好きになる理由
二週間前のマラソンの日。
一年い組は彦四郎を先頭に裏々山を目指していた。
マラソンの途中のコースは毎回変わるので、学級委員長の彦四郎に渡された地図に従って隊列を乱すことなく走っていた。
開始してから三十分ほどしたところで、い組の前に分かれ道が現れた。
「分かれ道だぞ。
彦四郎のすぐ後ろを走っていた伝七が言った。
その伝七が止まるのと同時に後ろに並んでいたクラスメイトも足を止めた。
彦四郎は少し離れて止まった。
「彦四郎。どっちの道が裏々山に行く道?
「えーっと。
左吉に尋ねられて持っていた地図を広げ、彦四郎は今まで通ってきた道筋を指で辿った。
い組のよい子達はその場を動かず彦四郎の様子を見ていた。
「どっちの道でも裏々山には行ける。こっちの道は山道が多くて傾斜があるけど、裏々山には真っ直ぐ続いてる。
左手の道を彦四郎が指差すと、後ろにいた伝七達はその先を窺う。
「確かに、しばらく行くと山の中に入りそうだ。
「それでこっちの道は平らな道で走りやすい。でも道なりに行くと裏々山へは遠回りになる。
右手の道を見ながら説明すると、左吉が考え込んだ。
「走りやすいのはいいけど、それじゃあ時間がかかるってことだろ?
「いったいどっちの道の方がいいんだろうね?
列の中から一平の声が聞こえた。
それを合図にきれいに隊列を組んでいる忍たま達がざわつきだした。
優秀であることを誇りに思っているい組にとっては、どんな時でも最善の道を選び、他のクラスよりいいタイムを出したいのだろう。
学級委員長である彦四郎もその気持ちは一緒だった。
(こんな時…一年は組の学級委員長の庄左ヱ門だったら、どうするかな…?
彦四郎は同じ立場である一年は組の庄左ヱ門を思い浮かべた。
担任は一年は組を目の敵にしてバカにするけれども、頭が悪いだけで嫌な生徒の集まりではないので彦四郎はそこまでは組に嫌な感情を持っていなかった。
その中でも同じ委員会に所属していて、上級生・クラスメイト・担任を始め先生方からも頼りにされている庄左ヱ門のことは特別視していた。
自身がそこまで評価されている学級委員長ではないため、彼の言動を参考にして少しでも頼れる学級委員長になろうとしていた。
(庄左ヱ門は、は組の連中にすごく好かれている。よし、こんな時はみんなの意見を取り入れてみんなが納得する道を選ぼう。
頭の中で選択肢を決めて一度頷くと、彦四郎は手を叩いてクラスメイトの注目を集めた。
「みんなー!し…
「おい、みんな静かにしろよ。
「学級委員長の彦四郎から何か話があるみたいだぞ。
彦四郎が口を開く前に伝七と左吉によっておしゃべりはなくなった。
いきなり出端を挫かれた彦四郎であったが、気を取り直して声を張った。
「あぁ…。みんな、分かれ道のことなんだけど、ぼくはみんなの意見を聞こうと思う。
「意見?
「どちらの道もメリットとデメリットがある。どっちがいいのかは実際に走ってみないとわからない。だったらここは、みんながどっちの道に行った方がよさそうなのかを簡単に短く意見を交わして、そっちの道を選ぼうと思うんだ。
彦四郎は我ながらうまく説明できたと思った。
だが伝七達から聞こえてきたのは、不満を感じさせる声だった。
「そのくらいのことで意見出しあってもあまり効果ないとぼくは思う。
「早くゴールしなきゃいけないのに、ここで相談しちゃ意味ないよね。
「彦四郎、ここはビシッと学級委員長のお前が決めてくれよ。
左吉に詰め寄られ、他の忍たま達もそうだそうだと声が上がる。
確かに左吉の言っていることはもっともだ。
タイムを気にしているのに意見を出しあっていてはそれこそタイムロスだ。
それにこの道を通ったことがあるクラスメイトはいないようで、参考になる意見は一つも出てきそうにない。
かといってここは彦四郎自身の意見でみんなを動かして、思いの外山道が険しかったり遠回りの道のりが長かったりしてみんなを苦しめたくはない。
その時責められるのは確実に、彦四郎だ。
(ぼくは、みんなのためを思って言ったのに…!
その言葉は口からは出ず、結局多数決(しかも伝七と左吉が中心になって)で無駄にしてしまった時間を取り返すために左手の山道を行くことになった。
しかしクラス全体がまとまらない状態のためか、厳しい山道のためか、い組はなかなか裏々山の山頂には辿り着けなかった。
その時はあまり気にしなかったが、安藤に叱られたこと彦四郎は改めて自分の学級委員長としての認識が甘かったことを思い知らされた。