぬぐいきれないものがある。
理性を超えた、身体の感覚に、確かに何か癒すものがあると知っていた。
だから。
慰めたかった。
でも、今その慰めを得ているのは自分だった。
まったく、なんてザマだ。
傷を嘗め合うと、藤真は云った。
子猫のように、お互いに。
抱き合い、ギリギリの感覚の中で癒され、そしてまた元気に走りまわるのだ。
猫だなどと云ったら、藤真は怒るだろうが。
藤真の動きが一段と激しさを増す。終わりが近い。
仙道もいっそう力を込めて、今度は自分を助けてくれと腕にしがみつく。
二度目の絶頂を仙道の中で迎え、藤真はその身体を仙道の横に伏せた。
狭いベッドの中で、だからそれでもまだ身体は大部分触れていた。
汗に濡れたその肌の感触が少しも不快でなく、なんとなく離れ難い気持ちが自分だけでなく藤真にもあるのだろうかと、胸の上に投げ出された腕の重みを感じながら思う。
すぐ横にある上気した顔、軽く口を開けて息を整えている様。
「はー、その顔、なんとも云えませんね、どっちが抱かれてたんだかわからない」
実際、息も上がっていたし、強烈な眠気にとりこまれそうで、藤真は言い返す事もできずただ眉を上げた。
「いい声してましたよ」
「――随分余裕だな。要するにオレが下手でおまえは俺を観察する余力があったってことか?」
「やっぱ、痛くて」
「そういや、泣いてたな。泣くほど痛いのに我慢しやがって」
「だから、泣きたかったんです」
「身体が痛くてだろ?」
「おんなじです。出どこはいっしょだし」
悲しくて辛くて、涙が出る。痛くて涙が出る。心と身体、違うのに出るものは一緒だ。
そういう風にできてるってことは、同じ事なんだ。
だから、いいんだ、きっと。
「さっきの続きですけど」
「さっき?」
「女性経験のこと、やっぱ気になって」
「――中学の時に一回だけだ。良かったけど、付き合うとかそんなのは面倒だし、時間もないからそれ以来そういうのは無い」
「いや、それは……潔い。うーん中学ってことは相手は年上なんですね。良くあるパターンだな。年下の恋人を開発するのが好きなタイプっていますよね」
「おまえもその口か?」
「えーと、いろいろです」
「あんまり追求しないほうがよさそうだ」
「はは、それより」
「ん?」
「オレ、良かったですか?」
藤真はひくりと、口の端をゆがめたが、何も答えはない。
「3年ぶりくらいで激しく燃えて、忘れられなくてこれからもつきあえ、とかいう事には……」
「誰がなるか」
速攻であっさりと返される。実際すごく感じていたはずなのに終わるともうコレか。激しいんだか淡白なんだか良くわからない人だと思う。
「おまえ、すっかり元通りだな」
「おかげさまで。藤真さんもね。これであと3年持ちますか?」
藤真の目が据わり、仙道はその口をつぐむ。
「シャワー、もう一回借りる」
仙道もまた汗を流したかったが、どうにも気だるい。
それでもまだ登校時間には余裕があるし、もう一眠りできるだろうか。
目覚ましってかけてあったっけ。
「おまえ、ちゃんと起きて学校行けよ」
頭上からの声にうつ伏せていた顔だけ上げる。
どうも寝てしまったらしい。
「眠い……」
「何いってんだ。練習あるんだろ」
「……藤真さんは」
「オレもあるぞ。やっぱりまだ引退しないことにした。足掻いてみるさ。今度こそ悔いのないように。おまえの好きなこのツラを維持するためにな」
「好きとは云ってないです。キレイだって云っただけ」
一瞬、ムッとした顔を見せた藤真は肩にかけたタオルを仙道の顔に無言でおしつける。