名残の、後編
掛け持ちしているバイトのひとつである、レストランのクローズ後、求人情報誌を呼んでいるところを店長に見られ、洗いざらい吐き出してしまったら、そんなセリフが帰ってきた。
レストランといっても、小さな店である為に、女主人一人と数人のバイトで切り盛りしているここは、チョコレートを使ったデザートが美味しいとの評判で、この不景気なご時世にも拘らず毎月黒字をたたき出していた。カチューシャ代わりの大きなリボンに肩までのウェーブの掛かった店長は、少し考えた後、話を続ける。
「そやなぁ、最初はあんまお給料出ぇへんけど、ちゃんと修行したら二号店をまかせてもええ!」
「ちょ!それ、本当か!?」
「そのかわり、しっかり働くんやで?」
「ああ!」
振って沸いた幸運にテンションが上がった俺は、店で売ってるチョコバーを買って早足で家路に着いたのだった。
家に帰ると、リビングでフェリちゃんにルーイ、ローデリヒ、それからリズが夕食をとっていた。
いつもなら鍵の開いた音に反応してフェリちゃんが来てくれるのに、今日はよほど会話が盛り上がってるのだろう、明るい光とともに穏やかな話声が聞こえてくる。
「あ、ギル!おかえり〜」
「おう」
言いながらビールを取り、ルーイの皿にある残り物のヴルストをつまみに席に着く。
席に着く、といっても、この家には4人分の椅子しかなかったので、少しはなれた所にあるソファに腰掛けたのだったが。
「なぁ!俺、就職先が決まった!」
ビールを飲み干して、叫ぶように言うと、4人とも目を丸くしてこちらを見てきた。
「本当!?よかったね!」
「それで、どこに決まったんだ?」
「バイト先のレストラン。店長が正社員として雇ってくれるらしい」
「ヴぇ〜!ギルが料理人!?」
「本気か・・・・?」
「ちょっとその店、大丈夫なの?」
「世も末ですね」
口々に不安がる4人だったが、それでも喜んでいるのはその口調からわかる。
俺は苦笑してビールを飲み干した。
夕食を食べ終わり、片付けが終わり、リズが帰るというので、夜も遅いから送っていこうかとローデリヒが言うから、そんなことをしたら道に迷うだろうと言うと、フェリちゃんが『じゃあギルがついていってあげればいいじゃん〜』などとかわいい声を出すものだから、結局俺までリズを家に送るハメになってしまった。
めんどくせぇと目に見えてがっかりする俺の前をローデリヒとリズが歩いていく。
比較的田舎にある俺らの家からは星がきれいに見える。頭上に輝く満点の星を見て、目を前方に移すと、街灯に照らされた二人がまるで映画のワンシーンのようで、は、と息を飲んだ。どく、どく、と早鐘を打つ心音。耳に入るリズのささやかな笑い声。それに答えるローデリヒの低い声。
ローデリヒが何かを言ったのだろう、リズがくす、と笑顔になる。その顔が、とても幸せそうで、跳ねるように歩くリズの後姿を見ていると、思った。
あ、好きなんだ。
直感のようなそれは、けれど考えてみたらその通りで、再会したときから彼女はそうだったじゃないか。もともと、あいつの顔に落書きしようとして怒鳴られたのが再会だったんだし。
けれど、それなら、ローデリヒは?
顔をそらしてローデリヒのほうを見る。生ぬるい空気が体中にまとわりつくような気がして気持ち悪かった。
気づいているのかいないのか、彼のほうはというと、いつものあの穏やかな顔でリズと話を続けている。あの顔を向けられて、気がつかないのだろうか。
『それは、恋だな』
頭の中に馬鹿フランシスの言葉がこだました。
まさかそんなことあるわけない。そう思っていたし、あの後あんな夢を見ることはなかったのに。
それなのに
リズが再び嬉しそうに笑って、手がローデリヒの腕に触れる。
その光景に、瞬時に頭が真っ白になった。
「・・・・・・・・・・ギル?」
あと少しで触れようとした、リズのその手を取っている俺の手。
・・・・・・・・あれ
「何なのよ、一体・・・・」
戸惑ったように俺を見上げてくる目にたじろいで手を離す。
本当に何なんだ一体。
なんでもねぇ、と言うと二人の間を押しのけて先に歩き出す。
気がつけば駅はあと少しだった。
駅へと続く商店街を抜けてロータリーへ出たころには、さきほど一瞬走った空気はなくなって、再び後ろで談笑する二人の声が聞こえていた。改札の前で別れ、家路へと足を向ける。
いつも、というか、俺が酔ってローデリヒの部屋で眠った日までは帰るときは二人で横に並んで歩いていたのに、今日は何故か俺の後ろをついてくる。歩くのが早いのかと思い歩幅を緩めても横に来る気配はなかった。
立ち止まり、後ろを振り向く。
「おい」
「なっ!・・・・・・・・なんですか」
話しかけたら目をそらして答える。目尻が赤いような気がした。
「・・・・・・・・・悪かったな、話してたところを邪魔して」
こいつもリズのことが好きで、だから怒っているのかと思い言うが、ローデリヒは目を丸くして、それから「いえ・・・・」と答える。けれどそれ以上何も言わないので背を向けて歩き出す。
夜も遅い駅周辺は人もまばらにしかおらず、俺の足音に寄り添うようにローデリヒの足音が響いていた。
のに。
数歩も歩かないうちにその足音が消える。
何事かと思い振り返ると、坊ちゃんが酔っ払いに絡まれてる所が目に入った。
年配のサラリーマンに肩を組まれ何かを話しかけられている。
なんで、なんでなんだ?どうしてこんな数分であんな状況になるんだ?
俺は急いで行ってローデリヒの手を引いて引き寄せる。それから何も言わず歩いていくと、少しの抵抗を感じたが、そのまま何も言わず後ろを着いてきた。
「あの・・・・、もう大丈夫ですから」
数分ほどそのまま歩いて、ローデリヒが声を掛けてくる。確かに、道に迷いやすい所は終わり、後は一本道なので離してもよかった。
「・・・・・・・・・・あー・・・」
振り返り見ると、罰が悪そうな顔をして目をそらしてはいるものの、手を離してもらいたそうに居心地の悪そうな顔をしている。
先ほどまでの穏やかな顔からすると、すごい落差だ。
「んだよ、嫌なのかよ」
「は?」
思わず出てしまった言葉にローデリヒが目を丸める。
俺も言ってしまった言葉に息を呑んだ。けれど、先ほどからの重苦しい気持ちがさらに言葉を口から放つ。
「大体、最近迷子コールしてこねぇし」
「それは、GPS機能付の携帯を買いまして・・・・・」
「家に帰っても部屋でずっとリズと歌歌ってるし」
「・・・・コンクールが近いんですよ」
言ったでしょう?とますます眉をひそめるローデリヒ。
「・・・・・・一体何がそんなにご不満なんですか?」
ふぅ、とため息をつきながら言う彼に、そういえば、と俺も思う。
何がそんなに不満なんだろう。
別に、同居人がピアノ弾こうが歌を歌おうが俺には関係ないはずだ。
同居人が幼馴染とくっつこうが、どうなろうが、どうでもいいはずなのに。
それなのに、さきほどから掴まれた様に心臓が震えて、ちょっとしたことで不機嫌になってしまう。