未来への報償③
そう言われてしまえば、平古場は手紙を開けずにはいられなかった。ペーパーナイフも、鋏も持ち合わせていないので、手紙の上の部分を慎重に破いていく。中身を一緒に破らないか少し心配だったが、無事に封筒部分だけ切り取ることができた。
中から取り出した紙は、封筒と同じ白色で、特に変わった所など一つもなかった。二つ折りにされているその紙を持つ手が、少しだけ震えているのに気がついた。どのような内容が書いてあるのかなんて予想もつかない。けれど、平古場の胸に期待と不安をもたらせるには、十分過ぎるほどのものだった。
ゆっくりと丁寧な動作で二つ折りにされた紙を開く。そこには、パソコンで打ち込まれたそっけない文字が並んでいる。並んだ黒い文字が白い紙の上にバランスよく存在していた。
その文章を上から順に視線で追っていく。最後まで読んで、もう一度、今度は急いで読み返す。
書いてある文章に間違いがないことを確認して、平古場は目を見開いて、そして木手へと視線を向けた。真っ直ぐに、真剣に見つめてくる瞳に嘘が無いことを知って、平古場は自然と口元に笑みが零れる。
手紙に書いてあった内容は、「U-17日本代表合宿に招待する」というものだった。「日本代表」というその言葉が、木手と視線を交わした瞬間、平古場の中で確信へと変わった。信じられないような奇跡が起こったとしか言いようがない。平古場は胸の中で膨れ上がる感情を、そのまま言葉にのせて叫んだ。
「永四郎!!!」
そう屋上に響き渡るほどの声で名前を呼びながら、木手の所へ走り寄って、飛びつくように抱きついた。木手の背中を叩きながら「やったな!」と声をかければ、頷くだけの返答が帰ってきた。
「十分急ぎの用事だろ! 他のやつらも選ばれたのか?」
「ええ、甲斐クンと知念クンと田仁志クンです」
「永四郎もか?」
「当然でしょう」
高揚しているのか、短い問いかけを矢継ぎ早にしてくる。満面の笑みを浮かべて、じゃれつく姿はまるで子供のようだった。
けれど、平古場がこれほど喜ぶのも無理はない。木手だって知らされた時は嬉しさのあまり、早乙女の前でいつもの冷静な表情が作れなかった。早乙女に「お前も中学生なんだな」としたり顔で言われたのを思い出して、眉間に皺が寄りそうになる。
「嬉しそうですね」
「当たり前だろ!? えーしろうは嬉しくねーのかよ!」
嬉しいのなんて当たり前だった。ただ、この平古場に抱き疲れている状況が、木手に複雑な感情を呼び起こしていた。
胸が締め付けられるような切なさと、胸が痛むほどの嬉しさと。
そんな相反する複雑な感情が、木手の内側に溢れて、無表情に近い顔しか出来ない。平古場にこの感情を知られたくなくて(どうしてそう思うのかは分からなかったが)、感情を殺すという方法しか思いつかなかった。
こんな感情が芽生えるのは、平古場に対してだけだった。だから、木手は戸惑ってもいた。弱みを握られたくないという思いも強かった。だから、いつも通り冷静で理知的な木手を演じるしかなかった。
「そんなこと言った覚えはありませんが?」
「あーはいはい。 なぁ、新垣達も喜んでたんじゃねーの?」
「ええ、喜んでくれました。ただ、一緒に参加できなかったのは残念ですが……」
「ああ、そうだな」
はしゃいでいた平古場も、木手の言葉を聞いて冷静さが戻ってきたようだった。平古場は背中に回していた腕を解いて、静かな瞳で木手を見つめた。
「…………なぁ、でも繋がっていってるって思わないか?」
言われた意味が分からなくて、木手は瞳で平古場に言葉の続きを促した。
「全国大会でわったーは負けたけど、こうして合宿に行ける」
木手は平古場の言葉に同意も否定もせず、ただ黙って聞いていた。
「全国で戦ったから、選抜合宿メンバー選ばれた」
平古場は笑みを深くする。
「きっと全国に出場してなければ、こんな風に代表に選ばれることなんてなかった。なぁ、永四郎。それでも、やーはまだ後悔してるか? あの特訓した日々が無駄だったと思っているか?」
「…………」
「全国で戦った結果がこれだ。確かに、目標にしてた優勝は出来なかったけど、わんはこの結果に結構満足してるさ」
にかり、と平古場特有の強気な笑みを浮かべた。手紙を太陽にかざして、そして木手の胸元へと軽く押し当てる。
「また戦える。それも、今まで以上に強い奴らと」
どこか挑発的な瞳が、太陽の光の所為で複雑な輝きを放っていた。
「永四郎。やーと目指して戦ってきたからこそ掴めた結果だ。やーと全国に行ったから代表に選ばれた。なぁ、違うか?」
だから、俺達のして来たことは何一つ無駄ではなかった。そう、平古場は言っている気がした。
全国へ行く為に、理不尽な練習も、過酷な特訓も耐えてきた。
だから、全国大会へと出場できた。
どんな卑怯な手を使ってでも勝つことを選んだ。
けれど、全国大会で優勝することは出来なかった。
何一つ、結果を残すことなく終わったのだと思っていた。
でも違った。
全国大会で注目され、U-17日本代表合宿メンバーに選ばれた。
繋がっていると平古場は言った。ふと、そうなのかもしれないと木手は思った。
そして、平古場の思考回路は良く分からないと思った。何も考えてないようで、こうして木手の意表をつくことを口にする。何だか悔しくて、少しだけ意地の悪いことを言ってみたくなった。
「そうかもしれない。でも、全員がその道を歩けるわけじゃない」
現に不知火も新垣も、合宿メンバーに選ばれてはいない。平古場が言うことを全て真に受けるほど、お気楽な思考回路はしていなかった。
「そこで諦めたらな。たとえその道を今歩けなかったとしても、わんは諦めたりしない」
少し細められた所為で、平古場の瞳の色が一段と濃くなって鋭さが増した気がした。その瞳からは、自分自身を信じる意思の強さが伝わってくる。
負けても、負けても。何度負けても、次に繋がるまで諦めたりしない。
「君は……」
――迷うことがないのだろうか。
決して正しくはない暗い道を、共に歩いてきたつもりだった。けれど、平古場だけは何時だって己の道を見つけて歩いている気がした。たとえ同じ道だったとしても、誰よりも己を信じて、迷うことなくその道を真っ直ぐに歩いている気がした。
ふと、木手はあることに気がついて、意識が急激に浮上するような感覚を覚えた。
同じ道だとしても、己を信じて歩いている。
それは裏を返せば、誰よりも木手が目指す道を信じているということではないだろうか。
気がついた瞬間に、否定と肯定の声が同時に頭の中で沸き起こる。けれど、すぐに否定の考えは消えた。平古場の言葉が正しいと思ったからだ。
認めてしまうと、その事実が何だか可笑しくて、木手は体の力が抜けていくのを感じた。
あの平古場が、誰よりも木手を信じてるだなんて、ありえないと思った。自由で気ままで自分勝手で、木手の言うことなんていつだって聞いてなどいない。
それが、平古場という男だと思っていた。