わたしは明日、明日のあなたとデートする
9.愛美
?年
寒さで気がついた。私は草の上に横たわっていた。
身体を起こしながら記憶を辿る。最後の記憶は迫ってくる電車だった。轢かれてしまうことを覚悟したが、どうやらその直前にまたどこかに飛ばされたらしい。
良かった、助かったらしい。そう思った直後、せっかく助かったのにこのままでは死んでしまうかもしれないほど寒いことに気づいた。
周囲は薄暗いが、少しずつ状況がわかってきた。
目の前に大きな送電鉄塔が見える。私が横たわっていたのは道の横にある草地だったのだが、道といっても舗装していない登山道のような道だった。展望が良い場所で、眼下に大きな湖が横たわっている。琵琶湖なのだろう。湖の対岸に特徴的な三角形の山が見えた。
周囲が少しずつ明るくなっていた。琵琶湖の向こう側の空が白み始めている。どうやら夜明けが近いらしい。琵琶湖と反対側を見て、ここが琵琶湖の西側にある山の中腹らしいことがわかった。
あまりに寒く、すぐにでも歩いて山を下りたかったが、足下がまだ暗い状態でこの道を歩くのは危険に思えた。ジャケットをバッグに入れていたことを思い出し、取り出して羽織ったら少しは暖かくなったが、それでも歯がガチガチ音を立てるほど寒かった。
私はスカートの裾を足に巻き込み、膝を抱えて夜明けを待った。やがて琵琶湖の向こうの空が赤く染まり、遂に太陽が顔を出した。
神々しい光景だった。太陽の光が差し込んだ途端、すべてのものが命を取り戻して輝いたように思えた。また、陽の光を浴びた瞬間、寒さに固まっていた身体が解凍されたようにほぐれていくのを感じた。まるで生まれ変わったような体験だった。
ついさっきまでは、私の行動はすべて「運命」に自分の役割を演じさせられていただけだったのかもしれない。でも、その役割を頑張って立派に果たした私に、運命は私が自分の望みを叶えるために生きる時間を与えてくれたのかもしれない。そんな気持ちになれる夜明けの光景だった。
やがて私は立ち上がって歩き出した。
もしかしたら、今なお私は何からも逃れられていないのかもしれない。でも、どちらにしたって人は未来に希望を持たなければ、立ち上がって歩くことなんてできやしないんだ。
もし神様がいるのなら、私が今感じている希望が幻だったとしても、今度は最後までそれを私に教えないでください。
もう十分明るくなってはいたが、石ころだらけの道を歩くのは骨が折れた。物見遊山に来るわけではないことは承知していたので、向こうで歩きやすい靴をわざわざ購入して来たのだが、それでもこんな道は歩き慣れていないので時々転びそうになったりしながら、ゆっくり下り続けた。
ケーブルカーの駅の横に降り着いた時にはホッとした。この街で暖かい上着が買えるだろうか。必死に歩いてきたので身体はそれなりに暖まっていたが、舗装された普通の道に出てくると運動量が減ったのか、それとも今まで単に寒さを忘れていただけなのか、再び寒くてたまらなくなっていた。
ケーブルカーの駅の横には高校があった。木と石垣の中の階段を数人の学生が駆け上がっていった。あの慌て方は始業時間が近いのだろうか。
両側が石垣で組まれた道を少し歩くと、大きな神社の前で道が右にカーブし、両側が銀杏並木になった。灯籠も道の両側に並び、並木の外には石垣や古い家がある、とても雰囲気が良い道だった。傾斜は緩いが、下り坂になっていた。まっすぐ降りていくと琵琶湖畔まで行けるのだろう。また改めてゆっくり見に来たい、と思う素敵な道だったが、今はとにかく寒い。早くどこかで上着を買わなければ。
ふと、どこかから読経の声が聞こえた。スピーカーで流れる読経に大勢の声が被さって聞こえている。道の右手を見ると、この古い街に溶け込むように少し大きな、やはり古い建物が建っていて、ここはどうやら中学校のようだった。さっきの高校と同じ校名なので、系列の私立中学なのだろう。読経の声はどうもこの建物の向こう側から聞こえてくるようだった。朝礼で読経しているのだろうか。
やがて鳥居を車道がくぐる、変わった交差点を過ぎると右手に京阪電車の駅があった。坂本駅という看板が掲げられていた。終着駅のようだが小さな駅だ。駅舎で路線図を見て位置関係がわかった。ここから浜大津で乗り換えれば京都の三条に行けそうだ。時刻もわかったので腕時計を合わせた。でも日付はまだわからない。
駅員さんに近くに大型スーパーがあることを聞いた。そこで上着が買えそうだ。
私は駅前の道をさらに下っていった。また道が鳥居をくぐるところがあった。
さらに歩くとコンビニがあった。ここで日付がわかりそうだ。
私はコンビニに入って新聞を探したが、どうも置いてないようだ。雑誌が置いてある棚の方に行くと、その片隅にフリーペーパーが置かれていた。どうやら日刊らしく日付が書いてある。
私はその日付を見て呆然とした。
日付はこう書かれていた。
「二〇四〇年三月六日」
頭が真っ白になって、私はしばらく立ち尽くしていた。
高寿が五十歳、なんと私と同じ歳だ。ほんとうなのだろうか。さすがにこんな幸運は期待してなかった。そもそも高寿に会えることすらほとんど期待してなかったので、日付を見て「高寿に会えるかも」と思った瞬間、私の心臓が全速力で走り始めた。
待て待て、と私はまず、暖かいコーヒーを飲んで気持ちを落ち着かせた。レジで支払いをするとき、自分の手が震えていることに気づいた。
よく考えたら、またいつ「調整」が入るかわからず、日付だけでぬか喜びしているわけにはいかない。「調整」はもはや二十四時間という私の周期とはまったく関係なく不規則に来ているので、その時間内に高寿を探し出して会うなどということが可能とは思えなかった。
とにかく。
五十歳の高寿が元気に暮らしているのか、どんな仕事をしているのか、家族はいるのか、今でもカッコ良いのか、それは知りたい。
でもその前に暖かい上着を買わなければ。
私は大型スーパーに向かって歩き出した。
高寿がいる世界だと思うだけで、空気の匂いまで違うように感じる。
大型スーパーで薄手のダウンジャケットを買った。スーパー内は暖房も効いていて暖かく、気持ちに余裕ができた私は、三階の本屋で京都と近江が網羅されている観光ガイドブックを一冊購入した。現在、滋賀県は近江県に県名を変えているらしい。
一階でガイドブックをじっくり読んでみる。交通網は二〇一〇年から三十年後の今もさほど変わっていないようだ。京都の地下鉄が多少延伸されたくらいだ。
どこかで情報を得なければならないが、ここのような小さな街ではそれも難しそうだ。結局、京都まで出た方が良い、という結論に達した。
そうなれば早く行動した方が良い。いつ「調整」が入るかわからないし。
私はガイドブックをバッグに入れ、立ち上がった。
私は京都駅近くで見つけたネットカフェの個室にいた。
さっそく「南山高寿」で検索してみた。
高寿は私が十歳の時、つまり二〇二〇年に会ったとき、既にクリエイターとして世に出ていた。ネットで検索すれば詳しいことがわかるだろうと思った。
作品名:わたしは明日、明日のあなたとデートする 作家名:空跳ぶカエル