記憶
夢と言う形で
いや……この最近“大いなる戦い”に巻かれてからか。
古畳に座し、鳳凰の方は見ずにぼんやりと視線を漂わせたまま鴉は話し始める。
……一仕事を終え、あるいは何も考えていない時に俺は景色を……日を見詰めている。
上空には黄金城。
空白の刻、その時にまるで……何かが溢れ出るように、どこであろうか、眼前か、胸中か……断片的な出来事が甦って来るのだ。
その断片的な出来事は……過去なのであろうか。
過去であれば“遠い記憶”だ。もういつか分からぬ程遥か彼方の……
“遠い記憶”
その中で俺は俺として存在している。そこではどうやら体を持たぬ様なのだが、意識ははっきりと、その場に置かれている。
俺の体は無いのだが、代わりに体を持つ自分が、その記憶の中に出現している。
何故、その男が自分の代わりに体を持つ……つまり自分であるのかと分かるのか。
……それは多分、お前達と同じだ。お前が自らを天明だと思ったように。そう……言わば、感触、のようなものであろうか。
まあ、その……“遠い記憶”の中で自分である男。
記憶の中は人間だけが動き話し登場するから、そこがどこなのか、季節はいつ頃なのか……そう言った事は一切、分からない。
ただ一つ、過去であるという事が分かるだけだ。
男……俺は歩いている。
その横に子供が歩いている。
生憎、この夢か幻か……分からぬ記憶の断片は最後の嫌なオチが着くその時まで出て来る者達の顔は……俺自身である男の容貌でさえ、朧気ではっきりとは分からない。
ただその子供は……子供であるから判別がつき難い事もあるのだろうが、男なのか女なのか、それを全く窺い知る事が出来ず、分からない。
……隣に歩いている子であるのに、男……俺は子を全く理解していない、そう言う事なのだろうか。
まあともかく。身の丈から大人であろう男……俺と、子供は横に並び歩いている。
子供は歩幅を大人である俺に懸命に合わせているようで、僅かではあるが俺も速度を遅め子に合わせている。
……そう見えた。
現に還ったように鴉はそこで鳳凰の方を向き、ぽつりと言う。
「我が名は烏丸」
その名が鳳凰の頭の中……彼が今、知り得ている収められた記憶の断片の中を駆け巡る。
天聖の龍叉様、天牙、天和、天翔、天火、天剛、天紅……今はもう戦わない天舞、愚かな天魔……覇王。死んでしまった智知将いや……天智。
そして自分、天明。
彼の名は、知っていない。
いや、天明であった自らは知っているのだろう。
だが“遠い記憶”の中には必ず存在していた者なのだと……その根拠はやはり感触からではあるのだが鳳凰は断定する。
その名を聞いた後、黙ったままの鳳凰を鴉は少しばかり眺めていたが、やがて視線を再び辺りに漂わせ、ぽつぽつと話し始めた。
……何故“遠い記憶”の中の俺が俺自身の名を知り得たかと言うと、
「子供が俺の名をそう呼ぶからだ。烏丸父上と。
慣れた口調で、男のものか女のものか良くは分からぬ声で、
……だから男の名は烏丸、男は俺であるのだから我が名は烏丸。」
……俺とその子は父と子であった。
父が子を連れている、子は父に従い並び歩いている。
……戦乱激しくなり親なし子が増えたこの時叛宮でも、それは良くあるただの……普通の光景だ。だが男……俺は。
俺自身が二十七年、した事は一度もないような穏やかな……幸せかどうか、恐らくそうなのであろうか、とにかく穏やかな気配をしているのだ。
そこで鴉は両目を閉じた。
天翔に斬り掛かり狂人と呼ばれた男は寂し気な表情をしていた。
鳳凰は何も言えなかった。
……子を連れた男“遠い記憶”の中で穏やかな表情をしている俺。
恐らくその子自身に人を安らかにさせる性質があるのだろう。何故だか……分かる。
視線を現に戻し、鴉は鳳凰を見据えた。
「今は……暗躍等、悪名が南琉までに広まっているようだが、あの己は……本来は心優しい子だったのだ。お前の記憶の片隅で良い。ただそれを覚えていてくれ。」
そう言った鴉の表情は、狂ったものではなく……紛う事なく人のものであった。
放った竹行李の中からやはり相当に古びた竹水筒を出し、喉を潤した後、鴉は再び話し始める。
……次は……ああ。子供の話の後だ。
再び歩いていた子はいなくなっている。
それどころか男……自分であろう者の姿も失せ、あの場では実体を持たぬ俺は意識を総動員して先ず自分を探す。
探し続けると……いつも、結局、そう、結局だ。
つい少し前に人の気配を感じさせた鴉の表情が、またすっと……狂ったもの、虚無を貼り付けたものに戻った。
「決まって、必ず男が立っている。……お前が以前、会った時に一方的に俺に喋っていた……確か六尺七寸程の大坊主と言っていたな。それよりも大きいだろう……そう思う。いや、実際にその者の柄は大きいのだろうが、俺には否が応でも大きく見えるのだ。」
おもむろに首を振って鴉は続ける。
俺にとっては嫌な気配だけを感じる、必ず現れるその大柄の男を見ると、奴の足下に人が倒れている。
「……それが俺だ」
探し続けていた俺である男は倒れている、子は未だ見つからぬ。
倒れたまま、俺は動かない。生きているのかそうでないのか……うつ伏せの姿勢でいる事もあり、良くは分からない。
ただ倒れた男を丁度見下ろす位置に男が立っているだけなのだが、俺である男……俺を斬ったのはその大柄の男だ。
この遠い記憶記憶の断片この部分を、いつも見る度に俺はそう思い確信する。
まるで塵屑を遠くへ押しやるように、大柄の男が地に倒れ伏した俺を面倒臭そうに蹴り、転がす。
それにより仰向けになった男……俺の様が見えるのだが……
一筋ではあるのだが形容し難い程でただの己によるものではない。
深く、鋭く斬られた跡が付いている。……今こうして現に還り思い起こすだけでも情けないが身震いする程の凄まじい技だ。不快な事だが……
あの男は強いぞ、今は龍叉ですら危ういかも知れぬ。
……俺を斬った大柄の男には嫌悪……いや憎悪ばかりが湧く。
恐れる気もあるのだが意識だけの俺はそのまま男に向かい、奴と対峙しようとする。
駆け寄り近付き……思いは焦り、気こそ既に大柄の男と対峙しているのだが……
俺はいつも、決まって大柄の男に近付けない。
「男は俺、俺の名は烏丸、姿を消した子供は、大柄の男は……」
「……」