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名残の、後編

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 穏やかなその声は、俺が世界で一番敬愛している親父からのものだった。





 通話が終わり、携帯電話を切り、重い、重いため息をついてからベッドに寝転がる。
 故郷からの電話は、近況を聞き、未だにどこにも就職していない俺を気遣うものだった。
 親父からの電話は嬉しい。
 嬉しいのだが、痛いところをつかれ言葉に詰まってしまった。
 バイト生活を続け、だからといって特にやりたいこともない俺を心配していたのだろうが、俺の前では特に何も言わなかった親父もそろそろ余裕がなくなったのだろう、電話での声は穏やかながらもどこか切羽詰っていた。
 なんなら田舎にもどり、親父の下で仕事をしていくのもどうだろうか、とまで提案されたのだが、都会を目指して出てきた分、あの何もない田舎に帰るのは心が折れる。

 それに・・・・・・、

 頭の中を身近な奴らが思い浮かぶ。
 ルーイは言うまでもなくエリートコース一直線だろうし、フェリちゃんも夢を持ってがんばっている。
 ずっと一緒に馬鹿をやってきたフランシスやアントーニョだって今ではちゃんと就職して働いている。
 じゃあ俺は、というと、いつもそこで思考を止め、バイト生活に足を向けていたのだった。

「あー・・・・・・・、そろそろ潮時かなぁ」

 ごろん、と寝返りを打つ。
 するとそれを見計らったかのように遠慮したノックの音が聞こえてきたのだった。

「・・・・・・・・ギル」

 上目遣いに、かわいらしく俺を見てくるのは先ほどまで思考に上っていたフェリちゃんで、困ったような顔をしてチョコレートを差し出した。

「食べる?」

 おずおずと差し出すその様子は小動物のようで目を細めてしまう。
 差し出されたチョコをもらい、口へ運ぶ。甘い味が舌の上で溶けていく。なんてことない普通の板チョコなのに、今日は何故か苦く感じた。

「田舎へ帰るの?」

 電話の話を聞いていたのだろう、ボロ屋の薄い壁にバツが悪く思いながらも「考えてる」と返す。

「ヴぇ〜・・・・・・、そっかぁ・・・」

 しょんぼりとした顔をするフェリちゃんの頭をなでて、それから肩に額を乗せる。
 やっぱり、あいつとは違う感触だと思った。

「まだまだこっちには魅力がありすぎるんだよなぁ」
「それじゃ、」
「ただ、やっぱり親父に言われちまったからなぁ」
「え?」
「・・・・・・・・・・『あんまりにもそちらにこだわると言うことは、誰か恋人でもいるのかい?もしそうだったら是非会わせてもらえないかい?そうすれば私も少しは安心だ』」
「・・・・・・・・・・で、なんて答えたの?」

 声真似までして言うと、フェリちゃんは真剣な瞳で返すものだから、目をそらして続きを言った。

「いる、と」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 フェリちゃんの目がそらしていても痛いほど突き刺さる。
 すぅ、と息を呑む音が聞こえた。

「なぁああんでそんなこと言うの〜!!?」
「しょうがねぇだろ!?親父を悲しませたくなかったから!」
「そんな嘘ついてるほうがお父さん悲しむよ!」
「嘘じゃねぇ!今から本当にするんだ!」

 その言葉にフェリちゃんが目をぱちぱちと瞬かせた。
 意味がわからないらしく、ヴぇ〜?と頭をかしげる。

「今から彼女を作る!作ってやる!」

 こぶしを握り言うと、フェリちゃんの冷たい目が突き刺さる。なんでだ。

「・・・・・・・・・・そう」

 けれどそれ以上は何も言わず、そそくさと部屋を後にしたのだった。






「なんでリズがまたここにいるんだよっ!?」

 ローデリヒの迷子コールがないにもかかわらず、俺もフェリちゃんもルーイも家にいるのに開いた玄関の扉に不思議に思っていると、ローデリヒと、それからエリザベータが現れた。
 その姿に思わず大声を出す。
 けれどリズのほうはというと、誇らしげに胸を張った。

「ローデリヒさんに伴奏してもらうからよ!悪い!?」
「悪いわ!俺のネバーランドを汚すんじゃねぇ!」
「ネバーランドって・・・・」 

 ルーイが帰り、3人でさきほどの親父との話をしていたところだった。
 だからつい口をついてネバーランドなどと言ってしまったが、自分で言ったにもかかわらず笑えない冗談だな、と思う。それはフェリちゃんも同じなようで、困った顔をしてツッコミをいれていた。
 そのままローデリヒはため息をついてエリザベータを二階に連れて行く。
 仲のよさそうな二人を見ていて気分がさらに重くなったような気がして、慌てて頭をふった。
 何だって俺があの二人でショックを受けなきゃいけないんだ。
 っち、と心の中で舌打ちをする。
 フランシスのカウンセリングとやらが頭をよぎったが、何を言っている。男同士じゃねぇか。たまたま身の回りにいなかったタイプだから接し方がわからないだけだろう。彼女が出来たらきっとこのわけわかんねぇ感情も忘れるだろう、そんなことを考えていると、ルーイがこちらを向き直った。俺よりも年下の癖にこういう顔をしていると随分大人びて見える。

「で、兄さん・・・・、さっきの話だが」
「・・・・・・・・ああ」
「正直、父さんの言った言葉は俺も思っていたことだ」
「だから今から・・・・・!」
「そこでなんで彼女を作る、になるんだ・・・。今までみたいにすぐ別れる羽目になるだろう?」
「う、うるせぇ!」
「だから、話を聞いてくれ。いいか、兄さん。父さんも俺も兄貴が心配なんだ」

 まっすぐに俺を見てくるルーイにぐ、と言葉に詰まる。
 隣でははらはらとした顔をしてフェリちゃんが俺とルーイを見比べていた。

「親父の不安を晴らすには、兄貴がしっかりしたところを見せればいいだろう?」
「・・・・・・・・ああ」
「まぁ、つまりあれだ。言いたいことはそろそろわかってきただろう?」
「・・・・・・・・・・・・まあな」

 それでもまだ、目をそらす。
 言葉を続けようとしないルーイにじれて、再び目を合わせると、射るような目と目が合った。

「就職しろ」

 わかりやすく端的なその言葉は、けれど、俺の心にぐさりと突き刺さったのだった。





 会話を終わらせ自室へ向かう。
 ローデリヒの部屋から歌声が聞こえてきた。柔らかいピアノの音に芯の強い歌声。

『愛する者がいなくなったら、この荒涼たる世の中で誰が一人で生きられようか?』

 エリザベータの声のはずなのに、そうは思えないような透明で、硬質で、ガラスのような歌声のその歌詞に、ぐらり、と揺れるような感覚がした。
 今まで目をそらしてきただけで、小さく、小さく、どこかしら歪みは生じていたのだろう。それが今になって目に見えるほど歪んだのをルーイに、親父に、指摘されただけで。
 部屋に入り布団で耳を多い、エリザの歌から耳をそむける。
 歌声は一旦止み、次にアリアが聞こえてきた。甲高い声が薄く響く。防音壁だというのは嘘だったのか。

「・・・・・・・ちくしょう」

 目を閉じて、心を落ち着け、それから、大きく息を吸い込んだ。





「え?ギルくん、仕事探しとるん?ほんなら私ん所で正社員として働かへん?」
作品名:名残の、後編 作家名:ゆーう