Metronom
荒れ狂う波打ち際のような周囲のざわめきをまるで他人事のようにムウは聞き流していた。
「それが、おまえの意見か――ムウ?」
怪訝に眺めみたシオンへムウはゆるく笑みを返す。
「―――ええ。実際よく考えてみれば、莫大な予算をかけてまで行うことでもないのではないかと思いまして」
ざわめきがまた巌に打ちつける波のようにムウに押し寄せた。その波の中をふわりとかわすようにやんわりとした笑みだけを浮かべて、ムウは一度瞳を閉じた。すると今度はそのざわめきの中を独特の声がその場を氷柱のごとく貫き通る。シャカであった。
「フッ。先日、あれだけ熱弁を奮っていた者の言い草とは思えぬほど、あっさりと掌を返すのかね?ムウ」
鋭く尖った氷柱に刺し貫かれるような錯覚さえ覚えながら、それでもムウは微笑んだ。確かにシャカの言うとおりで一ヶ月前にあれほど熱く語ったのは一体何だったのだろうとムウは思う。こうと決めたことに関しては頑ななほどに貫き通す主義だったけれども。あの時を思うと笑いが止まらなくなる。我ながらまるで無意味、かつ滑稽だと。
「鞍替えしたわけではありませんよ。ただ私が意地になるほどのことではなくなった。それに―――」
「そこまでにしておけ、ムウ」
剣呑な雰囲気を察した童虎が警戒し、ムウを制しようとした。目配せをされたシオンも閉会の言葉を口にしたが、制止を押し切るようにムウは続けた。
「不甲斐ない貴方たちを信じ、期待するのも馬鹿馬鹿しいことです。今の世にあっては第一の宮を守る私自らが全てを食い止めれば良いだけのことだと思い直したのですよ」
「なんだと!?貴様っ!」
気色ばみ、吠え続けるアイオリアをムウは睨めつけながら、その視界の中にはシャカの姿も入っていた。次々に上がる抗議の声を小川のせせらぎにでも耳を傾けているかのような涼しい顔で聞いていた。そんなシャカにミロが顔を寄せてヒソヒソと何かを嘯いている。すると、清涼なシャカの顔がムウの方へと向けられた。
変化していくシャカの表情はある意味、劇的にさえムウは思いながら、閉ざされたシャカの双眸の奥に紅く揺らめく炎にも似た激しさを感じた。それが憤怒というものなのか嫉妬というものなのかは判りかねたが。
紛糾する論議に業を煮やしたシオンが一喝し、ようやく二度目の会議が終了した時、シオンはムウを執務室へと呼びつけた。
「……自暴自棄になるのはおまえの勝手だが、和を乱すようなことはするな。子供ではあるまい」
「自暴自棄になどになった覚えはありませんが。それにシオンさま、この聖域に元々調和などというものがあるのでしょうか?聖闘士であるためには多数の中で力を競い合い、そして聖衣を己が物としなければならない。さらに女神を守るためならばたとえ苦楽を共に過ごした仲間同士であっても、殺し合うことさえ厭わないのでしょう?この聖域においては。今の私があるのは――それらを遵守してきたことによるものだと認識しております。そして、教導なされたのは他ならぬ教皇であるシオン、貴方なのだと」
シオンの言葉にさえ歯向ってしまう。きっと叱って欲しいのだとムウは思った。駄々を捏ね、歯止めの利かない自分をこの人に叱って欲しいと。だからこそシオンを苛立たせるような裏腹な言葉を口にしている。
シオンは一度大きく口を開けて怒鳴りつけようとしたのだが、思い止まったらしく疲れたように深い溜息をついた。
「――この場にシャカを呼びつけてもいいが」
「!?」
思ってもみなかった切り替えしにムウは絶句し、喘ぐように口をパクパクとさせた。呆れたようにシオンはムウを見る。
「まこと判り易いな、おまえは。そんなことだから、出し抜かれるのだ」
「―――っ!出し抜かれたわけじゃありません!そもそも、そんなことを誰がシオンさまに……シャカ?それともミロですか!?」
「ほう、図星か。ふぅ〜ん…しかも、相手はミロとは」
「あ……っ!」
まんまと誘導されたことに気づいたムウは悔しさに顔を歪ませたが、仮面が剥げ落ちたように取り繕うこともできなくなり、どんな風に誤魔化し、どんな表情を作ればいいのか混乱した。
「楽しい、ですか?さぞかし、面白いでしょうね……私は浅はかで……本当にいい笑い草でしょうとも!もっとあざとくあれば……私は――こんな…こんな……っ!」
必死に押し殺していた感情が決壊し、ムウそのものを呑込んでいくかのような混乱はやがて全身へと波及した。ひどい寒気の中で凍えたようにムウの唇は蒼褪めぶるぶると身体を震わせた。空気さえムウの周囲から消え失せたように苦しげにもがいた。
「ムウ?どうしたのだ……ムウ!?」
異変を感じ取ったシオンは血相を変え、喘ぐように崩壊しかけるムウを既の事で抱き止めた。