何度でも…前編
すずめは決して警戒心が薄いわけではないと思うが、1度安心してしまうと、途端に根拠なく大丈夫と思ってしまう節がある。
初めて会った時、警戒心も露わに獅子尾から逃げ出したところまでは良かったが、結果公園で寝るという失態は、熱のせいだけではないだろう。
しかし、どうやら男たちとは店の前で別れたようで、すでにその姿はなく、獅子尾の心配は杞憂に終わったようだ。
一先ず安心しまだ店内にいる友人を思い、店へと戻ろうとしたとき、帰ったはずの男たちが、店から少し離れたところですずめたちを見張るように立っているところを目にした。
だが、すずめが酔ってしまった友人をタクシーに乗せ、その後にもちろんすずめもタクシーに乗り込むであろうと見越し、そうなれば滅多なことは起きないだろうという獅子尾の意に反して、すずめは駅へと歩き出した。
酒にフラつく足取りでヨタヨタと歩くすずめに、男たちは近寄る。
「…っ」
あいつは、バカか…。
舌打ちでもしたいほどイラつき、煙草を適当に揉み消して、20メートルは離れているすずめの元へと走る。
走りながら獅子尾は妙に冷静に、過去を思い出した。
こういうこと前にもあったな。
そうだ、皆川に絡まれていたすずめを見た時、頭が真っ白になって、慌てて走って行った。
最初に受け入れられないとすずめを傷付けたのは自分なのに、他の男といるあいつのことが気になった。
馬村に取られそうになったら、受け入れられないくせに渡したくなくて。
***
しまった、と後悔してももう遅い。
綾子に一緒にタクシーで帰ろうと言われた時にそうしていればよかったのだ。
危険な信号は出ていたはずなのに、迂闊としか言いようがない。
すずめはしっかりと掴まれた腕を振り払おうとするが、男の力には到底及ばない。
男は3人いたはずだが、すずめに絡んできた男たちは2人だった。
どういうことかは分からなかったが、2人なら何とか逃げられるのではないかと思ったのは甘い考えだったらしい。
「離してください」
すずめがいくら口で言っても、聞く耳を持たず、そして、今頃酩酊状態に陥った身体は全くいうことがきかなかった。
「フラついてるじゃん。大丈夫〜?」
わざとらしく顔を寄せてくる金髪の男に、疎ましい視線を送るが、そんなことは気にも留めずに腰を抱かれ、タクシーの停留所へと引き返す。
「送って行くよ。家どこ?1人暮しって言ってたよね?」
ニヤニヤと笑う金髪の男に言われ、すずめはやっと、舞ではなく自分が狙われた理由に思い至る。
友人たちの中で、1人暮しをしているのはすずめだけだ。
自宅に連れ込めば、男の住所から足が付く。
ホテルは、複数人の男に連れ込まれている女性を警戒するし、監視カメラで顔も映る。
女性の自宅ならば、宥めすかして住所を吐かせ、騒ぎ立てようとすれば何度でも家に来ると脅すことで、大抵の女は言うことを聞く。
酔った頭ではあったが、絶対に自宅の住所は言ってはならないと、すずめは固く口を閉じた。
男たちがタクシーを止め、すずめを車の中に連れ込もうとしたところで、すずめの意識が途切れた。
「その子連れて行くなら、警察呼ぶよ?」
懐かしい初恋の人が、すずめを助けてくれたことも知らずに。
***
学生の自分とは違い、すでに社会人として自立しているすずめになるべく時間が合わせられるように、バイト先をすずめの勤務先の近くにしていた。
すずめが遅番で夜遅く帰るときはバイトを入れ、自宅まで送ることが出来るように。
大輝にとってはお金よりもすずめとの時間の方が大切だった。
しかし、今日はすずめが同僚と飲み会をする話を聞いていたので、時間が合えば一緒に帰ろうとは思っていたが、それを言えば、すずめは時間を気にしてしまうだろうとバイトが終わってから連絡を取るつもりでいた。
大輝が携帯を見ると、30分前に今から帰りますとメッセージが入っていた。
行き違いになったかと、仕方なく家に着いたら連絡しろとだけ入れて携帯をしまう。
すずめは大輝の思いに気が付いていないだろう。
遅番の場合、夜中と言える時間に帰ることが度々あることや、酒に弱いくせに、友人たちと過ごすことが好きなすずめは、酔うと一気に警戒心を解いてしまうことを、どれだけ心配しているか。
まず、自分が目を引く綺麗な女性であることを自覚していない。
自分に言い寄ってくる男などまずいないだろうと、自分を過小評価している。
私のことを好きな大輝が物好きなんだよと、無自覚ゆえに安易な考えである。
だからなるべく、帰りの遅くなる時は送りたかった。
すずめのためというより、自分がそれで安心したいだけかもしれない。
駅へと向かう途中、すずめに似た背格好の女性を見かけるが、とっくに電車に乗っているはずのすずめがいるわけがないと、改札を通った。
それでも、確認するように振り返ってしまう。
大輝は自分の見たものが信じられずに愕然とした。
駅の改札からタクシー乗り場までは、10メートル程で、見間違うはずがなかった。
自分のよく知った顔が2人、仲睦まじくタクシーに乗り込む。
1人は久しぶりではあったが、間違えるわけがない。
獅子尾がすずめの肩を抱き、タクシーに乗せ、2人は夜の闇に消えていった。
***
獅子尾は、携帯の発信を110とし通話ボタンに手をかけながら、男たちに見せた。
「なんだよ、あんた。カンケーねえだろ!?」
「その子、俺の知り合いなんでね。カンケーあるんだわ」
金髪の男は、見るからに短気を起こし、駅前の人通りが多いところで騒ぎ立てる。
リーダータイプの体格のいい男が、その隙に気を失ったすずめを抱えてタクシーに乗せようとするが、タクシーの運転手は突然わめき出した金髪の男に、トラブルは御免だと言わんばかりにドアを閉め、走り去ってしまう。
「チッ…」
リーダー格の男は、金髪を睨み付けると舌打ちをし、騒ぐんじゃねえよと低い声で言うが、すでに金髪が騒いだことで注目を集めてしまった自分たちに分が悪いと気が付いたのか、さっさとすずめを解放し踵を返してしまう。
実際リーダー格の男に、ケンカ腰で来られたら獅子尾に分が悪かった。
相手は2人いたし、すずめを盾に取られたら、獅子尾はどうすることも出来ないのだから。
案外頭の悪い奴らで良かったと、ホッと息を吐く。
意識のないすずめの肩を抱き、目の前に新しく止まったタクシーにすずめを乗せる。
すずめを軽く揺さぶり、住所を聞こうとするが、酩酊状態のすずめに声は届かず、獅子尾は自身のマンションの住所を言った。
かつて住んでいたアパートは更新のタイミングで引き払い、現在のマンションに越してきたのは1年前のことだった。
前のアパートもそれなりに居心地は良かったが、獅子尾の本棚が溢れるほどにいっぱいになり、ついには足の踏み場もないほどの量になってしまった。
引っ越しを機に、厳選してかなり処分はしたのだか、どうしても捨てられない趣味の漫画や小説が一部屋を占領していて、独り身の自分には2LDKの2部屋を寝室と仕事兼趣味部屋として使ってもなんら困ったことにはならないことから、一部屋は人に見せられない部屋と化している。