Metronom
「瞑想中に邪魔をしてすまなかったの。だが、どうしてもおぬしに手伝って貰いたいことがあってな」
「いえ、おかまいなきよう、老師。で、私は何をお手伝いすればよろしいのでしょうか」
居住まいを直したシャカに童虎は困り果てたような顔を向けた。
「シオンがな、ヘマをやらかしてのぅ……シオンが頭を抱えるのは一向に構わぬが、巻き添えを喰ったムウが不憫でな。シオンと儂でどうにかムウを元に戻そうと試みたのだが、上手くいかん。そこで困り果てた儂らはおまえに手を借りようと思ったわけだ」
ほんの僅かではあったがムウという名にシャカが警戒したように童虎は感じられたが、そのまま話を進めた。
「……折檻でもなさったのですか、教皇は?ムウは次元の彼方にでも吹き飛ばされた……とか?」
「折檻というわけではないのだが、追い詰めすぎたようでの。まったく、デリカシーに欠ける男だからして」
「デリカシー、ですか」
童虎の口から思ってもみなかった語彙が飛び出したとでもいうようにシャカは呆けた表情をしていた。童虎でさえもシャカという人物はろうたけていて、ともすれば緊張とまでは行かずとも、話しづらさは感じていた。そんなシャカにしては珍しい表情に童虎も自然に笑みを浮かべ、やんわりと打ち解けた風にポンと軽くシャカの肩に手を乗せた。
「会議では少々険悪な雰囲気であったが。それを承知の上でおまえに頼みたい」
「会議では、ね」
「それ以外に何かムウと揉め事でもあったのかの?」
伺うように童虎が注視するとシャカは「いえ、別に」と呟き、気まずそうに顔を逸らした。あまり気の進まぬようであったシャカを半ば強引に処女宮から連れ出すことに成功した童虎は教皇宮の奥の間へとまんまと放り込むと、そこで待ち侘びていたシオンに後を託した。
「やれやれ、こういうのは苦手じゃわい」
どっと疲れを感じながら恨めしげに呟いた童虎は執務室のソファーに深々と腰を沈めた。
「すまんな、シャカ。手間を取らせて」
「それはいいのですが。これは……一体……?」
部屋の中央にある寝台にはムウが横たわっていた。まるで生気のないムウの顔色、そして何者をも拒むかのように透明な壁の存在が周囲に張り巡らされていることにさしものシャカも戸惑っているようである。
「まぁ……つまり、こういうことでだな、おまえを呼んだわけだ。障壁を無理に壊せなくもないが、中にいるムウ自身をも傷つけてしまう。そこでシャカ。ムウを優しく起こしてやってはくれぬか?」
手もみでもしそうな勢いのシオンにシャカは面食らっているようだった。
「は?優しく…起こ……!?何をふざけておいでか!それに――ムウ、貴様、さっさとそこから出て来い!タヌキ寝入りをして私に厄介者を押し付けるな!」
バンッと問答無用に両手を叩きつけ、鬼気迫るシャカの背後でシオンは悲壮な表情を浮かべた。
「厄介者……?このわしが…か?」
なおも強引に壁を崩そうとするシャカであったが、壁は崩れるどころかさらに強固なものへと変わっていった。「はぁ」と小さく溜息をついたシオンは呆れ顔で呟く。
「優しく起こせ、と言うたではないか。まったく、優しさの欠片もないな、おぬしは。ほれ、見たことか。一層壁は厚くなってしまったではないか?」
「ならば、こうするまで!」
言うが早いか、一気に小宇宙の蓄積にかかったシャカをシオンは慌てて押さえ込んだ。
「ばか者っ!ここを吹き飛ばす気か!?ムウも無傷ではおられまい!」
「私にはどちらも関係のないことです!」
透明なムウの作り出した壁とシオンの間に挟まれたシャカは身動ぎ、不快さを爆発させたかのように叫ぶ。
「こんな子供じみた真似をして。どれだけ私を不快にさせれば気が済むのか。ムウも、あなたもだ、教皇!嫌がらせも大概にして頂きたい。ムウが閉じ篭りたいというのならば勝手に閉じ篭らせておけばよいではないのですか!?私はムウと関わりたくなどない!」
珍しく感情を露わにするシャカを押さえながら、落ち着きを取り戻すべくシオンは低く声を抑え、諭すように囁いた。
「……おまえたちの間に何があったのかは知らぬ。だが、ムウは苦しんでいたのだ、シャカ。取り除けるならばその苦しみを取り除いてやりたかったが、わしではどうにもできぬのだ。おまえの言うとおり、子供じみているかもしれぬ。想いを伝えるべき相手に向かいもしなかったのだろう。ただの独りよがり――と、内に篭ってしまった愚かな子供。それはわしにも責任があるのかもしれぬ。傍にいるべきときに傍にいることができず、教えるべきことを教えてはやれなかったのだ」
「教皇――いや、シオン。それはムウだけではないはず。ここにいる誰もが独りだった。けれども、あらゆる困難を前に決して逃げることなく、立ち向かってきたのです……理由にはならないし、あなたの悔恨に付き合わされるつもりはありません」
きっぱりと言い切るシャカに歯噛みする想いでシオンは堪える。ムウの気持ちをぶちまける事ができれば、さぞかし胸は空くことだろう。けれども、そんなことをするわけにはいかないのだ。気を病むほどに思い詰め、張り詰めた結果が今の状況だ。現状を打開する方法を模索しながらもシオンは諦めたようにシャカから離れた。
「わしが言いたいのはそういうことではない。だが、もうよいわ……今のおぬしに何を言っても無駄なのはよくわかった。手間を取らせた。下がれ、シャカ」
「本当に……よいので?」
呆気ないほどの引き際にシャカは僅かに戸惑っているようだったが、今はシャカに構っている暇はないとばかりに淡々とした口調で再度シオンは去るように命じた。
「むしろ、邪魔だ。はよう、去れ」
きゅっと身を固くしたシャカは何か言いたげだったが、さっと踵を返し、その場を後にした。ふっと一つ息を吐いたシオン。静寂の中で苦悶に満ちた表情で眠りにつくムウを見遣ったシオンはムウと同じような表情を象ると、厳しさを含んだ声で言った。
「――少々手荒だが、仕方ない。試みてみるしかあるまいか」