桜の幻想 第三話(薄桜鬼 風間×土方)
「俺は…もう少し、こうしていたい」
ストン、と俺の隣に腰掛け、俺の瞳をまっすぐに見据えながら言った。
体が強張る。
恐怖からではない。
緊張とも少し異なる。
ただ、風間の瞳が俺を掴んで離してくれない。
風間の、真っ赤な、深紅の瞳が、俺を捕えている。
俺は今どんな表情をしているのだろうか。
情けない顔をしてやいないだろうか。
様々な思考が働こうとするも、この男の前では、全てが消えてなくなる。
何も、考えられない。
「…嫌か?」
その言葉は、俺の感覚全てを麻痺させる。
その低く響く声が俺の耳に入り、脳髄を溶かす。
きっと、この男は無意識でやっているのだろう。
それが憎らしい。
こいつは特に意識もせずに、俺を捕まえる。
甘い甘い、こいつだけが持っている、俺にしか中毒性の現れない麻薬で。
「…来い」
本当に俺の思考はおかしくなってしまったのだろうか。
思考する前に言葉が出る。
気がつけば俺は、風間の手を引き、中庭を離れていた。
―……………
いったいこれはどういう状況なのだろう。
俺の自室に、それなりにがたいのいい男が2人。
特に話声が聞こえてくるわけでもない。
まず、何故このようなことになったなだろう。
…いや、俺がこいつをここまで引っ張ってきたのは事実だが。
帰ってほしくない、と思ってしまった時にはもう既に体が勝手に動いた後だった。
ふと、隣の風間を見やる。
先ほどからずっとだが、やはりしきりに袂を指で触れている。
「さっきからずっと何やってんだ?」
「…癖だ」
「変な癖だな」
くっくっく、とまた笑いがこみ上げる。
本当にいちいちおもしろい奴だ。
ふと、静寂が戻る。
中庭で話していた時から感じてはいたが、こいつといる時に沈黙が流れても、気まずいものにはならない。
むしろ心地いいとさえ思う。
普通に考えれば非常識極まりない。
敵を目の前にして、心地いいなど。
「今宵は…満月、か」
風間が口を開く。
ふと見上げると、開けていた窓辺の障子から満月が覗いていた。
煌々と輝くそれを見つめていると、妙な心地になる。
先ほどの麻薬ほどではないが、思考を溶かされていくような錯覚を覚える。
「…満月は人を狂わす」
まっすぐに満月を見つめていた瞳が俺の方を向く。
俺も自然と、その動きに合わせていた。
「見つめていると気分が高ぶる。この高揚を抑える術を、俺は知らない」
こいつも、同じことを考えていたんだな。
人も、鬼も、羅刹も、皆同じ。
満月の狂気には、何の抵抗もなく魅了されてしまう。
深紅の瞳がスッ、と細まる。
まただ、この感覚。
目をそらすことができない。
吸い込まれる。
ゆっくり、ゆっくりと、風間の顔が俺の顔に近づいてくる。
手が、俺の頬に添えられる。
「…抵抗しないのか」
俺を見据える深紅の瞳が一瞬、不安げに揺れる。
その様子の風間を見て、愛おしい、と感じてしまった俺は、なんて罪深いのだろう。
敵なのに。
倒すべき相手のはずなのに。
「あんたと同じさ。…満月のせいで、抵抗の仕方を忘れちまった」
焦点が合わせられないほどに、近い。
息が当たってしまうほどの距離。
風間の震える吐息が、熱い。
思考が麻痺する。
熱に浮かされる。
熱い。
熱い。
「…土方…」
風間が俺の名を呼ぶ。
低い声が胸に響く。
もう、溶けてしまいそうだ。
スッ、と風間の瞳が閉じたかと思ったその刹那。
―2人の影が、重なった。
ほんの一瞬だった気がする。
しかし、とてつもなく長い時間だった気もする。
そんな未知なる時間の間だけ、俺達は唇を重ね合っていた。
風間に触れている手が、頬が、唇が、火傷をしそうなほどに熱い。
重ねている唇が、震えている。
それすらもが愛おしいと感じてしまう俺は病気だろうか。
俺も、体が小刻みに震えてしまう。
決して恐怖からではない。
不安なのだ。
このひと時は満月が見せてくれた幻想。
この目を開けてしまったら、全てが幻に消えてしまうのではないか、と。
唇は依然として重ねたまま、風間の手が俺の手を握る。
俺はここにいる、と、そう言い聞かされている気がした。
俺もそれに応える。
握り返した手は、不安など消え、震えが止まるほどに、温かかった。
「…っ、はぁ…」
ようやく、しかし名残惜しそうに、唇と唇が離れる。
顔を見ようと覗きこもうとしたが、それを許さず、きつく抱き締められる。
きっと、顔を見られたくないんだな。
そう思った。
奴の耳が真っ赤だったから。
「…案外丁寧にするんだな。もっと激しいのが来るかと思っていたんだが」
何となく気恥かしくて、茶化すように言ってみる。
俺を抱き締める力が、さらに加わった。
「…あれ以上は…無理だ」
何故、と言う俺の言葉を遮り、続けた。
「…貴様の紫色の瞳を見ていると、魅入られてしまう…感情を制御できなくなって…」
―…理性が、飛ぶ。
―ドクン!
耳元で熱い吐息と共に言われ、心臓が暴れ出す。
理性が飛ぶ、というどこか風間らしくない野性的な言い回しに、眩暈がした。
あぁ、顔が熱い。
いや、体も、何もかもが熱い。
たぶん俺の顔の赤さも風間に負けていないだろう。
あまりの恥ずかしさに、こちらからの抱き締める力も強め、風間の肩に顔を埋める。
…いや、恥ずかしさはただの口実だったかもしれない。
ただ、抱き締めたかった。
思いっきりきつく抱き締めないと、気が済まなかった。
「…風間…」
震えた声で、耳元で囁くように言う。
ビクン、と体の震えが伝わってきた。
風間も俺の耳元に口を寄せ、囁く。
「土方…」
「っ、風間…」
「土方…っ」
「ふ、ぁ…風、間ぁ…っ」
互いが互いの耳元で互いの名を囁き合う。
ただそれだけの行為が、ひどく妖艶な雰囲気を醸し出していた。
互いの名が、脳内に木霊する。
響いてくるそれは、媚薬の如く。
熱い吐息は、耳を愛撫しているかの如く。
体中の力が抜ける。
そこにあるものに身を任せる。
そこにあるものは―…。
薬に侵された、快楽だけ。
「…っは、ぁ…。土方…聞け…」
切なげに声を漏らす風間。
一瞬、泣き出すのではないかというくらいに切なく。
「ぁ…風間…?」
「…今宵は満月だ。故に今宵の出来事は、この満月がもたらした…最初で最後の、幻想」
―ズ、キン…
わかっていた。
これは、今宵限りの、夢見事。
新選組副長、土方歳三。
風間家当主、風間千景。
決して交わることのない、交わってはいけない関係。
永久に結ばれるとこのない、同性の肉体。
わかっていた。
わかっていたんだ。
だが…わかりたくなど、なかった。
頭では理解しつつも、心のどこかで、このひと時が永遠に続けばいいと思ってしまっている自分がいた。
痛い。
苦しい。
作品名:桜の幻想 第三話(薄桜鬼 風間×土方) 作家名:トト丸