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桜の幻想 第三話(薄桜鬼 風間×土方)

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目頭が、熱い。

何かがこみ上げてくる感覚を、俺は止められなかった。



「…泣いているのか?」

「っ、違…っ」



違わない。

今、俺の頬に伝っている液体。

―涙。

あぁ、いつから俺の涙はこんなにも安くなったのだろう。

止まらない。

涙なんて普段から流さない。

故に止め方など、とうの昔に忘れてしまった。



「…俺も相当歪んでいるな」



自傷気味に苦笑いを漏らす風間。



「お前が今流している涙が、嬉しくてたまらない。お前の大切な時に流れる涙。それが今、俺のためだけに流してくれている」



俺は、こんなにも優しく微笑む風間を、見たことがあっただろうか。

いや、ない。

こんなに幸せそうに微笑む顔など、見たことがない。

それが、今この瞬間、俺だけに向けられている。

風間は続けた。



「お前は新選組副長だ。新選組のもの。…俺のものには、ならない。だが、今流してくれているお前の涙は…全部、俺だけのものだ。今この時だけ…お前は、ただの土方歳三だ…」



どうしてこいつは、今俺が欲しい言葉をくれるのだろう。

涙が止まらない。

大安売りだ。

だが、こいつにならタダでもいいかな、なんて、そんな馬鹿なことを考えた。



「…なら、あんたもくれよ…」



何をだ、と言いたげな風間を遮り、続ける。



「あんたのその優しい笑顔…。今俺に向けられているその表情は、俺だけのものだろう?それだけでいいから…他には何も望まないから…だから…」



―…だから…。



「だから、今だけの…ただの風間千景を、俺にくれ…っ」



返事の代わりに、再び口を塞がれる。

きつく、きつく、俺を抱き締めて離さない。

俺もそれに応える。

先ほどのような優しいものではなかった。

失くしたものを求めるような、無いものを埋めつくすような…そんな、激しい接吻。

後頭部を押さえられ、激しく求められる。

角度を変えるたびに、どちらのものかもわからない唾液が頬を伝う。

舌で口内を犯され、何もかもが溶けそうになりながらも、それに合わせ、風間のそれも愛撫してやる。

互いに息が荒くなり、頭が熱にやられても、決して止めない。



「っ、あ…土方…っ」

「風…ん…ふ、ぅ…間ぁ…」



土方、風間、と、まるで呪文かの如く呟き合う。

この想いを口にできたらどれほどいいだろう。

『愛してる』と、伝えられたら、どれだけ…。

だが、それはしない。

決して、してはならない。

してしまったら、止められないから。

この想いを止められずに、新選組も、副長という肩書も全て投げ出して、この男と逃げてしまうから。

こいつも同じ想いなのだろう。

今宵限りの夢にしなければ、鬼の一族を捨ててしまうから。

だから、愛の言葉の代わりに、呪文のように互いの名を囁き合う。

それしか、俺達には許されない。



「…っ、土方…っ」

「ふぁ…ぅ…?風、間…?」



激しく唇を求められながら、俺の頬に、唾液ではない液体が伝った。

…風間の、涙。



「風間っ…んぅっ」



何も言うな、と唇を通して伝わってきた。

なおも風間の涙は俺の頬を伝う。

それに答えるかのように、俺の意識と関係なく、また涙が溢れた。

塩辛い。

これが風間の涙の味なのだろうか。

ならば、この舌に刻みつけよう。

この一夜が幻想であろうとも、俺は、この幻想全てを覚えておきたい。

何一つ、忘れていい記憶など、ない。

夜なんて明けなくていい。

明日なんて来なければいい。

この一夜が、永遠のものであればいい。

俺の人生全てが、今この刹那であったって構わない。

だからどうか。

どうか、少しでも長く。

この熱を感じさせてくれ。



「…土方…生きろ。何があろうと、足掻き続けて………生きてくれ…」



その風間の声を最後に、俺の意識は闇へと沈んでいった…。





―……………



目が覚めると、そこは俺の自室だった。

どうやら泣き疲れて眠ってしまったらしい。

いや、酸欠で意識を飛ばしたのかもしれない。

辺りを見回す。

予想はしていたが、やはりそこに奴の姿はなかった。

フワ、と、香った。

―風間の、香り。

手元を見ると、そこには奴の羽織があった。

おおかた、眠ってしまった俺を床に寝せて、その俺にこれをかけて出て行ったのだろう。

おせっかいな奴だ。

ふ、と笑みがこぼれる。

ふと、奴の羽織を手繰り寄せると、袂のところで、何か固い感触が指に当たった。

手に取ると、それは小さな小包だった。

疑問に思い、小包を解く。

―ハラリ

中に入っていた物。

紫色に、控えめな桜の柄が入った髪紐だった。

何故こんなところに…と、ここで、ハッ、と気づく。

―あいつ、まさか千鶴の髪紐のことをずっと…?

そういえば、と思いだす。

昨夜から妙にソワソワした態度だった。

ひっきりなしに袂を気にして、どうしたと聞けば癖だと言っていた。

この小包が出てきたところも、袂。

全てが繋がった。

あいつここを訪ねた本当の理由。

この髪紐を俺に渡すためだったのか。

俺がそう理解した瞬間。



「…ぶっ…くくくっ…はっはっはっはっはっ!」



出てきたのは笑いだった。

おかしい。

どうしようもなく笑える。

一体あいつはどこまで不器用な男なのだろう。

本当は誰よりも優しい心を持っているくせに。

それを恥ずかしがって隠そうとする。

どうしても素直になれない…そんな奴だ。

そんな奴だから…。



「はっは…っは……………っぅ…っ」



そんな奴だと気づいてしまったから。

愛してしまった。

笑いは消え、悲しみとどうしようもない切なさが俺を襲う。

昨夜で枯れたかと思った涙が、また、溢れた。

人の涙は一体どこに溜め込まれているのだろう。

どれほど泣けば、涙は止まるのだろう。

生きることが辛い、と、初めて感じた。

俺の中で、あいつの存在はこんなにも成長していた。

弱い。

俺は、弱い…。



『…土方…生きろ。何があろうと、足掻き続けて………生きてくれ…』



ふいに、頭によぎる。

俺が意識を飛ばす前に聞いた、風間の最後の言葉。

―それが、あんたの望みなのか…?

手の中にある、髪紐を見つめる。

それが、あんたの望みならば…。

涙を拭い、無理矢理止める。

そして手の中にある髪紐で、力強く、ギュ、と髪を高い位置で結う。

立ち上がり、障子を開け放った。

上を見上げる。

そこには、澄み切った青空があった。



―…なぁ、風間。

あんたもこの空を、どこかで見ているか?

俺は決めたぜ。

あんたの望みを叶えるって。

ただ、生き続けるってのは約束できねぇ。

あんたには言いそびれちまったが…俺達新選組にとっては、次の戦いが、最後の戦いになるだろうと思う。

勝算はねえ。

己の『誠』を賭けた、ただそれだけの戦だ。

それに俺は、羅刹の力を使い過ぎた。

次の戦でも多用する。

じきに俺の体は灰となって消え去るだろう。

だが…これだけは約束する。