ウルトラマリン・ブルー
何でも宝石商は上辺の仕事で、裏で核のやりとりを偵察している珠魅の一人らしく、胸元を肌蹴ればなるほど立派な薄い黄色のアポフィライトの核がそこに輝いている。行商のついでに集まって間もない俺たちにこの辺りの情報を教えにやってきてくれたらしく、一瞬でも刃物を向けたのを申し訳なく思うほど物腰の柔らかな好人物であった。アキマルというらしい彼とマリア師との会談を皆珍しいと半開きになった扉の影から覗いていたのだが、アベの「何やってんだ」の一言に驚いてクモの子を散らすように全員持ち場へ戻っていったのが数秒前のこと。
「で、何やってんだハナイ」
「…そういえばアベはいなかったっけか」
断じて逃げ遅れたわけではなく、一応群長として残っていた俺がその質問に答える。言葉が雑なので叱りにきたようにも聞こえたが、アベはただ単に水を汲みに行っていて状況を把握できていなかったのを純粋に質問しただけだったのだ。
「珍しく客人が来てるんだよ、煌めきの都市の方の人らしい」
「へえ」
先ほど皆が身を乗り出して覗いていたもんだから、特に機密性の高い会話でないと判断したらしくアベも軽く身をかがめて中を覗き込んでみせた。するとその背中が一瞬びくっと震える。
「アベ?」
「…お久しぶりです」
質問した俺の呼びかけには答えず、アベはぺこりと部屋の中に向かって一礼し、少しの間をおいて失礼します、と戸を押して部屋へ入っていく。マリア師か、客人かに入ってこいと言われたのだろう。アベは物怖じしない性格と思っていたからさっきの微妙な態度が気になって様子を伺えば「ハナイくんもおいで」とマリア師に手招きされて、気まずいながらも一礼して彼女の座る椅子の斜め後ろに立つ。アベはといえばマリア師の横、客人の斜め前にあたるところに簡易の椅子を持ち出して座っていた。知り合いなのだろうか。
「本当に久しぶりだね」
少し目を細めて客人はアベに言うと、懐かしそうに柔らかく笑った。はっきりとした口調にも表情にも、彼のどこにも歪さは感じられなかったが、アベはどこか緊張した面持ちではい、とだけ返事をしてみせる。嫌悪や怯えではなくもっと何か複雑なものを含んだ面持ちだった。
どこか違和感を含みながらも、客人は淡々と俺たちに最近はこの辺りが危険なのだとか、帝国軍のやり口などを説明していき、一通り説明を終えると新しい集落だそうですがどうか頑張ってくださいと当たり障りのない言葉で締めた。何となく商売されているような気分になるのは彼の職業柄だろうか。
「有難うございます、参考にさせていただきますね」
時折相槌を打ちながら聞いていたマリア師は礼を言うと「お疲れでしょうし、今日はゆっくりお休みになっていってください」と付け足して、話の内容を紙に留めていたアベに目で合図を送る。
「じゃあ、ハナイくんと話があるからアベくんはアキマルさんを客室に案内して差し上げて」
一瞬マリア師を見やり、アベは戸惑った風に目を泳がせながらもはい、と返事をした。
彼に会うのは本当に久しぶりだった。数年…いや十数年は会っていなかったと思う。
とは言っても俺は今のように平常どおりの彼のことに詳しいわけでもなんでもなかったから、懐かしいと思うのはどうかとは思うのだけどどうしても頬が緩む。彼の方はと言えばあまり楽しくなさそうな顔をしていたけど、それでも礼儀正しく礼をして客室まで案内してくれた。
「…それじゃ、俺はこれで失礼します」
「タカヤくん」
ああしまった、今はアベという名前なんだっけ、と苦く笑ったら彼は苦虫を噛み潰したみたいに口の端を歪ませてこちらを見上げてきた。
「――少し話をしよう」
至極丁寧に言葉を選んだつもりが陳腐なセリフが口をついてしまって内心焦るが、彼はそれ自体を気にした風ではなく困ったように眉を下げる。あまり乗り気でないだろうということは提案する前から分かっていたことだったけど、それでも話をしておきたいという思いから彼を引き止めた。
「…はい」
返事をくれた彼に安心してベッドに腰を下ろすと、彼もおずおずと椅子に腰掛けた。
彼はかつて、持ち主の恩寵を受けていたためなのか原石の状態で珠魅としての意識を持って生まれた、原石を核とした珠魅――タカヤだった。騎士として戦うには貧弱な身体で生まれた彼は、勿論珠魅としての位は低かったが、賢く、そして容易に涙を流すことのできる姫として強い騎士のパートナーになったことがある。
騎士の名前はモトキといった。彼の騎士になるより前と、今現在はハルナと名乗る優秀なタンザナイトの騎士である。彼らはいいパートナーだった、少なくとも周りから見れば戦いにおいてあれほど効率のいい二人はいない。何せ天下無双の騎士と、身体は弱くとも頭の回る姫だ。敵に回したくないとは誰もが思うところだろう。
その二人が今パートナーとして組んでいないのは、ひとえに彼がハルナのことを覚えていないからだ。
彼には今の姿…アベとして生まれるより前の記憶に関する記憶がない。言葉としておかしいかもしれないが、そうとしか言いようがない。
彼は一度核に致命傷を受け、原石の状態からカッティングすることによって一命を取り留めたことがある。しかし核である一部分を削り取るということはタカヤがタカヤであった事実を削り取るということであり、もう一度目覚めたところで彼はもう目覚める前と全てが同じではなくなっていた。目覚める前よりも更に聡明で、そして身体も面影を残しつつも随分としっかりしたのだが、それが逆に以前とはちがってしまったのだと思わせた。
幸いにも自身が珠魅であること、どういった生まれであるか、どんな経緯でそのようになったのか、諸々を全て彼は覚えていた。
だが、それだけだったのだ。
それらの記憶に対して、自分がどう思ったのか、どう感じたのかを何も覚えていなかったのだ。彼にとってそれは記録でしかなくなっていた。自分の言葉の裏に潜めていた感情の全てが推察する以上には分からず、それに戸惑った彼は「目が覚めたら追って来い」と言伝を残して旅に出たモトキのことを追えなかった。
「やっぱり何も、思い出せない?」
その時のカッティングをタカヤを担ぎ込んだハルナ直々に頼まれたのが俺で、そのせいもあって俺はずっと彼のことを心配していたのだ。目覚めて身体を慣らしただけで出て行ってしまって、連絡が取れなかったから余計に。
「…はい、以前と、考え方も変わっているんでしょうし…深く考えようとしてもどうしても食い違いがでてしまうみたいで」
今の自分だったら絶対にたどり着かない返答をタカヤはするのだ、となまじ記憶力のいい頭が逆に仇になっているようで彼は深いため息をつく。いっそ全部を忘れてしまえていたなら、この子は苦しまずに済んだだろうかと思うと申し訳なくなった。
作品名:ウルトラマリン・ブルー 作家名:工場の部品