記憶
その結果として彼は今こうして自らの事とそれだけでなく、自分と同じ……遥か遠い記憶の中で正しく“同じ”立場であった血による集団の精鋭であった事、更に自分達を束ねていた長であった者……今は哀れ抜忍となり、しかし記憶の中の不確定な“あの時”と変わらず覇王討伐の先駆けとなっている男の事も、形なき記憶の断片の一つとして非常に朧気ではあるが掴みかけて来ている。
恐らくは現地点では他の十名の戦鬼達より自らと他を多く理解しかけているだろう鳳凰にとっても非常に情報が不足し、分かりかねている者が三人、存在する。
(……白い服の抜忍、いや龍叉……龍叉様か。まず、彼を負う黒服の追忍。)
殺気凄まじく今の所は声を掛ける事もままならない。
一つの思いばかりを強く持ち続ける者は頑固で、えてして生真面目である事が多い。
その、本質は決して悪くはないであろう忍といつか口が利けるだろうか。
それかこの男も他の二人と同様に話す事など難しい人物だろうか。
“他の二人”
(あの訳の分からぬ男、そしてあれ。本来は俺と……俺達と同じだった天魔、いや、あいつは覇王だ、覇王に従う者。)
前者は、語る言葉の前に対峙となりそうな削げた男である。
一度、会ったがその気配の中にはどこか奇妙な所があり……
実際に彼の男についてを聞き顔を顰めた他の戦鬼達から、幾つかの話は聞いている。
天翔によれば狂人(これ)に本土に上陸してからいきなり斬り掛かられたとの事で、怒らなければ気の良い天剛でさえ何とも言えぬ表情で、共に行動する自分と天紅の前に姿を現したが、(雲仙曰く)父と娘のような二人の様を見掛けた後しばらく佇んでいたが何もせずに立ち去ったと、男についてを話した。
それらの不可解な行動から、未だ正体は分からぬままだがあの男はやはり狂っているのではないかと鳳凰は考えている。
そして正体は分からないが彼はどこか自分達とは異なる。
根拠となる理由は無いが、漠然と鳳凰はそうとも感じていた。
後者の者に至ってはこちらの存在を認めれば即、直接の戦いか、或いは……例えば龍叉様と天翔がそうさせられたように、同士討ちという言わば間接的な戦いを仕向けられる可能性が高く話し合うなどと言う悠長な選択は不可能であろう。
……黒服の追忍であれば、何とか。天剛と天紅……今は二人の戦鬼に出会っても立ち去った、つまり戦わなかったあの妙な男なら或いは。……最後の覇王の手の者のついては語り合えないだろう。
そう言った事をつらつらと考え七尺程離れた木の太い幹に渡ると、途端にミシミシと崩れる音がする。自らの思惑に気を取られ、咄嗟の判断を誤って腐った老木を着地点に選んでしまったのだろう。
(考え事をしていると危ない。)
“大いなる戦い”、鳳凰達は文字通り明日をも知れぬ状態である。
戦わざるを得なくなった戦鬼の内の何れかと対峙し、明日屍を晒し己の血が地に吸われる事になるかもしれない。
逆に、可能性は高くはないが生き残るかもしれない。
彼の者により煽られ、彼の者の為に今も尚荒らされているこの時叛宮そのものと同じく、明日が……先が分からぬから、金は持ち、残して置きたかった。
しかし頼めば了承してくれるだろうが、言わば私事の旅の為に高明山に対し路銀の無心はしたくない。
辺地の村を出た八つ過ぎ頃から今晩は適当な場所での野宿をと、鳳凰は考えていた。
先程から渡る中で、その常人を遥かに凌駕した視力で、古び大昔に打ち捨てられたと思われる神社を捉えていたので、そこに向かい鳳凰は渡りを続けている。
やがて目的の場に辿り着き、色褪せて片側の柱が朽ち倒れかけた鳥居を潜ると、拝殿へ向かう元は砂利の道であったそこは生え放題となった草に覆われている。
五尺七寸程の自分の丈の半分はある高さの草を掻き分け拝殿へ辿り着けば、何時のものとも分からぬ賽銭箱には濁り、底が見えぬ程に雨水が満ち苔が生えている。
鳳凰は溜息を吐きながら尚も諦めずに拝殿を横切り本殿に入り込んだが、檜皮葺の屋根は半分飛び、それにより長年風雨に晒され続けていたのであろう吹き曝しとなった高床は湿り、腰掛ける事はおろか行李を置く事もままならず、そこも散々の有様であった。
脱力しながらも腐った高床を破り、足を取られないように慎重に歩いて打ち捨てられた神社を後にする。
(……村に留まって置けば良かった。)
再度、同じ事を思う。
路銀を出し渋る癖に美味い酒と化粧を施した女の匂いを側にと、色気を出した事が仇となった。
そう後悔したが元来は楽天家の性質を持つこの男は、暮れ六つ半頃迄にはどこかに一晩身を置ければそれで良い、場所がどこであろうと気の利いたものが無くても構わぬ、とにかく安くで休める場所をと考え直し、さっさと安宿探しへと考えを改めた。
山辺から街道の方向へ。鳳凰は駆ける。