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未来福音 序 / Zero―ボーイミーツ?―

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 また別の日の放課後、俺は意を決して声をかけた。何を話すかなんて、二の次だ。とりあえず、会話を試みようとした。
「・・・・・・」
光沢は前髪の下から俺を睨みつけると、何も言わずそのまま帰ってしまった。なかなかいい度胸してやがる・・・・・・。
 俺は意地になっていた。
 登校時。
 休み時間。
 放課後。
 帰り道。
 接触する機会があるときはとにかく光沢に声をかけた。否、かけようとした。
 実際には、俺が近づいてくることを察して、光沢は朝ギリギリに来るようになった。
 休み時間はすぐに教室を出て行き、帰りはすぐさま帰路に着いた。
 なるべく、他の生徒に気づかれない配慮したつもりだったが、人の目というのはどこにあるかわからないもので、一部で噂が立ちはじめた。
「瓶倉が光沢のケツを追い回している」
 別に言葉として間違ってはいないが、意味が決定的に違う。俺は光沢に好意を抱いているわけじゃない。奴らの度し難い習性の一つが、どんな事実も全て色恋沙汰に変換するフィルターを働かせることだ。まるで発情期の猿みたく、色情に狂っている。声高に性事情を叫べば、大人だと認められるとでも思っているのだろうか。
 とにかく、そんな馬鹿共の興味に火がついた頃、俺のアプローチがようやく実を結んだ。
 帰り道。川にかかる橋の上。背の高い街灯が白く照らす場所に、俺と光沢は向い合って立っていた。
いつものように、俺は先に帰った光沢の後を追っていた。完全にストーカーの行為と相違ないが、実際俺と光沢の帰り道は同じなのだから仕方ない。いつもなら、そのまま光沢は一目散に家に帰るのだが、今日はどういうわけか、橋の途中で俺に対峙した。
互いに、無言で睨み合う時間が続く。
ん、ん、と喉の奥に何かが引っかかっているような音を出したかと思うと、光沢が言葉を発した。
「な、な、なんで、私に関わるの。ん、み、みみ、みんなが噂して、とても、不愉快、だわ」
 光沢はほとんど口を動かさずに、低い声でそう言った。
「なんだ、喋れるんじゃねーか」
 俺がそう言うと、光沢は視線を俺の足元へと移した。
「どうして俺を避けるんだよ」
 光沢は何も答えない。川の上を通り抜ける風が、彼女の長い黒髪をたなびかせた。
 さらに言葉を重ねるか迷っていると、
「別に、あなたを、と、特別避けているわけじゃない。わ、わ、私は、誰にも干渉して欲しくない、だけ」
 相変わらず、地面を見つめたまま光沢がそう答えた。
 弱々しいくせに、誰も寄せつけようとしないその態度が、誰かとダブった。
「も、もう、近づいてこないで」
 そのまま振り返って帰ろうとする光沢に、俺は慌てて声をかけた。
「おい、待て」
 一瞬、光沢の足が止まった。
 何を聞けばいいのだろう。考えなしに光沢を呼び止めた俺は、とりあえず任務を遂行しようとした。
「その、あー、なんつーか。誕生日いつ?」
 
 翌日から、光沢の俺に対する態度が変わった。
 はっきり言ってランクダウンだ。光沢の中で俺という存在は、塵芥にも等しくなった。
 忌避から無視へ。
 もはや相手にする価値もないと思われるのは納得いかなかったが、それでも彼女のプライベートエリアに断りなく踏み込めることは、僅かながら前進であるように思えた。思わないとやってられなかった。
 一時間目の授業を終えると、給食の時間がやってきて、学生も教師も食堂へと向かう。夜間定時制高校なので、給食が夕食になる。
 集団で食事をとる者もいれば、離れた席で義務のように独りで食事する者もいる。無論、光沢も例に漏れず一人飯を貫いている。彼女の周囲にはひと際人気がなかったので、俺が側に座ることは造作もなかった。
俺が近づいても席について食事を始めても、光沢は一切動じることなく、せっせと食事を腹へ押し込んだ。近くで見て気づいたことだが、光沢はまるで機械のように無駄のない動きで食事をする。その所作が、何故か俺の心を逆撫でた。
向こうが黙っているからといって、こちらから話しかけるということはしなかった。
奇妙な沈黙の晩餐会が、始まった。
 会話のない邂逅は、放課後にも訪れる。
 暗い夜道を、光沢と俺は縦列になって歩く。俺は光沢の約五メートル後ろをキープする。そして、例の自販機の側にやってくると、集った野良猫への餌やりが始まる。
 光沢は猫にやる缶詰めを開けて地面においてやり、そこに群がる猫達をただ無表情に見つめる。俺は、そんな猫と光沢の様子を見つめる。この間も、俺と光沢の間には会話一つ生まれない。
 光沢のことを観察するようになってから気づいたことだが、光沢は整った顔立ちをしている。はっきり言って美人の部類に入ると思う。大きな瞳に、少し垂れた目元がアンニュイな表情を引き立てる。鼻筋が通っており、いつも真一文字に結ばれた小さな口も、立体的な唇が艷やかに見せる。普段は、長い髪と俯きがちな姿勢のせいで顔が隠れがちになるため、誰もその美貌に気づいていないのだろう。
 蒼崎橙子には「あなたも悠長ね」と一言嫌味を言われたが、当初のようにああしろこうしろといった指示は出されなくなった。だから、俺は光沢との言葉のない関係を維持した。
 光沢と過ごす時間は、どういうわけか俺の心を落ち着けた。別に、普段気持ちが穏やかでないのかといえば、そういうわけではないのだが。理由はわからない。次の瞬間には、俺の目の前に刃先が据えられていてもおかしくない相手に安心するなど、普通じゃない。ましてや、俺の右目はかつてケダモノじみた女のナイフによってその機能を失ったのだ。先端恐怖症になっていてもおかしくないのに、俺は光沢に何の警戒心も抱いていなかった。
 そして、俺と光沢の間に敷かれた誰が決めたわけでもない無言のルールは、ある日唐突に破られた。
 その日の夜、いつもの猫への餌やりをしようと自販機まで来たところで、突如雨に見舞われた。俺達は自販機のすぐそばにある、白塗りのマンションの軒先で雨宿りをした。猫達も、俺と光沢の後ろをついてきて、同じところで雨をしのいだ。
 俺は、光沢が何も言わずに差し出したハンカチを借りて、雨に濡れた肩を拭いていた。
 雪が降ってもおかしくない季節だというのに。いやに冷たい雨は、静かにしとしとと降り続き、しばらく止みそうになかった。そんなことを考えていると突然人の声がした。
「この子達、私が餌をやらなかったら、どうなると思う?」
 俺は思わず周りを見渡し、誰もいないことを確認してから、それが光沢から放たれた言葉だと理解した。まさか、光沢から話しかけてくるとは思っていなかった俺は、何を話すべきか迷った。思わず隣にいる光沢の方を見るが、光沢は足元にいる猫をボーっと見つめるばかりで、質問を投げかけた俺のことはチラリとも見なかった。
「どうって、変わらないんじゃないか。また、別の誰かに餌をもらうか、ゴミを漁るか、ネズミでも捕まえるか。ここで食料が手に入らないと分かれば、住む場所を変えるだろ」