何度でも…前編
そのため、事あるごとに馬村とすずめの恋愛事情を聞かされる羽目になってしまい、それもまたどうかと思うのだが。
たまたま降りた駅が同じだからといって、本人に会えるわけではないのに、なんだかすずめが近くにいるような気がして、獅子尾はフッと笑いが込み上げる。
それは、諭吉にはもちろん言えないが、何年も経つというのに、まだこんなにも彼女を愛おしく想ってしまうことへの自嘲だった。
「なに笑ってんだ?」
「いや…いい店だなと思ってな」
急に笑い出した獅子尾を訝しげに見る友人に首を振ると、誤魔化すように店内を見回した。
「最初は入りづらいと思ったろ?」
獅子尾の考えを見透かしたように、友人はニヤリと笑った。
「そりゃそうだろ…」
店内に足を踏み入れた時は、薄暗くカウンターの奥でシェイカーを振るバーテンダーや、明らかに店員目当てのカウンター付近に座っている女性たちを見て、男同士で来るような店ではないだろうと正直恥ずかしく思ったが、店内は思っていた以上に広く、集団で飲み会をしているグループもあり程々に騒ついていて、そこまで居心地は悪くないと感じた。
それに、酒の種類が豊富で、日本酒や焼酎まで数ある銘柄が揃っている事が獅子尾にとっては良かった。
「まぁ、俺だって連れてくる彼女でもいたら、お前を誘ってないよ…お前は?」
「俺?ま、相変わらずだな。お前と同じだよ」
「獅子尾はモテんのにな。よっぽど好みがうるさいわけ?」
好みがうるさければ、そもそもすずめを好きになっていないだろうと、体育祭でパンに食らいついた顔を思い出して、また笑みがこぼれそうになるところをグッと抑えた。
「ちょっと煙草買ってくるわ」
吸っていた煙草の火を消して獅子尾は席を立つと、店内奥の自販機に向かった。
獅子尾が薄暗い通路の奥に向かうと、途中で客から隠れるように2人組の男が立ち話をしていた。
聞こえてくる会話が、タクシーで奥に乗せて出られないようにすればいい、強い酒無理やり飲ませるか、などと穏やかではない。
獅子尾はすれ違い様に、念のためその男たちの顔を覚えておく。
相手がよほど隙のある女性でなければ、大事には至らないとは思うが。
「俺、黒髪ロングの子な」
男のそう言った声が、やたらと耳に残った。
「お前、煙草買いに行ったんじゃないのか?」
友人に言われ、獅子尾は初めて自分が煙草を買いに行ったことを思い出した。
思っていた以上に男たちの会話に気を取られていたのか、自販機を通り過ぎ用を足して席に戻ってしまっていた。
「忘れてたわ。何してんだ俺」
「それはこっちのセリフだよ…まさかビール一杯で酔ったとか言うんじゃねえだろうな?」
まさかと乾いた笑いを漏らし、店内を見渡すと先ほどの男たちが、獅子尾たちより入り口に近い席にいることが分かった。
獅子尾はそこにいるはずのない顔を見つけて驚愕の表情を浮かべる。
男たちと全く楽しそうではなく、嫌そうな顔を隠そうともせずに話をする様子に、本当なら危惧するとこだが、久しぶりに見る彼女に懐かしさと同時に愛しさが込み上げてくる。
綺麗になったなと、思う。
元より顔立ちは綺麗だと思っていたが、高校生の頃のすずめは、決して美意識が高いとは言えなかった。
獅子尾にとっては、愛すべき人であったが、高校生のすずめを抱きたいと思ったことはあまりなかったように思う。
もちろん獅子尾の職業が歯止めをかけていたのもある。
ふとした時に女を感じることはあっても、やはり高校生の子どもだったと、大人の女性になった今のすずめを見て思う。
トレードマークであったはずの、三つ編みは既になく、艶めいたストレートの長い黒髪、濃すぎない薄くあしらった化粧が彼女の魅力を引き立たせていた。
「獅子尾?お前、今日ボウっとし過ぎ。どうかしたか?つか、なんでさっきからあの子達見てんの?」
獅子尾の明らかに普通ではない表情に、友人も具合でも悪いのかと心配そうに伺う。
獅子尾もまたすずめに心を奪われていた頭を切り替えて、友人へと向き直る。
「あぁ、いや…ちょっとな。元生徒がいてさ」
隠したところで、何かあった時に自分が動きにくくなるだけだと思考し、男たちの会話を友人に話した。
「それは…まぁ危なそうだな…。でも、そういう男に着いて行くような女にも問題あると思うけどね。もう成人した大人だろ?元生徒って言ったって、お前がそこまで気にしなきゃならねえもんなの?」
「いや、俺だって分かってるよ。だから、一応気にして見てるだけだって」
絡まれている女性の1人がすずめではなかったら、本当にそうだったであろう。
「ナンパする男に着いて行くような子じゃないしな」
そもそも、獅子尾とのことであれだけ悩み、うまくやれば二股をかけることだって出来たはずなのに、獅子尾ときちんと決別しやっとのことで馬村の手を取った彼女が、ああいう男に着いて行くはずがなかった。
「あ、あの子達店出るみたいだぜ?」
友人の言葉に、獅子尾も後を追うように席を立った。
***
店内ではすずめが心配していたようなことは何も起きなかったが、かなりしつこく家に来ないかと誘われ辟易とした。
そろそろ帰るとすずめたちが言うと、酔っ払っていたら危ないからタクシーで送るという男に、電車で帰るから大丈夫とはっきりと断ると男たちは諦めたように嘆息し、以降はしつこく誘ってくることもなかった。
男たちとは店の前で別れ、すずめは大輝にこれから帰るとメッセージを送る。
すずめが友人たちと飲みに行くと言うと、いつも何が気掛かりなのかは分からないが心配され、遅くなったら迎えに行く、家に帰ったら必ず連絡しろと口にする。
すずめも大輝を心配させたくはないので、気にかけてくれる恋人のことを愛しく思いながら、大輝の言う通りにしていた。
「詩織、舞のことよろしくね〜」
「いつものことだからね…りょーかい。すずめちゃんも気を付けてね」
かなり酔っ払ってしまった舞と綾子を、すずめと詩織が介抱し、行き先の同じ舞と詩織を同じタクシーに、綾子を1人でタクシーに乗せた。
すずめは、男たちとの間に何事もなかったことに安堵を覚え友人たちを見送ると、急に足がフラつき頭が重くなるほどの目眩に襲われた。
それもそのはずで、いつもは2杯も飲めば顔が真っ赤になり、足もおぼつかない状態になるはずが、今日に限っては男たちに勧められた酒を少しずつとはいえ、4杯は飲んでいた。
それでもなんとかフラつきながらも、タクシー乗り場から駅に向かうべく歩き出す。
どうやらかなりの緊張状態であったために、その場では酔わなかったようだ。
ふと視線を感じて、すずめが振り返ると帰ったはずの男たちがニヤニヤと笑いながらすずめを見ていた。
背中が強張り、呼吸が速くなるのを感じた。
***
「悪いな、ここ俺の奢りにするから」
獅子尾の視線はすでに友人を見ていなかったが、会計伝票を持ち席を立つと、友人は真面目な教師だなと呟き、怒るでもなく手をヒラヒラと振り見送る。
会計を済ませて外に出ると、すずめたちは駅近くのタクシー乗り場へと向かっていて、後をつけるわけにもいかずに、近くの喫煙所で煙草に火を付けた。