緑と傍らの鷹
入学してまだ大して経っていない内に。
秀徳高校と近くの幼稚園での実習があった。
少子化で子供と触れ合う機会が少ない、それを考えての学校方針らしい。
クラスの者達のその噂話が耳に届いた瞬間に、俺は眉を顰めた。
理由もなく叫び、泣き面倒臭い存在。
煩く、邪魔となるから子供は嫌いだと緑間は思う。
……そしてこの阿呆の話だ。
この馬鹿者は。
日時詳細の書かれた藁半紙を自分に回し、俺は未だその内容を完全に読み終えてないと言うのに子供子供と言い、年の離れた自分の妹がどれだけ可愛らしいか、良い子かを、いつものようにぺらぺらと勝手に話し始めた。
近くの席の生徒がそれを聞いてくすくすと笑っている。
HRも終盤でほぼ自由時間だったので奴の大声が聞こえたらしい、担任も同じように笑い始め、奴を中心に一つの輪が出来る。
しばしばこいつはそうだった。
語り掛け、そうして自然に暖かな繋がりを他者と構築していく。
……うるさい、黙れ、馬鹿者。
小さな頭を利き手で軽く叩き止まぬ口を止める。
しかし黙るのは少しの間で、奴の興味の対象の矛先は今度は自分の妹へと向かって来た。
くるくると変わる表情であれやこれやと様々の事を問い掛けて来る。
俺は良く喋る奴はずっと苦手で、今迄もそう言う性質を持つ連中……例えば黄瀬や青峰もまた同じように俺を苦手としていた。
だからこいつの人を暖かくさせる橙の日だまりのような雰囲気に嫉妬した訳でも、
それが今のように不特定多数の人間に向けられた事に、何かを取られたような喪失感を思ったなど、決して断じてそんな事はない。
俺はコイツが嫌いだ。
自分だけに当然に与えられるものが他に移されたと言う喪失感。
それが胸中で膨れ上がっている訳ではない。
「フン」
緑間は鼻を鳴らした。
やはり奴は、誰と居ても輪の中心で喜色を満面に浮かべた子供達に手を引かれて駆け回っている。
大坪と木村と宮地と……自分が。内心は認めている程の実力を持ち併せているから、運動神経は抜群で。にいちゃん、にいちゃんと、男の園児達に囲まれ、人気だった。
目付きは鋭いが大体笑っているその表情に、小さな女の子達の中には憧れるような目を向ける者も幾らか確認した。
こうやって子供に好かれるだけでなく、つい先刻にはジャングルジムから落下しそうになった子を“目”で追い拾い、幼稚園の教員達からも篤く礼を言われている。
場を変えてもいつでも人の輪に囲まれその中心に居る日だまりを、緑間は独り佇み遠くから眺めていた。
動き回る園児達の相手に疲れたのだろう、自分なら跨いで通れそうな程低い鉄棒に背を預けながら、付近でクラスメイト達が話している。
「すげーよな、アイツ」
「同化してる?みたいな」
「ガキみてえだよな、あいつも」
耳に届いたそれらの言葉に、緑間は心の中で笑う。
確かに。寸だけ伸びた子供のようだと。
何故かは気付く事はないが意趣返しの思いになっている緑間は密かに笑い続けた。
そう緑間が笑う相手が、子供の集団と共にこちらに移動し、やって来る。
「真ちゃーん」
ぶんぶんと勢い良く手を振る様にガキかと眉を顰めて何だ、と応じる。
「機嫌悪い?」
口ではそう言いながらも腕を引きぐいぐいと引っ張って行こうとする様に緑間は戸惑い、返した。
「お前が言っただろう?機嫌が悪いのかと。今、俺はそうなんだ」
彼の手を握り腕を組む幾人かの子供達を見下ろし睨みながら吐き捨てる。
(……機嫌の悪い理由は?)
吊り気味の目は緑間の目を見て、少しの間何かを思い考えているようだった。
すぐにふわりと鳥の羽のように軽やかに笑い、そしてまた緑間を連れて行こうと手を引く。
「おい、人の話を聞いているのか、馬鹿者。」
「うんうん」
「子供は子供と一緒に砂遊びでもしていろ、俺は乗らんぞ。」
「ひでえ、それって俺がガキって事?」
「何か間違えているか?」
約20センチ下からきゃんきゃんと声を出していたその頬を膨らませ、むくれる。
……間抜け面め。
そう思った隙に奴はにこりと笑い、強い力で細身ではあるがしっかりと筋肉の付いた緑間の長い腕を取り、一歩を踏み出させた。
大きい緑のおにいちゃんと、緑間の側にも子供達が寄って来る。
それを見て、心の底から……いつもへらへらとしているが、こいつのそう言う表情を見るのは実は珍しい。冬の日だまりの橙のような……
(“暖かい”)
嬉しそうな表情を一杯に浮かべ、こいつは言った。
……あんまり考えても仕方無いじゃん、バスケじゃねえけど動いたら少しは気が晴れるかもよ、だから
「行こうぜ」
引かれる手の導きに任せ、緑間は輪の中へと入って行った。