初恋
……あのひと、好きな子が、いるって。……ねぇ?修学旅行、自由行動……だれと、いたの? どこにもいなかった、――くん。ねぇ、うそよね? 迷惑なんかじゃ、ないよね?
チャイムがなった。世界史の授業が終わる。10年間同じ授業だといううわさの先生が教壇の上の教科書をそろえ、きょうはここまで、と言う。副委員長の詩織が澄んだ声で号令をかけた。
……美人、だよね。
成績も、わたしはわたしなりに努力してるつもりなんだけど、詩織にはかなわない。スポーツにいたってはみるも無残。きらきらした笑顔。優しいしぐさ。透き通った声。
なにをやったってぜったいかなわないひと。……いるんだよ、ね。
いままで、ずっとあのひとのことが好きだった。あのひとと、話せて、あそびに行けて……全部、詩織のおかげ。勇気ださなきゃって、言ってくれた……詩織のおかげなの。
「きゃお! ――クンいる?」
明るくてよく通る声に、わたしは顔をあげた。
あさひな……さん……だっけ?
なにをやっても許されちゃうような、あかるくて元気なひと。彼女はあのひとを見つけると、すたすたと教室の中に入って来た。
「はいっ! チョコレート! バレンタインデーだからっ!」
「ををっ! 朝比奈さん、僕には?」
「ないよ」
早乙女君の台詞に、彼女はけろりと言った。
「この前のおれい。たのしかったぁ! またさそってね!」
「はいはい。ありがとう」
――くんは少し苦笑を浮かべて言った。でも、それは多分、あまりにあっけらかんとした朝比奈さんの態度に対するもの。早乙女くんに「ないよ」っていいきる鮮やかさ。それが、あまりにあたりまえな彼女に、だ。
けっして、チョコレートが迷惑で、じゃない。
……大丈夫、よね。わたしにも、笑ってくれるよ、ね?
義理チョコだもん。平気よね?
「ホワイトデー期待してるから。じゃね! 後は伊集院サマとぉ、それから……」
「あうあう。そんないっぱいあげるんなら俺にもくれればいーのに」
わたしはたちあがった。おもいのほか椅子の音が大きかったけど、昼休みの教室はおべんとうやらパンの買い出しやらで騒がしくて、あんまりめだたなかった。
「やぁよっ! 今月のお小遣いはあとは、アノカタのもの!」
「うひ〜。また、CD?」
「んーん。写真集! やっぱ、すっごぉ〜くかっこいいんだもん。もぉ、最高!」
「あっ、あの……」
二人が話をやめてこっちを向く。
え〜ん。居心地わるいよぉ。
「美樹原さん?」
あのひとが、すこしくびをかしげてわたしを見た。
「あ、あの。わたしも、チョコレート。――くんと、早乙女君に」
あの人は……あのひとは……すこし、困ったように笑った。
……なんで、そんな顔するの?
朝比奈さんのときとはちがった、ほんとうに困ったかおつき。ねえ、どこがちがうっていうの? チョコレート、いいじゃない。バレンタインだもの。
「ををっ! 感激! 美樹原さん最高!」
にこにこしながら、早乙女君が言ってくれたから、わたしは次の言葉を言う事が出来た。
「……こっ……今年は自信作なの」
「ええっ! 手作りなの? 美樹原さんてすごぉい! 今度わたしにもたべさせて」
朝比奈さんが教室の喧騒にもまけない声で言う。ほんとに、あかるいひとだな。
「そ、そんなことないわよ。私のつくったのでよかったら……きゃあ、早乙女君あけちゃやだ!」
「自信作なんでしょ〜? いいじゃん」
「うん。わたしもみたぁ〜い」
「楽しそうね」
「……!」
……しお……り……。
彼女が後ろで手をくんで微笑んでいた。
詩織、おねがい。そんなかおしないで……。
落ち着いた笑顔。
こんなのやだ。
わたしがおとこのこだったら絶対詩織に憧れる。
わたしよりずっと落ち着いてて、ずっときれいで、ずっと……。
「わたしも、これ。よかったらみんなで食べて。わたしが作ったの」
「ひゃあ。詩織ちゃんの手作りぃ!? 感激だなぁ。開けるよ!」
「ええ」
「わたしも便乗させてもらっていい?」
「いいわよ。たくさん作ったの」
早乙女君がつつみをあける。こいめのピンクのリボン。セロファンに造花。ふわふわのグラデーション。白と明るいピンクの包装紙。
あのひと、早乙女君、朝比奈さんがチョコレートを手にとる。
「メグも、ほら。たべて」
彼女は微笑みながらわたしに小さなチョコを手渡した。
それは、とても綺麗にアイシングでかざりつけられたホワイトチョコ。
トリュフだ。
中は洋酒の香り。
……それは、とても、とても、おいしかった。
*
うちの学校には伝説がある。
伝説の樹。
卒業式の日にそこで告白して、うまくいったら、二人はずーっと幸せでいられるという。
……できなかった。
わたしにはできなかったの。
電話も、手紙も、友達への伝言すらできなかった。
「卒業式の日、伝説の樹のしたにきてください」
それだけ、伝えればいいだけなのに……。そんなに長い言葉じゃない。でも、出来なかった。
なのに、わたしは伝説の樹の近くまで来てしまった。
今年も、何人もが待ってる。
ひとり……ふたり……。
あれは?
とおくからだって、わかる。だって、ずっととおくから見てきたから。
そして、もうひとり。
すらりとした後ろ姿を見つけ、わたしは息が出来なくなった。
……そんなの……そんなこと、ないよね?
嘘だよね?
あなたはだぁれ?
嘘よね?
あなたはだぁれ?
涙を浮かべて、顔をくしゃくしゃにしてるおんなのこ。それすらも、とてもきれい。
くずれおちる彼女の背中をやさしく撫でるおとこのこ。
ねぇ、だぁれ?
*
それからの記憶は定かじゃない。
気がつくとわたしは制服から私服に着替え、電話ボックスの前にたっていた。
日はすでに傾いている。こよみの上では春だけど、まだまだ寒く、日も短い。
こわばった指を開き、電話ボックスの扉をあけた。
指が震える。
ポケットに手を入れる。
あのひとの住所と電話番号をメモした紙。住所は、この近く。
ひどく苦労して番号を読み取り、プッシュした。
「あの……。――さんのおたくですか? わたし美樹原と申しますけど。――くん? あのね、今近くなの。行っていい? あのね……。うん! 今から行くから。5分以内につく!」
わたしは受話器をかけた。
その動作も、話をしてるのも自分じゃないみたいだった。
電話ボックスの扉って、堅い。重くて困っちゃう。
たしか、さっき表札確かめたの。
ここで、つぎをまがって……いた!
――くんは少し困ったような顔をしていた。そして、片手をあげる。
わたしは走らない。ゆっくりと歩いた。
「――くん」
ねぇ、知ってた? こうやって、名前をよぶの。それって、どんなに気持ちいいことなのか。あたまがぎゅっとなって、ふわふわする。
「美樹原さん。よく、わかったね。迷わなかった?」
「うん。この近くの友達のうちに来た事あるから。ごめんね。無理いって」
「いや、いいけど。どうしたの?」
「うん。ちょっと、なんとなく」
「……」
こまったような顔。