未来への報償⑤
カーテンが開いた先には窓があり、そこから木々が見えた。外は人が歩けるような場所ではないようで、景観としてもイマイチだと思うのだが、平古場はのんびりとした雰囲気で外を眺めている。付き添いと言ったが、さぼりの間違いではないのだろうかと、剣呑な目付きで平古場を見れば、それに気がついた平古場が苦笑して「ちゃんと練習は終らせてきた」と言った。ここではさぼりなどすれば、即強制送還させられることは木手も承知していたので、それ以上追及することはしなかった。
「丸井クンはどうしていますか?」
立ち去る様子もない平古場に、仕方なくとはいえ気になっていた質問をする。木手よりも軽傷だったため、少し前にここを出て自室に戻っているとのことだった。少なからず、木手が怪我をさせたという事実もあったので、無事であるという知らせにほっとする。
ふと視線を感じて顔を上げると、先ほどまで窓の向こうに視線を投げていた平古場がこちらを見つめていた。何か言いたいことがあるのだろうかと、黙って平古場を見返していたが、ただ静かに木手を見つめているだけだった。その視線に居心地の悪さを感じ、木手は眉間に皺を寄せて刺のある声で平古場を問いただした。
「何か言いたそうですね?」
「いや、べっつに~」
「何か言い足そうな顔ですけど、ねぇ」
態と作ったような声で答える平古場に、苛立ちはさらに募る。睨みつけると「こえーな」とおどけたような口調で肩をすくめる。相変わらず、木手の手にあまる男だと溜め息がでそうになる。そんな木手の表情が面白いのか、喉の奥で小さく笑っていた平古場だったが、すぐに笑いを納めて穏やかな視線を送った。
「わんは、試合中ずっと黙ってただろう」
「……そうなんですか?」
問われた真意が分からず、首を小さく傾げた。
「ああ」
不思議そうな顔をする木手を見て、信じてないのだろうと思った平古場は、もう一度同じ意味の言葉を口にした。
「やーのやり方に、文句なんてない」
真っ直ぐに見つめてくる瞳に曇りなど一切なかった。あの時と同じだと、木手は思った。試合中に見た強い意志を秘めた瞳。きらきらと輝く瞳はまるで木手の心を見透かすようにそこにあった。
「裕次郎のときも、そうだった。やーがすることには、何時だって意味があるだろう?」
「さぁ、どうでしょうかね」
はぐらかした訳ではない。本当に思ったからこそ、木手はそう答えたのだが、平古場は言葉の通りには受け取らなかったようだった。言葉よりも雄弁に煌く瞳が訴えてくる。
「私は、あの時言った言葉のとおりですよ。強い者に味方する。弱ければ切り捨てていく。今もこれからも、それだけです」
「ああ、だからその言葉を疑ったりしてないさぁ」
「ならば………」
「だから、わんは信じてる」
木手は目を見開いて平古場を見つめた。そんな木手の表情を楽しそうに見つめて、平古場は重ねて言葉を紡ぐ。
「わんは、やーを信じてる。今もこれからも、それだけだ」
言葉が見つからなかった。どんなことを言い返せば、平古場は自身の発した言葉を撤回するだろうかと考えたが、混乱した頭では何一つ思い浮かばなかった。ただ、溜め息だけが口から零れ落ちた。
「……君はどれだけ馬鹿なの」
「ふらーなのは、やーのほうさぁ」
「……まったく」
減らず口ばかり叩くその口をつねってやろうと、体を起こして手を伸ばすが、その腕は平古場の手にあっさりと捕まってしまった。包帯の巻かれた手を眺めて眉間に皺をよせる。
「こんなに傷つきやがって、テニスできなくなったらどうするつもりだったばぁ」
「私が、そんな怪我をするとでも?」
「やーと戦った相手は、そうなってもいいと思ってたやっし」
包帯の上を、力がかからないように慎重に撫でながら、平古場は試合が終った瞬間を思い出していた。
木手がコートに倒れた瞬間、怒りで目の前が真っ赤に染まった気がした。けれど、きっと何度だって立ち上がると信じていた。あの、沖縄での日々を乗り越えた木手ならばと。
そうして木手は丸井に支えられながらも、気丈に立ち上がった。ベンチに戻ってきても、痛みに苦しむ姿などこれっぽちも見せずに、ただその両足で立っていた。真っ直ぐに姿勢を正し、弱みなど見せないという気持ちがひしひしと伝わってきた。
そんな姿を見せられて、平古場は文句など言えるはずがないと思った。
それは、平古場が何よりも好きな木手の姿だったからだ。でも、怪我をしたことについては心配させてほしい。好きな相手なら尚更だ。
「私はこの先、必要とあれば今日のような裏切りも厭わない。邪魔であれば置いていく、私に有利な条件であれば交渉にも応じるでしょう。……それでも、君はまだそんなことが言えるのですか?」
「ふらー!信じるっていっただろ。それは、やーがわんを裏切ることも含めてやっし」
「…………どっちがふらーやっさー」
長い沈黙の後、完全に呆れた木手が平古場を詰る。けれどそれは、子猫が甘噛みをしているような、そんな程度のものだったから、平古場は小さく笑って逃げ道を用意してやった。
「しかたねぇよ、だってもう決めたからな」
木手が甲斐を脅して奪い取った勝利を見たとき、どこか甘えていた自分自身に気がついた。仲間だと思っていた。それは間違いではないが、もう同じ学校の仲間ではない。お互いが一人の選手として、仲間でありライバルでもあるという風に変わっていたのだ。木手はそれを誰よりも理解して、いち早く変わろうとしていた。木手の一人称が変わったことで、そのことに何となく気がついていた。けれど、仲間どうしの気安さからその事実に目をそらしていた。何時までも変わろうとせず、木手に縋り続けて、足を引っ張っているだけだったのだと、あの甲斐との試合で思い知らされた。
だから、木手のことを信じようて頑張ろうと思った。木手を信じることはそう難しいことではない。ずっと長い間、一緒に戦ってきた仲間だからだ。平古場は自分自身の強さを磨き、いつか戦う時が来たら必ず勝とうと心に決めた。
そのおかげで、今回の試合もずっと黙って見ることができた。木手を信じていたから。
「それなら、随分と惨めな姿だったと君は思っているのではないですか」
ふと、木手は試合中に脳内で聞こえた平古場の声を思い出していた。あの夜の海で、惨めな姿だと言っていたのは紛れもなく平古場なのだから、さそがし今回の試合はあれ以上に惨めに見えたことだろう。
嘲笑でも何でもすればいいと、自棄な口調で言えば、予想していない辛そうな声が耳に聞こえてきた。
「……ずっと、後悔してたことがある」
平古場の声は室内に静かに響いた。どうしてそんな話になったのか分からず、木手は平古場の顔から視線を反らさず、続く言葉を大人しく待った。
「全国大会で、お前にあんな苦しそうな試合をさせたことだ」
「……」
「ずっと目指していた大会で、わったーは負けて、やーに試合を繋いだ。晴美ちゃんもあの通りだったしな。やーにもっといい形で試合を繋げなかったこと、その所為でムダに悩ませてしまったこと、後悔してたんだ」
「何、を……」