Metronom
トン、トン――。
扉を叩く音に気付き、工作していた手を止めたムウは「はい?」と扉を開けた。訪問者を確認したムウは一瞬、戸惑いを覚える。扉の前に立っていたのがミロだったからだ。
「―――ちょっといいか、ムウ」
「ええ、かまいませんけれども……『二人で』お出かけではなかったのですか?」
何気なく強調しながら、ミロを中へと招き入れる。僅かにミロは険のある目へと変化したのをムウは見逃さなかった。ひりつくような気配を感じて自然、身を固くしながら、あくまで表情は柔らかく取り繕った。
「そのことに関しておまえに聞きたいことがあるんだ」
「―――どうぞ。お茶でも淹れましょうか?」
「いや」と一度は断ったミロだったが、考え直したのか「では頼む」と言い直した。じっくりと腰を据えて話をするつもりなのだろう。ムウはそう思い、手狭な今の場所から少し広い部屋に移動するとミロを先に座らせた後、ジャミールから持ってきた茶葉の一つを選び出し、湯を沸かす。じきに沸点を迎えたが、ぼうっと茹で暴れる泡沫の音に気を取られ、火を止めるのが遅くなった。ああ、いけない……。やっと火を止めて、少しばかり冷ました後、淹れたてのお茶を差し出し、ミロと面と向かい合った。
「―――貴鬼はシオンさまの雑用をこなしているだろうから、当分誰の邪魔も入りませんよ」
周囲を窺うようなミロに小さく笑みながらムウは告げた。僅かではあったが、「そうか」と強張っていたミロの表情が解れる。
「それで、お話とは?」
カップの淵を指でなぞりながら、ムウが話を促すと最初こそミロの歯切れは悪かったが、一度口にしたことで腹も決まったのだろう。すらすらと語りだした。
「……何かと思えば、ご用件はそういうことですか。でしたら、ご安心を。誰に聞いた話でもありませんよ。噂になどなっていませんから」
シャカとミロの関係について、噂になっているのかと懸念したらしい。彼らは秘密の関係でありたかったのだろうか。儚くムウは笑んだ。
「では、なぜ気づいた?」
しかし、ミロはムウのことばに安堵するどころか、より訝しそうに眉を顰めた。ムウは疲れたように小さな溜息一つ吐く。
「気づいた?気づいたわけではありませんよ……事実を目撃した、ただそれだけ。それに貴方たちが心配するようなことではないんじゃないかと私は思いますが。よくあることでしょうからね、男所帯で互いに慰み合うなんてことは」
――そう。そこには愛などない。
肉体が求める欲に従っただけ。
空腹を満たすために食事をするように疲れた身体を休めるために
眠るような生理的欲求のひとつに過ぎない、ふたりの関係は―――。
ムウはそう思っている。いや、思いたかった。ミロが相手ならばなおのことだった。彼はこれまでにも幾度となく浮名を流していたのだから。
「慰み合う、ね……」
気分を害したのかミロは吐き捨てるようにいった。まるでミロはシャカとの関係はそんな軽薄なものではなく、高尚なものだとでも言いたいように。虫唾さえ走った気がして、ムウはぎしりと奥歯を噛み締めた。
「そう思われるのはこれまでのことを考えれば仕方のないことだと思う。それが俺だけならば、別に構わない。でもシャカまでそう思われてしまうのは困る。嫌なんだよ。わかるか?」
「なぜです?わかりませんね……私には。シャカも貴方と同じじゃないのですか。彼には縁遠い欲だと思っていましたが、案外、俗物だったなんて。彼には失望しましたよ」
折り重なる黒い沁みの心のままに吐き出したムウをミロは眇め見た。彼が何を感じ取ったのかはわからない。だが、その瞳には怒り以外の何かを宿していたようにムウは思えた。ムウの知らぬミロの一面が顔を覗かせようとしている。それはとても危険なもののように感じてムウは警戒した。
「――俺はおまえにひとつ願いがあって、ここに訪ねもしたのだが。どうやら、もう、その必要はなさそうだな」
睨めつけるように見たミロは突き放したような恐ささえ纏いながら、立ち上がった。そして卓の淵を手でなぞりながら、しっかりと獲物でも狙うようにムウを見定め、近づき、ムウの背後へと回った。すっとムウの両肩にミロの手が置かれる。ずしりとムウを押し潰し、毒の尾をムウに狙い定めたかのようなミロの圧力を感じ、ムウは秀麗な顔を歪めた。